最近、オレを呼ぶ女の声が聞こえてくる。
最初はふと聞こえてくるくらいだった。でも徐々にその声ははっきりと大きく聞こえてくるようになっていた。
――春くん。
聞こえてくる女の声は、幼い子供のような、鈴の音が鳴るような声だった。煩い音ではなくて、落ち着いていて、どこか大人びたような声音だった。
最初は薬による幻聴だと思った。その声に聞き覚えはなかったからだ。薬の飲み過ぎでとうとう幻聴が聞こえるほどにまでなったのか、とその時は軽く考えていた。でも、どうやら薬のせいではないらしい。
その声は薬を飲んでいない時でも聞こえてきた。薬の効果はとっくに消えている。後に引いているとも考えたが、頻繁に聞こえてくることから違うと判断した。
オレを呼ぶ声の主を、オレは知らない。全く記憶に無いその声に呼ばれるのは、なんだか居心地が悪い。最初は気にならなかったその声に、だんだんオレは反応するようになって、その声を聞くたび、オレはよく分からないヘンな感覚に襲われるようになった。
――春くん。
また聞こえてくる、声。
その声に耳を澄ませる。この声をもっと聞いていたい気持ちになる。でも同時に、なんだか居心地が悪くなる。矛盾する二つの気持ちが混ざり合って、それが気持ち悪い。でもどうすることもできずに、オレはどこからか聞こえてくる声に意識をやった。
「おい、三途!」
「……あ?」
突然大声で呼ばれ、遠くにやっていた意識を強制的に戻される。声がした方に視線を向けてみれば、眉間にしわを寄せてこちらを睨みつけてくる竜胆が居た。それを見て、今は報告を聞いていたところだったか、と思い出す。
「『あ?』じゃねぇよ。話、聞いてねぇだろ」
「あー……」
「テメェ……ちゃんと聞いてろよ」
頭を乱暴にガシガシ
きながら適当に返答をすれば、竜胆はピクっと眉を動かす。それを全く気にせずに、オレは話していた内容を思い出そうとする。
いったい何の報告を受けていたんだっけか、と思考を巡らせる。随分意識を遠くにやっていたのか、初めから聞いていなかったのか、話の内容は思い出せなかった。そんなオレの様子を見てか、竜胆はため息を落として、気持ちを切り替えてから腰に手を当てながら言って来た。
「最近、なんかすげぇぼーっとしてね?」
心配をしている、という様子ではない。ただ事実を言うように、竜胆はじっとこちらを見つめてきながらそう言った。
心当たりは、ある。竜胆の言うように、ぼうっとする時間が増えたのも自覚している。これもそれも全部、あの女の声のせいだ。でもそんなことを話しても意味は無いし、なんだかそれを口に出して認めるのが嫌で、オレは竜胆から視線を外して、言った。
「……別に。ンなことねぇよ」
そう言えば、なぜか騒ぐ胸が安堵した。