「ちゃんと聞いてみた方が良いと思うよ」
「そうですかね…」
「そうよ、それが原因で擦れ違ったら嫌じゃない」
「確かに」
慣れない恋愛事をそろそろと話せば、アンズさんはそれはもう的確に、すっぱりはっきり助言をくれた。
あれがどうとか、これがそうとか。私の場合は、とか、違う子の場合は、とか。
今まで色恋なんて興味の無かったのに、急に色味を帯びていく。
「それでね、」
アンズさんがもうひとつ話題を出してくれようとした時、机の上に置いた携帯がかたかたと音を立て、着信を知らせる。
「あ」
「蒼志?」
「はい」
「ちょっと貸して」
さっと簡単に彼女は俺の携帯を取り、通話ボタンを押してあっという間に出てしまった。
でも蒼志だろうから。
止めるのも、憚られて。
ころころ、綺麗な声。
「もしもーし、…何よ、機嫌悪いのね、……はいはい、ごめんね、すぐ帰すから、…それより、ちゃんと報告してよ………ん、わかった、変わるね」
アンズさんの携帯を持つ手が、その声が、少しだけ、震えてるような気がした。
…そう、だよなぁ。こうやって、俺と、普通に話してはいたけど、そういうことが、あったんだから。
「はい、司ちゃん」
「すいません」
渡された携帯を受け取って、耳をつけるとすぐに蒼志の不機嫌な声が聞こえた。
『今、どこだ』
「大通りの喫茶店?みたいなとこ、ごめん、すぐ帰るから」
『迎え行く』
「桜は?」
『今寝てる』
「じゃあ桜と待ってて、もし蒼志が出た後起きたら可哀想だから」
『司』
「うん、ほんとにすぐ帰るからさ」
『……わかった』
納得したのかしないのか、いやでも、すぐにでもここを出てダッシュで帰らないと、本当に来てしまいそうだ。
「私が出たから心配しちゃったのかしら」
「どうでしょう」
俺の様子にアンズさんも察してくれたのだろう、すでに荷物を纏めて、いつでも店を出れるようになっている。
「ごめんね」
「いえ、俺も長々と、すみません」
三十分、が、いつの間にか一時間経ってたようだった。
そりゃ電話もかかってくるか。
「違うの」
「え?」
「ほんとはね、きみに意地悪しようと思ってた」
会計の札を持ってアンズさんが席を立ち、慌てて追いかける。
お金を渡そうとすればいらないと言われてしまった。
「じゃあ、次会った時、奢ってね」
「はい、」
「その時は蒼志と、あ、あと桜ちゃんも一緒に、お茶しましょうね」
そう言われれば、頷くしかない。
もう二度と会わない訳じゃないんだ。
今日聞けなかったことも、言えなかったことも、話せる。
俺は、このアンズさんという人を、嫌いにはなれなかった。
「馬鹿らしくなっちゃったのよ、私、…やっと踏ん切りがついたって、感じかな」
店を出て、別れ際。
アンズさんはあの綺麗な爪をした手で、俺の頭を一度撫で、笑って、背中を向ける。
遠い後ろ姿、スカートから覗くストッキングで覆った脚に、赤いケロイドの跡を見つけた。
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