未遠川から放出される魔力の根源は、キャスターのものだった。

 周囲には、河を完全に覆い隠す異常なまでの量の霧が立ち込め、辺りからその姿を隠している。その中心には、夜闇を背景にそびえたつ、異形の影があった。深海に住まうダイオウイカでさえ、これほどの巨体は誇りはすまい。まるでこの世ではない海を支配する悪魔の姿。まさに『海魔』と呼ぶにふさわしい水棲巨獣であった。

 河の付近には民家が多く建っている。この霧に、状況を理解していない周囲の人間たちは不思議がって、野次馬のように河のほとりに集まってくる。あの怪物を目撃できる距離は限られているため、まだ一般人のパニックは一部にしか広がっていないが、それも時間の問題だろう。神秘を隠匿する魔術師のにとって、多くの一般人に目撃されてしまったこの状況は、非常に遺憾なものであった。


「なんだ、あの異形は」
「……キャスターが召喚した使い魔です」


 河へ急いだディーアたちは、高台から怪物を見下ろしていた。霧で姿を隠してはいるが、上から見下ろせばその実態が浮き出る。


「使い魔にしては、キャスターめの格≠超えてはいないか」
「確かに、いくらサーヴァントといえど使役する格≠ノは限度がある。けど、使役すること≠ウえ考えなければ、その限りではないわ」


 オジマンディアスはちらりと視線をディーアへと向けた。
 ディーアは怪物絵を見下ろしたまま続ける。


「アレは召喚されただけで、キャスターの制御下に無い。ただ貪欲に、周囲のものを喰らいつくすだけ」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、ディーアは唇を噛んだ。あの怪物が起こしうる災害は、想像するだけで恐ろしい。今は動いていないからいいが、早く対処しなければ手遅れになってしまう。その前になんとかしなければ。

 オジマンディアスは静かに怪物を見下ろした。


「あの異形がこの街を喰らいつくすのに、どれほどだ」
「数時間足らずで、この街は終わる」


 あの巨体な怪物が、本能のままに喰らいつけば、冬木市は終わりだ。

 その時、突然怪物に向かって宝剣が降り注いだ。見てみれば、向こうで金の飛行物体が浮いている。アーチャーだ。アーチャーの宝具を受けた怪物は一瞬その巨体を崩すが、すぐさま貫かれた部分を修復し、何事も無かったかのように直立する。


「ほう、再生するか」


 驚異の修復再生を目にして、オジマンディアスはそっと目を細めた。


「余の宝具であれば、一瞬にして塵と化せるが……」


 確かに、オジマンディアスの宝具であれば、あの怪物を一瞬で消滅させることは可能だろう。彼が放つ太陽の灼熱は、一瞬で辺りを火の海と化せる威力を誇っているのだから。それに加え、オジマンディアスの宝具には『対城宝具』が含まれている。間違いなくあの怪物を仕留めるには『対城宝具』以上のものが必要だ。

 オジマンディアスは怪物をしばらく見下ろし、思案した。そして首を振る。


「余が直々に手を下すには早い」


 彼はそう言って、自らあの怪物の討伐から身を引いた。こういった事態になった時、進んで前に出そうな彼だが、どうやら予想は外れたようだ。おそらく今回の聖杯戦争の参加者らを見定めたいのかもしれない。「貴様もそれで良いな」ディーアは頷き、オジマンディアスに背を向けた。


「それでは、私は彼らに協力を」
「うむ。前に出過ぎぬよう、貴様も気をつけよ」


 はい、と頷き、ディーアは高台から足を一歩前へ踏み出して、不気味な夜の闇に姿を消した。




× × ×




 一方で、怪物を目の間にしたセイバーとアイリスフィールは、ライダーからキャスター討伐のための一時休戦の申し出を受けていた。その申し出を少し前に受けたランサーはそれを承諾し、同じくセイバーたちの前に現す。その様子をライダーのチャリオットから眺めていたウェイバーは、勝手に休戦同盟を進められて、少しばかり不満そうな表情を浮かべていた。

 休戦の申し出を受けたセイバーは、ランサーとライダーに目を向け、他に休戦を承諾した者を尋ねた。それにライダーが答える。


「バーサーカーは論外。アーチャーは……声かけるだけ無駄だろう。あとは」
「私が協力します」


 その時、突然新たな人物の声が風のように通り過ぎた。

 全員が声のした方へ視線を向ければ、そこには八人目のマスターの姿があった。彼女は堂々と凛と背筋を伸ばして立っている。八人目のマスターは、聖杯戦争においては異分子だ。誰もが警戒態勢を取るなか、ライダーだけは身動き一つせず、そっと目を細めて彼女を見つめた。


「小娘、貴様のサーヴァントはどうした」
「彼は、自分が手を下すのは最終手段だと」


 ディーアの傍には、サーヴァントの姿がない。ライダーの発言で、周囲は彼女がサーヴァントを連れ添っていないことに気づく。「今のところ高みの見物か」こんな事態に、とぼやくように呟いたライダーにディーアは苦笑を浮かべた。


「戦力にはならないが、アレの情報提供はできる。貴方たちの力になれます」
「アレをどうすべきか分かると?」
「ええ」


 ライダーの問いかけに、ディーアは即答する。その回答に、セイバーたちは驚いた様子で彼女に視線を向けた。

 ライダーはじっとディーアを見つめた。それは観察するように、はたまた見極めるように。向けられた視線を受けてもなお、ディーアは目を離さず、真っ直ぐとライダーを見つめ返した。前を見据える、意志が満ち満ちた瞳。その奥に、揺らめく炎をライダーは視た。


