怒号が響いた。

 鼓膜が破れるほど大きく叫んだそれと共に、煩わしいほど煩い騒音が耳を刺激した。

 大人数の男の足音。地面を蹴る音。鎧や刃物が擦れる金属の音。

 戦場ではよく耳する音だ。けれど、目の前に広がる光景は、戦とは少し違う。

 ――魔女を殺せッ!
 ――悪しき魔女から国を守れッ!

 男の声に焚きつけられ、それは周りに伝染していく。波紋のように、それは広がって行く。

 ある男が、いたぞ、と声を上げ遠くを指さした。

 女がひとり立っていた。

 女は何をするでもなく、ただぼんやりとそこに立ち尽くしている。ふいに、男たちの騒音に気づいたのか、女はゆっくりと首を動かして、男たちを見やった。

 女の瞳は虚ろで、ただ目の前の光景を映し出す。

 男の言葉に、周りの者たちは弓矢を引いた。そして号令と共に、いくつもの矢が女に向かって放たれた。

 それを、女はただ他人事のように眺めている。

 放たれた矢の多くは、狙いが外れ、女の周囲の地面に突き刺さって行く。しかし三つほどの矢は、見事女の身体を貫いた。

 それでも、女は何の反応も示さない。身体に突き刺さった矢を見下ろし、肌に手を這わす。表情一つ変えない様子は、まるで人間のようには思えない。身体に這わした手に、べとりと真っ赤な血が付いた。女は自分の血で赤く染まった手を見下ろし、ゆっくりと瞬きをした。


 ――殺せ! 魔女を殺せッ!
 ――追え! 災いを絶てッ!


 男たちは剣を片手に、走り出す。

 そこでようやく女は自分の置かれている状況に気づいたのか、男たちとは反対の方向へ振り返り、おぼつかない足取りで歩き出した。しかし、今さら逃げ出したところで、意味は無い。

 追いついた男は、乱暴に女の長い髪を鷲掴み、後ろへ引っ張った。それに従って、女は体勢を崩し、地面に強く背中を打ち付ける。

 目を開ければ、何人もの刃物を持った男が、親の敵のような目をして自分を見下ろしている。起き上がろうとしても、髪を掴まれて頭は動かず、手足は刃物を突き刺され動けない。


 ――殺せ! 殺せッ!
 ――殺せ! 殺せッ!


 呪文のように、男たちは繰り返す。

 その言葉を、女はその中心でぼんやりと聞いていた。

 やがて、指揮官と思われる男が、女の目の前に現れた。その男は、携えた剣を大きく天へ掲げた。

 その時、わずかに女は目を見張らせた。

 真っ青な空が、天上に広がっていた。澄んだ青はまるで海のようで、それはそれは美しい。しかし、それよりももっと美しいものを、女は見た。

 真っ青な青空に、たったひとつ光り輝くそれがある。世界を照らし、恵みを与え、ときに天罰を下す、光輝。

 女の視界には、それしか映らない。

 女の唇が、小さく動いた。

 声にならないそれで、なにかをなぞっていた。


「――」


 そして、剣は大きく、女に振り下ろされた。






 ハッと、オジマンディアスは目を覚ました。

 視界に広がるのは、ベッドの天蓋。すでに見慣れた光景が広がっている。そこに、土埃が舞う古い時代の景色は無かった。

 オジマンディアスは、そっと息を吐いた。身に覚えのない光景だが、あの景色には少しばかり見覚えがある。思い出す限り、エジプト周辺の地域なのだろう。男たちの鎧や武器を見る限り、自分の時代ではないことがわかる。

 ふと、オジマンディアスは隣を見やった。すると、今では穏やかな寝息を立てて眠るディーアが映り込む。眠る前と比べれば、顔色が良くなっている。彼女が手に握っている魔力が込められた石は、神秘的な輝きを失い、ただの石に成り果てていた。

 手を伸ばして、柔らかい髪に指を通す。そのまま頭を撫でれば、ディーアは少しばかり身じろいだ。フッと、笑みが零れた。

 オジマンディアスは、ディーアの身体を引き寄せ、自分の腕の中に閉じ込めた。取り戻した体温が、魔力で構築された肌に伝染する。そして、オジマンディアスはそっと瞼を下ろした。

