宝具をその身で受け止め、強い衝撃をも受け止めたその身体は、瀕死以外の何物でもないだろう。むしろ、こうしてパスが繋がっておりまだ死んでいないのが奇跡なのだ。早く探し出さなければならない。あのか弱く芯の立ったマスターを。
「ッ、マスター、ディーアよ! 余の声が届いているのなら応えよ!」
張り上げた声が、無残な夜に響いた。
* * *
怒号のごとく響き渡るその声に導かれて、意識が浮上した。目覚めたばかりで気だるい身体は上手く動かせず、視界もおぼろげだった。けれど、確かに聞こえてくる、よく知るあの声は、しっかりとこの耳に届いていた。
「っ、ファ、ラオ・・・・・・ッぐ!」
かすれた声で、口にした。その途端、強烈な激痛が体中に走り同時に喉から血がこみあげてくる。ゲホ、ゲホッ、と咽るたび血を吐き出した。
「ッ、ディーア!」
あのかすれた声で気づいたのか、それともせき込む声に気づいたのか。どちらにしろディーアの存在に気づいたオジマンディアスは、急ぎ足で駆け寄った。
ディーアのもとへ駆けつけ、傍らに膝をつく。ディーアはギルガメッシュの宝具で腹を貫かれていた。その宝具はディーアが身体を預けている瓦礫をも深く貫いており、とても人の手をもって退けられるものではなかった。
激痛が走る身体に耐えながら、浅い呼吸を繰り返す。
「安心するがいい、マスター。すべて余に任せよ」まるで幼子を安心させるように、オジマンディアスは痛みに苦しむディーアに言葉をかけた。
とはいうが、この状況から助け出すことが難しいことは理解していた。宝具は深くディーアの腹を貫き、それを縫い留めるように背後の瓦礫にまで到達している。瓦礫を除去すれば、何とかなるかもしれない。固定された瓦礫さえなくせば、宝具は手で退けられる。しかし、瓦礫を除去する際の衝撃に耐えられるかどうかが問題だ。いま、ディーアは瀕死状態なのだ。これ以上の衝撃はまずい。
八方塞がりの状態に眉をひそめた、その時だった。
空が、赤黒く染まったのは――。
「な、なんだこれは・・・・・・!」
此処、冬木の都市に。いや、聖杯があるとされた場所を中心に、空は赤黒く染まっていた。それは一瞬の出来事だった。そして空には真っ黒な丸いナニかが浮いていた。黒く、黒く。それはまるで、全てを飲み込むようなものだった。
「せい、はい・・・・・・」ディーアもそれを見上げ、ハッと息を飲んだ。
ああ、起動した・・・・・・もう時間がない。
「ファ、ラオ・・・・・・わたしはっ、いいから・・・・・・早く、にげ・・・・・・ッ!」
「貴様、何を言っているッ!」
「アレに、飲み込まれてはッ、ダメ・・・・・・」
「ここは・・・・・・覆われる・・・・・・」浅い呼吸を繰り返しながら、ディーアはオジマンディアスに訴える。空を見上げれば、アレからナニかがあふれだそうとしていた。アレに飲み込まれてはいけない。いつの日か、ディーアが話していたことを思い出した。聖杯には、人の憎悪が詰まっているのだと。
アレが出現している場所は頭上と言っていいほど近い。此処に居ては溢れだしそうなそれに飲み込まれるのは分かり切っている。それでも、このマスターは自分を置いていけと言うのだ。全てを分かり切っていて。
それに、どうしようもない怒りを覚えた。
「・・・・・・余に。ファラオたるこの余に、逃げろと言うか」
先ほどまでの声を張っていた時とは一変し、冷静なそして憤怒が込められた、威圧的な声が響いた。
「この余に、逃げろと命じるのか」
「ファラオ・・・・・・ッ」
「頭が高いぞ。余を甘く見るでない」
射貫くような瞳が、まるで刃のように突き刺す。どうあっても、オジマンディアスは此処をどかないと、強く示してくる。もう時間はない。すぐにでもアレからあふれ出してくるというのに。
手はある。まだ、サーヴァントに行使する令呪が残っている。しかし、これを使えばオジマンディアスとの関係はおそらく決裂するだろう。だが、そうもいっていられない。
ディーアは令呪の宿った手に力を込めた。すると、その手にオジマンディアスの手が重なった。令呪を使うのだと、先を読んだのか、それはわからない。オジマンディアスは令呪の宿った手の甲を撫でると、そのまま掬い、離さぬようにと指を絡めて握った。
その行動の意味が分からず、持ち上げられた手を視線で追った。手を握ったまま、大きく温かな手のひらが、困惑するディーアの頬を撫で、優しく包み込む。それはまるで愛しむようだった。
温かく包み込む手も、優し気な視線を向けるその瞳も、すべてが慈愛に満ちていた。「ファラオ・・・・・・?」ディーアは身体の痛みすら忘れて、呆然と見つめていた。そんな彼女に、オジマンディアスは愛おしむように、そして困ったように、微笑みを浮かべた。
「そなたを1人にはせぬと、約束したであろう――」
全てを知っていたかの王は、いつの日かの約束を口にした――。
息を飲んだ。目を見開いた。まるで時間が止まったかのように感じた。
大切なもの慈しむように包み込んだその温もりに。大切なものを愛するように向ける微笑みに。遠い記憶の彼方の果てに存在したその言葉に。
頬に、涙が伝った気がした。
「――――ラーメス」
微笑みを浮かべ、彼女を抱きしめるように、その身を乗り出した。
そして、聖杯の泥が彼らを覆いつくした。