02
オレの名前をなぞる声は、いつまでも消えなかった。もう今となってはいつから聞こえるようになったのかも思い出せない。もう長いこと聞いているような気がする。
最初はふと聞こえてきた声。その声はだんだん大きくなっていき、その声ははっきりして行った。そして昼夜問わず、状況の条件を問わず、その声は頭に鳴り響く。
――春くん。
その声に反応して、ふと顔を上げる。そして声の主を探すように辺りを探す。そんなことをしても、オレの頭の中でだけ鳴り響く声の主なんていなくて、辺りには自分しかいない自宅の部屋が広がる。そこにはもちろん、誰もいない。
「……なんだよ」
何度も呼びかけてくる声に、オレはそんなことを言っていた。もちろん幻聴に答えたところで、返ってくる言葉なんて無い。オレの言葉に反応することはない。そんなの頭で理解してる。でも、オレはその声にどうしてか答えてしまった。
その声を聞くと、なんだか胸がざわざわする。だから居心地が悪い。でも同時に、耳を澄ましていたいとも思ってしまう。それがなぜなのか、オレ自身にも分からない。
――春くん。
相変わらず、その声はオレを呼ぶ。単調に、柔らかく、鈴の音が鳴るような声で、その音をなぞる。
「なあ、何なんだよ……お前」
分からない声の主に聞いたところで、その答えが返ってくることは無く。ただ静寂がその場を支配するだけだった。
そんなことをしばらく繰り返した。
オレは次第に聞こえてくる声に返答するようになっていた。最初はなんとなく始めた行為で、それは意識的にやっていた。でも時間が経つと、それを無意識でするようになっていたことに気づき始める。
いつものようにオレを呼ぶ声に、オレは「なんだよ」と答える。時には「聞いてる」とか「後にしろ」とか、本当に会話をしているような返答をした。そうすることで、オレの脳はオレの意識とは無関係にその幻聴の存在を認めたらしい。
意識をせずとも、自然とその声に応える返答を口にする。一人で居る時なら別にいい。でも、外でも、竜胆たちが居る前でも、オレは次第にそれをし始めた。
もちろん、あいつらは怪訝は顔をする。とうとう頭がイカレたのか、とか、本当にヤバいんじゃないのか、とか、あいつらは――とくに灰谷たちは――好き勝手に言いやがる。
それが真っ当な反応だ。そんなのは頭で理解している。理解しているはずなのに、どうしてか――オレは絶望していた。
その声の主は居ないのだと、オレにしか聞こえないただの空虚な幻聴なのだと、それを目の当たりにされて、オレはどうしてか絶望した。きゅっと胸が締め付けられて。ざわざわと騒めく。心にぽっかり穴が開いたように気持ちになって、サッと身体から血の気が引いた。
どうしてだか、自分にも分からなかった。
頭では分かっているのだ。最近聞こえてくる誰かも分からない女の声だと。それになんとなく答えていたせいで、こんなことになっているんだと。でも、理性でそれを理解しても、この騒めく感覚は治まらなかった。
「お前、誰と会話してんだよ」
「なに、三途には見えない誰かが見えてるわけ?」
「大丈夫か、お前……幻聴なんかに反応して……」
オレにだけ聞こえる――それが、ひどく恐ろしかった。