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ふと、誰かが嗤った気がした_。


悪感のような、寒気を感じ取ったのはスーリだけではなく、アルスラーンも同様に感じていた。
すると誰かの足音が響き、即座にアルスラーンは片手を広げ、スーリを庇うように立った。


「そこにいるのは誰だ」


二人は警戒しながら足音が鳴り響くその先を見つめた。
アルスラーンはそっと剣に手を伸ばす。

見つめた先から現れたのは、銀仮面の男__ヒルメス__だった。


その姿を目にしたスーリは目を見張り、一瞬息が止まった。
一度、目の前の男と出会ったときスーリは妙な息苦しさと頭痛に襲われ、できれば会いたくないと思っていた。

ヒルメスは不気味に笑う。


「これはこれは、部下もつれずに出歩くとはな!」


ヒルメスが剣を抜くのに反射して、アルスラーンも剣を構えた。

真直ぐと矛先をヒルメスに向けるが、得体のしれない恐怖し襲われ、アルスラーンの両手はカタカタと震えている。


いつものスーリなら、そんなアルスラーンにいち早く気づき、自分が前へ押し出ただろう。
しかし今のスーリは目の前の男に気を取られており、そんなことはできない。


「アンドラゴラスの子、王太子アルスラーンだ」

「お前が王太子とは、笑わせてくれる。簒奪者のおとし子にもかかわらず」


ヒルメスは剣を引きずって歩み寄ってくる。地面との摩擦で火花が散っていた。
歩み寄ってくるのに反応し、気を取り戻したスーリはアルスラーンの前へ出ようとしが、恐怖にも似た感覚に襲われ、足がすくんだ。