 夢で見せられた、あの光景を思い出しながら。




× × ×




 自然と目を覚ました。熱に魘されることも、痛みに起こされることも、息苦しさに目を覚ますことも無く、自然と意識が浮上して、目を覚ました。

 首を動かせば、隣で瞼を閉じるオジマンディアスが映り込んだ。あまりの近さに、ディーアは一瞬身を身体を強張らせたが、すぐさま安堵に息を零し、微笑みを浮かべた。

 ディーアは眠る彼を起こさないようにそっと身体を滑らして、横たえた身体を起こした。顔を上げて、壁にかけられた時計に視線をやる。真夜中からだいぶ時間が経っている、日の時間が遅い冬ではあるが、そろそろ空も明るくなる頃だろう。ディーアは手に握った役目を終えた石を傍らに置き、包帯を巻かれた自分の身体をなぞった。


「傷はもう良いのか」


 驚いて隣を見やれば、いつの間にか目を覚ましていたオジマンディアスが、肘を立てながらこちらを見つめていた。瞬きをしたあと、ディーアは遅れながらも頷いた。


「ええ。貴方がそばに居てくれたから、魔力も安定してる」


 ディーアはそう言って、包帯の上から傷口をなぞった。その様子を、オジマディアスはじっと見つめた。反応を示さず、ただじっとこちらを見つめてくるオジマディアスに、ディーアはこくりと首を傾げた。すると、オジマディアスは身体を起こして、ディーアの身体を支えるように片腕を背に回した。そのままディーアが驚いているのを他所に、オジマディアスは自ら巻いた包帯を解き、白い肌に褐色の手を這わした。


「確かに、表面的には完治したように見えるが」


 あれほど深き傷を負ったというのに、肌に傷跡は一切残らず、傷など知らない柔肌そのものだった。しかし、オジマディアスはそっと目を細めると、傷を負った腹部のあたりをグッと指で押した。その途端、ディーアの表情が歪んだ。


「……本調子、という訳ではなさそうだな」


 ふん、と鼻を鳴らしたオジマディアスは、ため息交じりに呟いた。それに、ディーアは苦笑を浮かべる。


「治癒は、ここまでが限界だったみたいで……」


 傷は表面的には塞ぐことはできたが、完治には至らなかった。傷口を優先的にふさいだだけで、内面はまだ治り切っていない。そう言うディーアに、オジマンディアスはベッドに引き戻すように身体を引き寄せた。


「ならば身体を休めろ」


 だが、ディーアはそれに素直に頷かず「でも、そろそろ動かないと」と、ベッドに戻ることを渋った。休息を取り過ぎた、とディーアは言っているのだろう。そんなディーアに「その身体では大したこともできまい」と鋭く言い放てば、それ以上何も言うことができなくなってしまい、ディーアは押し黙った。


「どうせ、此度の聖杯戦争の幕引きも近かろう」


 それでも渋るディーアに、呆れたように言えば、複雑な表情を浮かべて小さく頷いた。


「そう、ですね。明日には、もう……」
「なればこそ、休め。いま貴様にできることはそれだけだ」


 彼の言う通り、もう時間は無い。今さら動いたところで、なにも変わりはしないし、まともに動くのも難しいだろう。なら、最後の時まで休息して、そこで行動に移す方が合理的だ。

 ふいに、温もりが頬を包み込んだ。

 驚いて顔を上げれば、頬に彼の手が添えられていた。そのままもう一方の頬も大きな手のひらで包み込んで、指先で頬や目元を撫でられる。ディーアは困惑しながら、オジマディアスを上目遣いに見上げた。


「ファラオ……?」
「……いや」


 視線はこちらに向いているものの、視線が交わることは無い。どこか様子のおかしいオジマンディアスに首を傾げながら、ディーアはしばらく黙って彼にされるがままでいた。ひとしきり頬を撫で終えると、ぐいっと顔を持ち上げられる。それに従って顔を上げれば、影が覆った。それと同時に、額に柔らかい感触が触れる。

 身を固め、目を丸くしているうちに、オジマディアスは寄せていた身体を離して、呆然とするこちらを見下ろした。


「フ、愛いやつめ」


 くすり、と目元をやわらげた。

 それを見て、一気に全身の体温が上がって行くのを感じた。顔が燃えるように熱い。


「か、揶揄うのはやめてください……」


 顔を逸らしたいのに、両頬を包まれていて逸らせられない。手を離して、と彼の手を退けようとするが、一向に離れてくれる気配はない。

 そんないじらしい姿に、オジマディアスはまた微笑みを浮かべて、今度はその瞼に唇を寄せた。


「さあ、眠れ。この余が、貴様を守護しているのだから」


 なにも心配することは無い。

 カーテンの隙間から、眩い太陽の日差しが差し込んだ。

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