02
 あいつを思い出せない。それがどうしようもないくらいオレの胸を騒めかせた。忘れてしまうほどのものだった、過去のものなんだから今更思い出すことも無い。そう自分を落ち着かせようとしても、オレの心臓は鼓動を逸らせる。

 どうしてこんなに焦っているのだろう。どうしてこんなに恐ろしくなっているんだろう。オレの中にあいつの欠片がほとんどない。それがどうしようもないくらい、ただただ恐ろしいのだ。

 オレはなんとかあいつを思い出そうとした。でも出てくるのは脳裏で流れた光景だけで、新しいことはなにひとつ思い出せない。

 思い出そうとして、オレはガキの時によく歩いた家の近所や公演の周辺を彷徨った。あの頃と比べて風景は変わってしまったが、なにか思い出すきっかけになるんじゃないかと思った。でも、なに一つ思い出せない。


 ――春くん。


 どうして思い出せないのに、この声だけは聞こえる。どうしてオレを呼びかける。オレの記憶に何か問題が有るのか。オレが忘れてしまったから、この声は聞こえているのか。

 オレにだけ聞こえる声。思い出せないあいつの記憶。それが積み重なって、ただただ焦燥感に駆られて苛立った。


 ――春くん。


 ああ、聞こえてる。聞こえてるんだ。記憶の中で、そうやってオレを呼ぶお前を思い出せる。思い出せるんだ。なのに。


「……なんで……」


 お前が誰なのか分からなくて、ただ怖くて仕方が無い。





 自分一人じゃ思い出せない。そう悟ったオレは僅かな可能性に縋るように梵天の事務所にある武臣の部屋に向かった。

 兄である武臣なら、ガキの時のオレの事を知っている。なら、あいつのことも知っているはずだ。武臣を頼るのも、顔を合わせるのも本当は嫌だ。でもこの気持ちを解消できるのなら、あいつが誰か分かるのなら、使う手段は選ばなかった。

 ノックもせずに扉を勢いよく開けた。部屋に入ると、ソファに座っていた武臣がビクリと肩を揺らして、目を丸くしながらこちらを見つめていた。


「うおっ なんだ、春千夜か……珍しいな、お前が此処に来るなんて」


 驚いた武臣は大声をあげるが、オレの姿を見るとほっと息を零して、強張らせていた身体の力を抜く。それを横目で流し見ながら、フン、と鼻を鳴らした。

 武臣は「何か用か?」と続けた。相変わらず癇に障る野郎だが、用があるのに変わりはない。オレは視線を合わせる事無く、苛立ちを隠しもせず口を開く。


「あいつ、居ただろ」
「あいつ? 誰のことだ?」


 武臣は話の無いように検討が付かず、首を傾げた。それに舌打ちを鳴らして、オレは続ける。


「ガキん時、よくオレと一緒に居た奴だよ」


 オレはそう言って武臣の方に視線を向ける。武臣はまだ分かっていないのか「はあ……?」とぽかんとした間抜けな表情を浮かべていた。


「なんだ、マイキーか場地のことか?」


 武臣は記憶をたどるように視線を外にやりながら、煙草を吸ってそう言った。その答えはオレが望んでいるものではなくて、オレは声を荒げる。


「違ぇよ! 居ただろ、オレによく付きまとってた奴がよ


 怒鳴るオレに、武臣は眉を顰める。そうして再び記憶をたどる素振りを見せるが、武臣は困ったような表情でオレを見上げてくる。


「あー……誰のことだ? 覚えてねぇぞ、俺は」


 覚えていない。それは一番聞きたくなかった言葉だった。


「チッ!」


 オレは舌打ちをしてそのまま部屋を乱雑に飛び出した。背後で扉が勢いよく音を立てながら閉まり、オレは踵を鳴らしながら廊下を突き進む。

 覚えてない……嘘だろ。なんで覚えていない。あいつはそこに居ただろ。なのに、どうしてオレも武臣も覚えてない。まるで、まるで……。


 ――春くん。


「クソッ……


 まるで――あいつが幻だったかのような。


 ――春くん。


 それを自覚すると、どうしようもなく胸が痛かった。





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