王都エクバターナをルシタニア兵に包囲されてから十日目。
城外では多くの首が並べられた。
その中に、ヴァフリーズのものがあったらしい。
タハミーネは話を聞いた後、動揺し部屋にこもった。
スーリも同じく聞き、酷く動揺したが部屋に籠ってもいられず城内を歩いていた。
すると城内を駆けっていた兵士にとある部屋の前で呼び止められた。
一方、その部屋にいたギーヴは窓辺に座っていたが、扉の向こうの言葉でそれに耳を傾けた。
「姫様! お一人で移動なさらぬようにとサーム様から言われております!」
姫様…。あの美しい姫君か。
「ごめんなさい、部屋に籠ってもいられなくて」
初めて聞いた姫君の声は心地よく、透き通っていた。
それよりも、ギーヴは臣下に謝罪の言葉を述べた王族である姫に少しばかり驚いていた。
「お部屋にお戻りを…!」
「しかし…私にも何かさせてくれないか? みなが戦っているというのに…」
「姫様がいるからこそ私たちは戦えるのです! お部屋に、どうか」
「…えぇ。引き留めてごめんなさい」
「い、いえ! それでは!」
兵士はそのまま走って立ち去った。
スーリは俯き、溜息をつく。
守られてばかりの自分。嫌気がさすわ…。
すると目の前の部屋の扉があき、驚いたスーリ後ずさった。
「誰です!」
「これは失礼、王女殿下」
出てきたのはあの楽士だ。
「楽士殿…」
「いかにも、楽士のギーヴでございます」
胸に片手を添え一例をする。
その顔は笑みで包まれており、まるで自分を見定めているかのような、そんな瞳だった。
「ごめんなさい、騒々しく…。この部屋だとは思わなくて」
スーリは申し訳ないと瞳を伏せ、ギーヴにお詫びの言葉を述べた。
しかし、ギーヴは気にしていないと笑みを崩さぬまま、言葉を繋げ続けた。
「いえ、朝から貴方のような美しい声が聴け、このギーヴ、幸せに満ち溢れております」
まるで詩のように、すらすらと言葉を並べる。
「なら、よかったのだけど…」
「もしよければ、貴方の名をお聞き願いたいのですが」
そこでスーリは自分が名乗っていないことに気付いた。
これでは不公平だ。
「スーリ…と、言います」
「スーリ殿…美しい貴方様に相応しい名だ」
ギーヴは一人、納得したとでもいうようにうんうんと顎に手を当て、頷いていた。
一体、この短時間でよくもそんな言葉をつらつらと並べられるものだ。と、思わず感心してしまう。
「王女殿下、願いついでによければ少し話でもいかがです? 貴女の気も紛れましょう」
悩み憂いていたスーリにとってはいい話だ。
やはり、浮かない顔をしていたのだろう…。
「…では、お言葉に甘えて。部屋に入ってもよくて?」
「もちろんですとも」
ギーヴはさぁ、と扉を大きく開けスーリを招き入れた。
スーリは窓辺の近くにあった椅子に座り、ギーヴも向かい合うように椅子に腰を下ろした。
スーリの瞳は窓の外に向けられた。
奴, 隷たちによって王都の内部は所々で煙が舞っている。
スーリは何度目かの息を吐いた。
すると、ギーヴがじっと自分のことを見つめていることに気付き、瞳をギーヴへと向けた。
「しかし…」
「…?」
ゆっくりと唇を動かしたギーヴの言葉に、スーリは首を傾げ、次の言葉を待った。
「本当に貴方様はお美しい。『美』という言葉は貴方を表し、そして貴方のためにある言葉と言っても過言ではない。女神、アシそのものだと言っても良い」
「そんな、また…」
「貴女の美しさに、天上の神々をも嫉妬に狂いましょう」
スーリははにかんだ。
意外と初心うぶな方なのか…。
大方、高嶺の花といったところか。美を体現したこの方に誰も近づけなかったのであろう…。
スーリは照れ隠しのように微笑むと、再び目線を窓の外へ向けた。
やはり、その顔は憂いている。
「ご心配ですか、此処王都が…」
「……不甲斐なくて、やるせない」
「え?」
ギーヴに憂いながら微笑む彼女は影があって美しいが、痛々しくもあった。
「一体、何のために剣や弓を身に着けたのやら…」
「ほう…。スーリ殿は武器を扱えると?」
興味を示したギーヴにスーリはえぇ、とうなずいた。
「貴方のような方が剣など、習わなくてもよいのでは?」
「守られているだけでは、何もできない。何も、変えられないわ」
その言葉には強い意志が、ギーヴには見えた。
「守りたいものがある。大切な人や、我が弟であるアルスラーンを…。そのために、みなを押しのけ身に着けたというのに、まったく…」
スーリは紫の瞳を細めた。視線はまだ窓の外。
そんな彼女を見つめていたギーヴは思う。
この王族の姫は、どうやら少し違うらしい…。
「ねぇ、楽士殿」
「ギーヴ…と、および下され」
思わず笑みを零した。
そう笑う顔を初めて見たギーヴは、初めて会った時のように見惚れた。
「ギーヴ、外の世界には何がある?」
「外、でございますか?」
「えぇ、貴方は旅をしているのでしょう? 外には何があり、何が広がっている…?」
そう聞くその姿はまるで檻の中で外に焦がれる者のようだった。
いや、実際にはそうなのかもしれない。
姫である以上、外へは出れない。
「スーリ殿は、外に興味がおありで?」
「…実を言うとね」
