03
 日記は存在した。そしてその不思議な力も存在した。なら、あいつは居る。きっと何処かに、あいつは居る。

 それからは毎日あいつの姿を探した。顔も分からない、名前も分からない。頼りになるのは、声だけ。でもきっと、会えばわかると確信していた。きっと一目見れば気づくと、オレは確信した。

 無我夢中に探し回った。学校も、町も、隣町にも行って、あいつを探した。手がかりなんて無い。それでも、諦めるなんて出来なかった。

 でも、いくら探してもあいつは見つからない。あの面影はオレの目の前に現れてはくれない。それでも探して、探して、見つからなくて……気づいたら、数年が過ぎていた。オレは中学に上がっていた。

 一度として、あいつを忘れたことはない。今でもあいつの面影を探してる。でも無我夢中に走り回っても意味がないと嫌でも理解している。どうやって探せばいい。どうやって見つければいい。その歯痒さに苛立つ日々が続いて、いつしか……オレは心の何処かで諦めていた。

 辺りを見渡す視線はあいつを探している。でも頭の何処かで、あいつは見つからない、と妙に冷静な自分が居た。どんなに探しても見つからない現実に、心が折れていたのだ。あの頃、記憶に居座るあいつを探していた頃とはまた違う、絶望感がそこに在った。

 そうして無常に時間だけが流れ去っていく。それに流されるのに慣れた頃だった。





 ある夏の日だった。

 すれ違う連中は近くの学校の生徒たちで、今が下校時間なんだと知らせる。歩いている生徒の制服は隣の中学校で、オレはそれを横目に歩いてた。

 基本的にオレはちゃんと学校に通っているが、今日はそう言う気分になれなくて、当ても無くふらふらと歩いていた。この時間は、あまり好きじゃない。どうしても、あいつを思い出すからだ。

 すれ違う連中を目で追いながら、オレは無意識に落胆する。そうして、簡単に見つかるはずがない、と自分に言い聞かせる。もう何度これを繰り返したか分からない。それに顔を俯かせたその時、ふとすれ違ったやつが視界に移り込んだ。

 ――あ、と息を呑んだ。

 オレは振り返ってそいつの手を掴んだ。必死になりすぎて、力が入りすぎたのを自覚する。でも……仕方なかったんだ。

 オレに腕を掴まれたそいつは目を見開きながら驚いてオレに振り返る。そいつの髪が揺れる。靡いた髪の隙間から、瞳が覗く。それを見て――オレは呆然と立ち尽くした。

 振り返ったそいつが、オレと向き合う。目を見開くオレを不思議そうに見上げて、首を嗅げる。


「あの……」


 そう口を開いて、零れた声を聞いて――オレは泣き出した。ぽろぽろと大粒の涙が止めどなく流れてくる。止めようと下って無駄で、まるで今までせき止めていたそれが流れ出すように、涙は止めどなくオレの瞳から流れ出す。

 驚くそいつを見つめる。オレは泣きながら、息を吐いて、笑みを浮かべる。


「ああ……、おまえだ……」


 その言葉が、全てだった。


「おまえだ……、ちゃんと……此処にいる」


 掴んだ手は確かにお前に触れてる。その眼差しはオレに向けられている。その声も幻じゃない。ちゃんと、此処にお前が居る。それだけで、それだけで、ただただ嬉しくて泣いてしまう。

 感情のまま掴んだ腕を引っ張って、強く抱きしめた。もう離さないようにぎゅうぎゅうに力を籠めて抱きしめる。息苦しいなんて考えられなくて、ただこの存在を離すまいと、ただ必死に抱きしめた。


「勝手に居なくなんなよ……あんな言葉で消えてんじゃねぇよ……っ」


 抱きしめながら肩口に頭を埋めて、ただ感情を吐露する。


「悪かった……あんなこと、言うつもりなかったんだよ……っ、嘘だよ……」


 消えて欲しいと思ったことは一度も無い。あんなこと、本音じゃなかった。全部、全部、嘘だったんだ。


「好きだ……っ」


 嗚咽を零しながら、ただ言えなかった後悔を紡ぐ。


「お前が好きだっ……お前がオレのこと覚えてなくても、忘れててもいい。オレのこと嫌っててもいいっ……許さなくてもいい……っ。でも居ろよ……ずっと此処に居ろよっ! 勝手に……消えんな……っ、居なくなんなよ……っ」


 ぎゅっと身体を抱きしめて、肩口に頭を埋める。身体は震えて、涙は止まることを知らなかった。

 返答なんて要らなかった。ただお前が此処に居ればよかった。此処にお前の存在を感じられればそれでよかった。

 すると、ふいにオレの背中に両手でがまわった。


「っ!」
「ふふ、変な人」


 お前はそう言っておかしそうに笑みを零しながら、震えるオレの背中に腕を回した。お前は、オレのことなんて知らないのに。


「でも……なんだか、泣きたくなる」


 そっと呟いたその言葉に、オレはまた涙を溢れさせた。

 ああ、こんなにもお前が大事だった。こんなにもお前が好きだった。この存在が愛しかった。それを今、肌で実感していた。


「ねえ。あなた、お名前は?」


 抱きしめるオレをそっと離したお前は、泣きじゃくるオレの頬を両手で包んで、目を合わせてきた。目の前に映るお前は、記憶の中のお前と同じように優しく微笑んでいる。


「……っ、明司……春千夜……」
「春くん」


 何度も呼ばれていたその声に名前を呼ばれて、オレはまたきゅっと眉根を寄せる。懐かしくて、もっとその声が聞きたかった。


「……もっと、呼べよ」


 もっとお前に呼んで欲しい。もっとお前の声を聞きたい。そう願って、オレはお前に言った。そんなオレを笑うことなく、お前は優しく微笑んで、春くん、と名前を呼んでくれる。その音が、声が、ただ愛しい。

 でも、まだ思い出せないことがあるんだ。まだ、オレはお前のことを思い出しきれない。だから、聞きたい。ずっと、ずっと探していた。


「お前は……? お前の、名前……」


 それは、どんな音をしていたんだろうか。その音を、オレはこの声で、口で、呼びたい。ずっと、その名前を呼びたかった。

 するとお前は、ふっと口元を緩めて、そっと小さく口を開けた。


「わたしは――」


 その音を聞いて、オレはまた泣いた。

 ああ、やっと――お前を思い出せた。


















――『ゴースト・フラグメント』了





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