――暗闇の中にいた。

 そこには誰もいなし、なにも無い。
 空間だけが広がるなか、私≠ニ言う存在はどこまでも落ちていた。

 いや、実際に落ちているのかは分からない。
 この空間には右も左も存在しなくて、上も下もない。私≠ニいう存在が落ちているのかも、もしくは留まっているのかも、横たわっているのか、立っているのかすらも分からない。

 そんな場所で、私≠ヘ長いあいだ漂っていた。

 いや、長い≠ニいう言葉は適切ではない。
 この空間には、時間の概念も無いのだ。一瞬も無い永遠の時間。此処はそういう場所だ。

 そんな場所に、私≠ヘただ在った。

 私≠ニいう存在するら闇に包まれて分からなくなるなか、漂って、流されて、落ちていく。

 そんな何処かも分からない暗闇に、光が差し込んだのは、いつのことだっただろうか。その輝きは、星のように輝いていて、暗闇を全て焼き払うような強い光ではなかったけれど、それでも眩いその光は、まさに希望≠ニ呼ぶにふさわしかった。

 私≠ヘ縋るような思いで、それに手を伸ばしていた。

 果たして私≠ヘ、それを掴むことができたのか。それを手に入れることができたのか。

 それは、もう――遠い過去の記憶。




× × ×




 ゆっくりと瞼を上げた。

 目を開ければ、目の前には見慣れた天井が視界に広がっていて、ディーアは天井のシミを数えるようにじっと見上げていた。

 眠りから覚め目を覚ましたというのに、あまり起きた感覚がない。眠っていたような感覚も無くて、ただ時間だけが過ぎただけに感じた。けれど、眠れた感覚が無いからと言って、身体の疲れが取れていないわけでも眠たいわけでも無かった。

 ディーアはそっと小さく息を吐いた。


「目が覚めたか、ディーア」
「……おはよう、カルナ」


 ディーアが目を覚ましたことに気づいたカルナが、すぐ傍で霊体化を解いて、まだベッドに横になったままのディーアを覗き込んだ。

 おはよう、と言えば、淡泊なおはようが返ってくる。それにくすりと笑って、ディーアは上半身を起き上がらせた。


「ちゃんと休めた?」
「ああ。オレは宝具を使用したわけではないからな、魔力の消費は他の者に比べて僅かだ。問題ない」
「そう、なら良かった」


 昨夜の血戦で、サーヴァントやマスターたちは魔力を多く消耗させたことだろう。無尽蔵に再生される触手に、分厚い肉の壁、そして尽きる事無く供給される魔力。そんな桁違いの怪物に、サーヴァントたちは宝具をもってしても苦戦を強いられた。それほどキャスターが召喚したあの怪物は手強い相手だった。

 しかしあの血戦のおかげで、この聖杯戦争に召喚されたサーヴァントたちの情報をさらに得ることができた。ライダー――征服王イスカンダルの固有結界宝具の限界、セイバー――ブリテン王アルトリアの対城宝具。それらの情報は、何度も並行世界を渡るディーアにとって欠かせないものだ。

 ベッドから抜け出して、紅茶や食事を準備したテーブルにつく。向かいの席にはカルナが座って、ディーアはミルクティーの入ったティーカップを持ち上げる。

 昨夜の血戦では、誰もが消耗し、これ以上の争いを避けようとしていた。しかしそこをあえて狙って攻め込んだのか、ランサーはセイバーによって聖杯戦争から脱落し、またそのマスターも殺害されたらしい。知らせを聞いただけで詳しい内容までは分からないが、セイバーのマスターである衛宮切嗣は魔術師殺しだ。それと絡んでいるのだろう。また予想外なことに、監督役である聖堂教会の言峰璃正が殺害された。監督役と教会は、本来聖杯戦争における唯一の不可侵領域だが、それが何者かによって破られたのだろう。

 聖杯戦争というものは血生臭く、誰もが真っ当にルールを守るような催しでも無いが、この第四次聖杯戦争はいささか酷いものだ。


「……聖杯は、サーヴァントの魂で成り立っている」


 ぽつり、と独り言のように呟いた。

 それに気づいたカルナが、不思議そうに首を傾げて「どういうことだ?」と問う。


「少し考えてみたの。この世界の聖杯について」


 ディーアはそう言って、くるくると手に持ったティーカップを揺らして中に入った水面を見つめながら続けた。


「願望器を簡単に作り出すことはできない。大魔法陣や儀式だけでは、満足に至らない。聖杯としては不完全だ。そして聖杯には、英霊を召喚するシステムを有している」


 聖杯戦争における『聖杯』は、様々な形がある。月そのものであったり、魔法陣であったり。なにも杯の形をしているわけではない。どの聖杯戦争においても『聖杯』の定義はそれぞれ異なる。


「そう考えると、足りない部分を英霊の魂で補っているのかも」
「英霊の魂、か」


 繰り返すカルナの言葉に、ディーアは頷く。


「純度の高い英霊の魂を魔力として回収して、膨大な魔力の塊である聖杯を作り出す。そういう意味で、この世界はサーヴァント同士を殺し合わせている」
「なるほど。英霊の魂で補うか。確かに、七騎もの英霊がいれば可能だろう」


 つまるところ、この聖杯戦争における『聖杯』はまだ未完成なのだ。それを完成させるために、召喚した英霊を殺し合わせ魂を回収し『聖杯』として昇華させる必要がある。勝利した最後の一騎に、あらゆる願望を叶える聖杯が与えられる、と騙して。


「今は三騎、か」


 カルナの言う通り、すでにアサシン、キャスター、そしてランサーが退場した。七騎のうち三騎を失い、残りは四騎のサーヴァント。半数まで数を減らしたこの聖杯戦争は、そろそろ終盤へと向かっている。

 ディーアは見かけだけの平穏を、そっと窓から見つめた。

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