「さぁ、まずは右手首を切り落とそうか。その次は左、次は右足を。すぐには殺さぬ、じっくりとその辛苦を味わえ」

「ッに、逃げてください! 姉上!」


恐怖し襲われながらも、アルスラーンはスーリを守ろうと足をふんばり立ち続けた。


「逃げる必要などない、迎えに来たのだから…」


迎え_。


その言葉が脳内を激しく駆け巡り、それと同時に覚えのない映像が流れ込んだ。

ノイズ交じりの映像と声。
耳元ではよく知った声が繰り返し囁いた。

思いだせ、思いだせ_。


…忘れている。
私は何かを忘れている…。


手が、肩が、体が震えた。

震えが止まらないのは目の前の男のせいではない。
知らない記憶が、覚えのないはずの映像が、自分の知らない自分が存在することが、何より怖いのだ。


「っはぁ!」


アルスラーンは震えを抑えてヒルメスに剣をふるったが、ヒルメスにしてみれば幼児の戯れの程度でしかなく、あっさりとアルスラーンの剣を空へ投げ飛ばした。

無様に剣は落ち、アルスラーンは反動で尻もちをついてしまった。


「これでッ!」


ヒルメスはアルスラーンめがけて剣を振り下ろす。
が、剣がぶつかり合う音が鳴り響いた。

スーリだ。スーリは剣を抜き、アルスラーンの前に立ってヒルメスの剣を受け止めていたのだ。
ヒルメスは予想外なのか表情は驚きに満ち、アルスラーンも同じ顔をしていた。


「姉上!?」

「…行って、アルスラーン」


スーリは剣を振り下ろすがヒルメスに弾かれてしまう。
その動作を何度も繰り返した。

しかし、ヒルメスもスーリが相手のためか本領は発揮せずに手加減をし、剣をはじくのみだった。
何度目かの振りでヒルメスは剣を受け止める。


「ッ剣を下ろせ、お前とは戦いたくない……!」

「戦う理由は、ある…!」


スーリは受け止められた剣をはじき、再び振り下ろした。

剣を振り下ろすたびに、映像と声が強くなり、頭痛もひどくなる。なんとかその痛みに耐えながら、スーリは繰り返し剣をふるう。


「姉上!」

「ッチ! 目障りな!!」


後方で叫んだアルスラーンに狙いを定め、斬りかかろうとするが、スーリによってそれは阻まれた。


「何故だ…なぜ小倅を庇うッ! 俺たちから全てを奪った簒奪者の子だぞッ!!」


ヒルメスは力を入れスーリの剣を弾き、今度はヒルメスが振り下ろした。
スーリはそれを受け止める。


その叫びはスーリを苦しめた。


燃え上がる炎に悲鳴。
脳が焼け、耳が壊れ、頭が割れそうな痛みがさらに増し、表情が歪んだ。

ヒルメスもまた、歯ぎしりをし悔しそうに歪ませていた。
一方、アルスラーンは呆然と目を見開いていた。ヒルメスの言葉がそうさせたのだ。


スーリは痛みを薙ぎ払うかのように剣をはじき、振り下ろすがすべてヒルメスに受け止められた。


「思いだせ…」


スーリは仮面の奥にある瞳を見つめた。
その瞳は真っすぐとスーリを捕らえ、懇願するようだった。


「思いだせ! あの日を、十六年前の事を!!」

「ッ……!」


ヒルメスの悲痛の疾呼が、酷くスーリの心を痛めた。


十六年前_、当時のスーリは四、五歳である。

そこで今、スーリは自分の記憶が欠落している事実を実感した。
確かにスーリには四、五歳までの記憶がなかった。

ヒルメスの悲痛の叫びのせいか、実感したせいか、頭に流れる映像の量…つまりは記憶の数が増した。

今のスーリには流れてくる記憶がどれもこれも見覚えがあることが分かった。
頭痛で刺激されながら、流れる記憶に呆然とし視点を揺らしていた。


少年がいた_。


十一歳の少年がこちらに振り向き、目を細め微笑んでいる。そのまま手を差し伸べた。
少年は口を開き、言葉を紡ごうとする。


「スーリッ!!」


__息が、止まる。


瞳をいっぱいに見開かせ、目の前の男を見つめた。
剣を握る力は失われ、音を立て県は落ちる。震える唇をゆっくりと動かした。


「お…にい、さま……」


張り詰めた表情から柔らかなものに変わった。


「……」


言葉を紡ごうと息を吸った、その瞬間。


「スーリ殿! アルスラーン殿下!」


ヒルメスにめがけて飛んできた矢を剣で切り落とすと、ファランギースが短剣を抜きヒルメスとスーリとの距離を開かせた。
距離が取れるとスーリは立っている気力を失い、記憶に混乱しその場にへたり込んだ。


「姉上!」


アルスラーンは肩を支えた。
スーリはただ目を見開かせ、片手で額を覆っていた。


ヒルメスはスーリに近づくとするが、四方からナルサス、ダリューン、ギーヴ、キシュワードが迫ってきてどんどん距離を取らされた。

アルスラーンは立ち上がり、大声で叫んだ。


「今一度問う! お主は何者だ!」


誰もが耳を傾けた。
ヒルメスはアルスラーンを見据え、口端を上げた。


「先王オスロエスの子、ヒルメス!」


混乱しているスーリを除く全員が驚愕した。

ヒルメスはアルスラーンをめがけて走り出す。

近づけさせまいとファランギースが出るが薙ぎ払われ、アルスラーンの目の前にたどり着いたヒルメスは剣を大きく振りかざした。


「ッ!」

「殿下ぁッ!!」


ダリューンは叫び、アルスラーンは息をのんだ。

斬られる_。
そう思った瞬間、アルスラーンの視界を奪ったのは覆いかぶさるスーリだった。

スーリは抱きしめ、庇おうとしていた。
ヒルメスはそれに気づくが、振り下ろした腕は皮肉にも止まることはできない。

剣がスーリの背に迫る。


「ッ__!」


…痛みがなかった。

スーリは肩越しに振り返る。目の前にいたのは刺されたバフマンだった。


「バフマンか…!」

「お久しゅうございます、ヒルメス殿下…」


バフマンはヒルメスの稽古役だった。
そんな記憶がヒルメスとスーリの頭に流れた。


「バ、フマン…」


声が震えていた。
バフマンは刺された剣を強く握り、苦し気に息を荒くした。


「何故邪魔をした…!」

「わが友の願いは、スーリ様とアルスラーン殿下をお守りすること…お引き取りください、ヒルメス様…」


剣を抜くとバフマンは力が抜け、その場に倒れた。
アルスラーンはバフマンを支えた。


ヒルメスは動揺し、一、二歩下がる。するとナルサス、ダリューン、キシュワードが迫り城壁の壁へ囲んだ。
それでもスーリをとヒルメスは近づこうとするが、それは叶わない。

ヒルメスの目に映るスーリは呆然と、そして漠然とバフマンを見つめていた。
まだ蘇る記憶についていけないのか、揺れる瞳がこちらを見た。

ヒルメスは悔し気に奥歯を噛み締め、その場を後にした。


「ッ兄様!!」


ダリューンが追おうとする。
しかし、それはバフマンによって止められた。


「殺してはならん!!」


その声は切実だった。
気を取られたダリューンはヒルメスを見失い、振り返りバフマンに目を向けた。


「あの御方を殺せば、パルス王家の正当な血が絶えてしまう…!」

「え…」

「正当な血、だと…!」


アルスラーンは青ざめ、ダリューンやほかの者は驚愕した。

正統な血、それはアルスラーンやスーリにも流れているはずだ。
しかし、バフマンは否定する。

いよいよナルサスとダリューンが話した仮定の話が事実になりつつある。


バフマンは横たわり、アルスラーンに謝り続けた。
友の話を受け止められなかったと。

傍らにいたスーリの手を手さぐりに掴むと、バフマンは言った。


「スーリさま…ヒルメスさまを、どうか…」


その先に何が続くかはわからないが、スーリは強くうなずいた。
それに安心し、バフマンは最後の言葉を残して息を引き取った。


「立派な、王に…おなり…くださ……」


アルスラーンがバフマンの死に悲しむ間、ナルサスはスーリが叫んだ言葉に思考を巡らせた。

スーリもまだ完全に本調子ではない。
しかし余韻に浸ることもできず、衛兵が急ぎ足で伝えに来た。


「申し上げます! シンドゥラ国が城塞に向けて進軍してきました!」



パルス歴三二〇年 十二月_。

美しき薔薇は、失った色を得た_。


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