スーリは秘密だというように人差し指を立て、唇にもってきた。
どんな行動でも絵になる。
「わたしには、持病があるらしいの」
持病…そんな噂は聞いていなかった。
「持病…それは」
「私はやがて、視力をなくすといわれた。この瞳に映る景色も、あとわずか…。知ってる者は少ないわ。公開してないもの」
悲しい運命だ。きっと、外を見ずにその視力をなくす。不幸なことだ。
だから、外に焦がれるのだろう。その景色を。
「パルスがこんな状況にならなければ、まだ外を見れたかもしれませんな」
「どうかしら。きっと、何処へも行けずに此処にいるわ…わたしは」
スーリはそっと、瞳を閉じた。
「この王都はあと、どれほど持つと貴方は考える?」
「おや、スーリ殿は落ちるとお思いで?」
「絶対に落ちぬ城などないわ」
この姫君は現実を受け止めている。
王族に似ない王族だ。
「…間もなく、王都は落ちるでしょうな」
素直なギーヴの答えに、スーリは何も答えなかった。
同じ答えだったからだ。
「…奴隷制度をなくすべきだったのよ、父王は」
呟いた言葉にギーヴは目を開いた。
「何故、そうお考えで?」
「人はみな、平等だからよ。貴方も、私も、地位など関係ないと私は思うわ」
ゆっくりと、一言ひとことを繋ぐ。
それと…と彼女は言葉を続けた。
「師の、受け売りかもしれないわ」
「師?」
「えぇ。変わった人でね。父に嫌われ、宮廷を去ってしまったけれど、私は彼を尊敬しているわ」
「ほう...それはそれは…」
穏やかに微笑む彼女を見ると、一体そ奴がどんなやつなのか、ギーヴも興味を持つ。
「貴方にとって王族とはどんなもの?」
「…可哀想なやつら、ですかな。王族というのは人にある一部の感情、感覚が欠落している。臣下たちが奉仕するのは当たり前だと考えている」
「そうね…私もそう思うわ…」
「おや、貴方こそ王族でございますよ。スーリ殿」
「えぇ。そうならぬよう毎日自分を見つめている。が、もしかすると私にも何か、欠落しているかもしれないわね…」
スーリは悲しげに微笑んだ。
この女はよく微笑む。しかし、悲し気や憂い、嬉しみや穏やかといろいろな笑みだ。
この女には興味があるな…。
ふと、スーリがいずれ王妃を逃がすようにと誰かが言いそうだ、と呟いた。
その可能性は高い。
「お逃げしますか?」
ギーヴの問いにスーリは笑って見せた。
「無論、残るわ」
「……ほう…」
逃げないのか、この姫は。
「民を見捨てて逃げ出すことなど、私には…できそうにない。民がいてこその国、民なしで国は成さないわ」
王族というのは、臣下や民を平気で捨てる。
しかしこの王族の姫は逆だ。こんな王族がいたとは、想像もできなかっただろう。
「王都エクバターナは我が国。そして、私の檻」
囚われの姫。
自国という名の檻に閉じ込められた、哀れな姫君_。
ただの気まぐれだった。
この女に、興味がわいた。
「スーリ殿。此処から俺と逃げましょうか」
「え…」
思わずギーヴの言葉に声をあげた。
彼がそんなことを言うとは思わなかったのだ。
「貴女はいわば鳥籠の中だ。俺と行けば、外の世界に飛び立ちこの檻からも逃れられる。どうだ、悪い話ではなかろ?」
民を捨て、国を捨てれば代わりに自由が入り、己の夢がかなう。
甘い誘惑だ。しかし、スーリはそれに首を縦には降らなかった。
「…嬉しいけれど、これでも私は『王族の姫』という名を背負っている。民は捨てられない」
「だが、それはきっとお主だけだぞ? ほかの王族なら意図もたやすく捨てるだろう」
「いいえ、アルスラーンなら捨てないわ。絶対に」
アルスラーン殿下。スーリ殿の弟君。
そんな王族がこの女以外にも存在し得るのか…。
スーリは椅子から立ち上がり、扉に向かって歩き始めた。
一度足を止め、ギーヴに振り返る。
「ありがとうギーヴ。貴方は早くここからお逃げ、巻き込まれぬように…」
そう言い残し、スーリは部屋から立ち去った。
残ったギーヴは一人、片手を顔に当て、フフフと笑っていた。
興味深いと、面白いと。
「スーリ王女殿下、か…。なかなか面白いじゃないか」
あのような女なら、王族なら、救ってやってもいいと……そう思えた。
そして、その日の夕方、ギーヴは王妃を逃がす依頼を受け、偽物を連れ地下水路へと向かった__。
夜、城外はいつもよりも騒がしく、城内もいつも以上に慌ただしい。
そんな城の中、スーリは何もできずにただただ部屋で城外を見つめていた。
一方、ギーヴは偽の王妃と別れてしまった。
ギーヴにばれたことで動揺した侍女がそのまま一人で水路を進んでしまったのだ。
「さてと…。このまま去るか、それとも…」
ギーヴは来た道をふり返った。
城にはスーリ殿がまだいる。今なら、彼女を連れだして逃げることもできる。
脳裏にはスーリの微笑む姿が浮かんだ。
その憂いた笑顔がいつか晴れたとき、その笑顔は自分に向けてほしいと一瞬でも思った。
「…欲しいものは奪う。そう、あの方も…」
さぁ、鳥籠の姫を向かへに行こう。
檻に閉じ込められた守られた一輪の美しい花を_。
ギーヴは城へと戻る道に足を進めた。
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