謎の大火災に、人々は困惑し、街にはその噂で溢れかえり、メディアでも多く取り上げられた。死者数は、あの一帯に住んでいた人間の全てと言っていい。聖杯戦争が幕を閉じてしばらく経った今でも、世間では『謎の大火災』と言われ、いまだ原因不明とされている。真実を知っているのは、聖杯戦争に参加し生き残ったマスターたちと、それに関わる魔術師たちだけだ。神秘の隠匿にも関わるこの事件の真相が、一般世間に知られることは無いだろう。
生き残ったマスターは、衛宮切嗣、ウェイバー・ベルベット、言峰綺礼、そしてディーアだ。聖杯によって召喚されるサーヴァントは、等しくその存在を消したが、聖杯の泥によって意図せず受肉を果たしてしまったアーチャーとオジマディアスは、今でも現界している。
死闘を繰り広げ、聖杯をめぐって争った十一日間。
それは、それぞれに大きな記憶を刻みながらも、いともあっさりと過ぎ去った。
× × ×
――半年後。
その日、ディーアたちは言峰綺礼に呼び出されていた。話がしたい、と言伝を受け、二人は遠坂家へ出向いた。
アーチャーのマスターであった遠坂時臣は途中で死亡し、言峰綺礼がアーチャーのマスターになっていた。言峰綺礼は遠坂時臣の弟子であったことから、当主が失ったいま、遠坂家に出入りして代理ともいえる補佐を行っている。だから聖堂教会の拠点とする教会ではなく、遠坂家に呼んだのだろう。
ディーアたちは、遠坂家の門前で立ち止まった。辺りは静かで、どこか暗い。それもそうだろう。つい最近、遠坂時臣の葬式が行われたらしい。重苦しい雰囲気を纏うのも、仕方がないと言える。
門前で待ちぼうけを余儀なくされたディーアは、辺りを気にしてどこか落ち着かない様子で居た。できれば此処には近づきたくはないと言うのに、こんなことで出向くことになるなんて。早く帰りたい、とディーアは胸の内でぼやいた。
「あなたたち、うちに何か用かしら」
そのとき、幼い少女の声が響いた。
「あ……っ」
そこには、黒髪の小さな少女が立っていた。凛と背筋を伸ばして、気の強そうな少女。
ディーアはそれを見て、思わず動揺した。こんなところで会ってしまうなんて。
その動揺は、背後で見ていたオジマンディアスや目の前の少女にまで伝わっていた。オジマディアスは、様子のおかしいディーアに視線をやり。少女もまた、自分を見て目を見開くディーアに首を傾げた。そして少女がそれを尋ねようと口を開いたそのとき、男の声が被った。
「凛、彼らは私の客人だ」
屋敷から出てきたのは、言峰綺礼だった。ふいに、彼がこちらに視線を向けた。その視線が不愉快で、ディーアは一睨みをして視線を逸らす。それに、彼はフッと小さく笑んだ。
言峰綺礼の客人だという言葉を聞くと、少女は「……そう」と短く頷いて、そのまま自分の屋敷へ入って行った。その姿が見えなくなるまで視線で見送ると、言峰綺礼はくるりと身体を翻し、再びこちらに視線を向ける。
「待たせたな。こちらだ、あの男も待っている」
そう言うと、促すように屋敷へ腕を伸ばして、先行して歩き出した。その後を追って歩き出したオジマディアスだったが、足を止めたディーアに振り返る。
「ディーア、どうした」
「……いいえ」
屋敷を見上げたディーアは、小さく息を吐いて、足を一歩踏み出した。
呼び出された内容は、要するに今後の方針についての確認だ。
言峰綺礼やアーチャーは、次に行われる第五次聖杯戦争を待ち望んでいる。だから、それまでにディーアたちに邪魔をされるのは避けたいのだ。つまるところ、第五次聖杯戦争が行われるまでの休戦を持ちかけているのだ。
第四次聖杯戦争を終えてから半年が過ぎているというのに何を今さら、という話だが、今までディーアは傷と魔力の回復に努め、しばらく動けない状態でいた。そのディーアが回復をしたから、改めてこの話を持ち掛けたのだろう。
