03
あいつはこの世界の何処にも居ない。そう確信した。どんなに探しても、あいつはこの世界から消えてしまった。オレのせいで。
たかが日記に書かれていただけのこと。そんな非現実的な話、普通なら信じない。ただ書かれた文字を鵜呑みにしているだけだ。頭の片隅ではそう思ってる。でも、オレは確信していたのだ。
絶望感がオレの心を満たしていく。脳裏に焼き付く記憶も、あいつの声も、確かに覚えて、聞こえてくるのに、あいつは居ない。あいつの姿を見ることも、名前を思い出すことも、もう出来ない。オレは二度とあいつに会うことはできない。
その事実にただただ絶望した。開かれた日記に書かれたその文字を見下ろして、ただ遅すぎた後悔に、膝を折ることしか出来ない。
会いたい、という気持ちが強くなる。
思い出したい、という気持ちが強くなる。
その声が聞きたい、という気持ちが強くなる。
でもそのすべてがもう遅いのだと、嘲わらうのだ。
オレはその文字の形を、なんども確かめるように指でなぞる。
――この日記の力は本物なんだよ。
聞こえてきたその声に、オレははっと息を止めて顔を上げた。いつも聞こえてくる声。その声は鮮明で、オレはその声に耳を澄ませ、記憶を探った。
――春くん、この日記の力は本物なんだよ。
日記を大事そうに抱えたあいつが、自慢げにそう言って来たことの日を思い出す。あいつはにこりと微笑みながら、オレに続ける。
――わたしね、いいもの持ってるんだ。だから春くんにだけ特別に教えてあげる。
――いいもの?
首を傾げるオレに、あいつは頷いて、手に持っていた日記を見せてきた。日記は薄汚れていて、オレにはいいものには見えなかった。
あいつは言った。
――この日記に書いたことは、本当に実現するんだよ。
――どんなことでも、本当になるの。
あいつはそう言った。
まるで夢物語。子供の空想そのもので、そんな非現実的なもの、素直に信じられるほど子供ではなかった。
――なんだよ、それ。胡散臭い。
オレは全くあいつの言葉を信じず、怪訝な顔でそう言った。そんなオレを、あいつはふふっと笑う。
――でも本当なんだよ。だからこれで、わたしが春くんを守ってあげるね。
あいつは自信満々にわけも分からないことを言ってくる。オレを守るって、いったい何なんだよ。オレはそう思いながらあいつの言葉を聞き流した。すると、あいつは間を置いてから、続けた。
――でもね、これには代償が付くの。
あいつは手に持った日記を見下ろした。その時、あいつがどんな顔をしていたのかは、覚えていない。でも、次に続く言葉を、今は鮮明に思い出せた。
――誰からも、忘れ去られてしまうんだよ。
ああ、と息を吐いた。
乾いた笑みが零れた。それに頭を抱えて、そのまま目元を抑えた。目頭が熱くなって、また涙が零れてきた。乾いた笑みは徐々に嗚咽になって、強張った身体が震える。
「ふざけんな……」
絞り出すような声で、一人呟いた。
ふざけるな。ふざけるな。勝手にひとりで完結して。勝手にひとりで全部抱え込んで。勝手に、消えて。なんて身勝手だ。なんで……。
「勝手に、忘れさせんなよ……」
忘れたら――それで終わっちまうだろ。
――この日記に書いたことは、本当に実現するんだよ。
もし、あいつの言葉が本当なら。本当に、この日記に書いたことが本当に実現するのなら。なんでもいい。なんだって利用する。それに少しでも望みがあるなら。なんだっていい。馬鹿げたことをしてるって分かってる。でも、それでもいい。オレはお前を思い出したい。オレはお前に会いたい。だから、だから頼む。
涙を拭って、机に転がったペンを手に持った。ペンを持つ手は、震えていた。そのまま日記の最後のページに、オレはペンを走らせる。
『八月三十一日 あいつを取り戻す』