「よし、貴様とも休戦だ」
「ああ、今はアレをどうすべきかが先決だ」
「私も異存はない。情報は一万の兵にも勝る。しばしの盟だが、貴方がたと休戦を結ぶ」


 ライダーの頷きに続き、ランサーとセイバーも承諾に頷いた。敵同士だとしても、今は目先の大敵が先決だ。殺し合う相手と、一時的とはいえあっさりと休戦を受け入れる潔さは、乱世を生きた者たちにしか分かり合えないだろう。

 サーヴァントたちが承諾をする横では、マスターであるアイリスフィールとウェイバーは少々不満そうな表情を浮かべていた。いくらキャスターを倒すためとはいえ、殺し合いをする相手と、ましてや聖杯戦争の介入者と協力なんて。二人は彼らのように潔く頷くことはできなかった。

 そんな彼らの不安と疑念を見たディーアは、困ったように笑みを浮かべた。


「どうか、そう警戒しないで欲しい。私のサーヴァントは此処にはいないが、貴方たちのサーヴァントは此処にいる。私を殺す隙はいくらでもあるこの状況に、今は飲み込んで欲しい」


 今のディーアは、誰が見ても隙だらけだ。マスターとサーヴァントが集まるなか、一人だけサーヴァントを連れていないのだから。どんなにすぐれた魔術師でも、英霊相手には無力に等しい。その状況下にいるという事実で今は信用してほしい、と伝えるディーアに、アイリスフィールとウェイバーは思案するように視線を彷徨わせた。けれど協力しなければキャスターに太刀打ちできないと、彼らも理解している。


「アインツベルンは休戦を受諾します」


 アイリスフィールは思案したのち、ディーアとの休戦を受け入れた。同意を求められたウェイバーはも承諾したが、渋々とした様子で、警戒を解かずにライダーのチャリオットの中に身をひそめた。

 休戦同盟が成立したならば、することはキャスターの討伐だ。ライダーはさっそくディーアに怪物について尋ね、彼女の言葉に耳を澄ませた。


「アレは召喚されたばかりで、魔力も充分じゃない。本格的に動き出すには、まだ時間がある」


 怪物はまだキャスターの魔力供給によって現界を保っているが、いずれ自給自足を始める。そうなれば手に負えなくなる。怪物を現界させているのは、キャスターの魔導書だ。それをどうにかすればあの怪物は消えるが、魔導書はキャスターと共に怪物の中に潜んでいる。

 そう告げれば、なら引き摺りだすしかない、とランサーが続けた。しかしその言葉に、ディーアは首を振る。


「アレの再生能力は早い。一本一本腕を切り落としてもすぐさま再生して埒が明かない」
「じゃあ、どうする。打つ手無しか」
「倒すには一つの肉片も残さずに一瞬で仕留める必要がある」


 その言葉に、彼らは押し黙った。怪物の身体は巨体だ。そんな怪物を一瞬で肉片一つ残さずに消滅させるなど、どれほどの威力が必要になるのか見当もつかない。

 沈黙が落ちるなか、ディーアはそっと口を開いた。


「対城宝具以上のものが必要だ」


 傍らでセイバーが身体を強張らせた。

 サーヴァントの宝具は、基本的には三つに分けられる。個人戦で力を発揮する『対人宝具』、集団戦で威力を発揮する『対軍宝具』、一撃で雌雄を決する『対城宝具』。細かく分ければ多く存在するが、基本的な分別はこれに該当する。キャスターの怪物を倒すためには、このうちの『対城宝具』が必要だった。

 考え込むように、ライダーがおもむろに指で顎を挟んだ。


「確かに。余の対軍宝具――『王の軍勢』では、奴を仕留め切るのは難しい」


 ライダーの宝具は『対軍宝具』だ。怪物を倒すためには威力が足りない。


「ただ、貴方の宝具は固有結界だ。一時的にアレを結界内に引きずり込んで、足止めはできる」
「ふむ……」


 思案するライダー。重い沈黙が流れるなか、ディーアは静かにセイバーへ視線を向けた。固く姿を隠した剣を握るセイバー。ディーアはその姿に、そっと目を細める。


「よし、小娘の策に乗ってやろう」


 ライダーの声に、全員が始めるように彼を見上げた。それは、ライダーがあの怪物の足止め役を引き受けるということ。


「あのデカブツを取り込むとなると、せいぜい数分が限度。その間にどうにかして――英霊たちよ、勝機を掴みうる策を見出して欲しい」


 いくらライダーの固有結界でも、怪物を取り込むには限度がある。それに加え、一人一人が英霊として召喚された軍勢であろうと、怪物の足止めには厳しい。

 ライダーはチャリオットに乗るウェイバーを摘まみ上げて、此処に残るよう伝えた。固有結界を張っている最中は、完全に現実と隔絶される。外の状況が分からないライダーに状況を伝えることができるのは、令呪を持つマスターであるウェイバーだけだ。伝言役を言いつけられたウェイバーは不服そうにしながらも、状況を受け止めて真摯に頷く。

 改めてチャリオットの手綱を握り、ライダーは背中越しに後を託した。


「セイバー、ランサー、後は頼むぞ」
「……うむ」
「……心得た」


 重々しく、セイバーとランサーは頷く。わずかな時間稼ぎの間に、打開策を思いつく見当が付いていなかったのだ。

 ライダーが剣を抜き、空へ大きく掲げた。雷が轟く。その空をチャリオットが駆けた。その次の瞬間には、大きな背中は怪物と共に姿を消し去った。

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