ディーアはこの提案に頷いた。ディーアにしても、目的のためには次の聖杯戦争を待たなければいけない。聖杯戦争が始まれば、目的の相違で言峰綺礼と敵対することにはなるが、それまでの間は休戦を結ぶのは問題ない。こちらにとっても、無駄な魔力消費をしないで済む。何せ、向こうにはアーチャーがいるのだ。下手に敵対するのは避けたい。
その後、休戦中の取り決めを話し終え、ディーアは席を立った。少しの間アーチャーに引き留められたが、途中でオジマンディアスが、アーチャーと話がある、と言い出し、二人で話す場を設けるためディーアと言峰綺礼はその場を後にした。彼はそのまま遠坂家に残り、ディーアは用は済んだと言わんばかりに、すぐさま屋敷を後にした。
屋敷を出たディーアは、ふらりと目的もなく歩いていた。オジマンディアスを置いて行ってしまったが、パスが繋がっているため、居場所は分かる。聖杯戦争が終わった今では、襲われる危険もない。
明るい朝の冬木市を歩くのは、久しぶりな気がする。聖杯戦争中も出歩いてはいたが、それは半年前のこと。聖杯戦争を終えてから今の今まで、ディーアはほぼ拠点に籠りきりの生活だったのだ。最初はすぐに回復すると思っていたが、思っていた以上に身体に負担をかけてしまっていたらしく、ベッドでの生活を余儀なくされた。
ふと、ディーアは令呪が刻まれた手を見つめた。
此処まで、魔力の回復に時間をかけるとは思っていなかった。聖杯戦争が始まる前から疲弊はしていたが、ずっと引きずってしまうとは、全くの想定外だ。どうやら、この世界は合わないらしい。身の振りようを改めて考えなければ、とディーアは胸に留めた。
ふいに顔を上げると、目の前は大火災の痕だった。気づかずに歩いていたが、此処まで来てしまったらしい。辺り一帯には、立ち入り禁止のテープが張られていて、残骸もまだ残っている。ディーアは灰になったその光景を、ぼんやりと眺めた。
「あんたも家族を亡くしたのか」
思考が止まった。
頭が真っ白になって、目を見開いた。
おそるおそる、声のした方を振り向いた。
朝焼けみたいな髪をした小さな少年。
ああ、どうして。こうも出会ってしまうのだろう。
「おれも、一夜で家族を亡くしたんだ」
少年は、じっと目の前の残骸を見つめながら呟いた。
「……そう」
ディーアは小さく頷き、視線を少年と同じように目の前に向けた。
風が吹いて、草木が揺れる。風に乗って、灰の匂いが鼻をかすめた。
「ねえちゃんは行く当てがあるのか」
少年は目の前を見つめたまま問いかけた。
「私は……」
口を開くが、続きの言葉が出てこなかった。
「貴方は、どうなの」
誤魔化すように、問いに問いで返せば、少年は気にした様子もなく、少し笑みを浮かべながら答えた。
「おれは、助けてくれた切嗣のところに行くんだ。大人なのに、なんだか放って置けなくてさ」
「……そう。良かった」
笑った少年の顔を見て、ディーアはそっと笑みを浮かべた。
「そろそろ帰んないと。切嗣のやつ、心配するだろうし」
「そうね。気を付けて帰るのよ、少年」
「おれは少年≠カゃねえよ」
少年はそう言って、こちらを見上げた。
「おれは、衛宮士郎っていうんだ」
目を細めて、笑顔を浮かべる少年。その少年の笑い方は、よく知っていた。
じゃあな、と駆けだした少年の背を、ディーアはじっと見つめた。走り去っていく小さな背は、だんだん小さくなって、ついには見えなくなってしまう。それでもディーアは、その背を見つめていた。
「ディーア!」
空を切るように、その声は風邪に乗って耳に届いた。
振り返れば、いつの間にか彼がそこに立って、こちらを見下ろしていた。
「オジマンディアス」
「用件は終わった。行くぞ」
「ええ。今行くわ」
頷いて、踵を返したオジマンディアスの後を追う。ふと、ディーアは背後をもう一度振り返った。そこには誰もおらず、少年の姿もない。あるのは、大火災で残された残骸だけ。
ディーアは前を向き直って、少し先で立ち止まってこちら待つオジマンディアスに向かって再び歩き出した。その足に、眼差しに、迷いはない。
――私は、私の目的のために、この歩みを止めることは無い。
少年が運命の日に出逢うまで、あと――十年。