プロローグ
今でも鮮明に覚えている。地響きと共に家屋を揺らすほどの獣の咆哮を。黒煙を上げながら真っ赤に燃え上がる家を。
『まっすぐ北へ、北の湖へ逃げなさいクロエ』
『早く! 逃げてクロエ!』
春の暖かな陽だまりのように、優しかった父と母の最期を。
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500年前、人々は脅威に晒された。凶暴化した魔物が突如出現し、次々と見境なく人々を襲ったのだ。当時は大小100を超える国や集落があったが、そのほとんどが滅びてしまった。
苦境に立たされる中、甚大な被害を受けつつも巨大な防壁を築き上げて難を逃れた国。壁を築くだけの余裕がない集落は、日々襲いくる魔物を狩りながら生活していた。
星の暦1666年3の月、今から16年前のこと。一つの集落が滅びた。
大陸の西部に位置する深い森の中にあった、人口が10人程の小さな名もなき集落だ。その集落は存在すら知られていなかった。
森から上がる黒煙に火事かと駆けつけた近隣国のラインハルト王国小隊とリステアード帝国小隊は、あまりの惨劇に目を見開いた。何かに食い殺された人の残骸が、至る所に散らばっている。
ただの火事ではなく、魔物によるものだと断定した直後。耳を劈くような咆哮が北の方角から聞こえてきた。
それにいち早く動き出した茶髪の青年は、魔物に襲われる直前の幼子の姿を捉えた。
「ケルベロスがなんでこんなとこに……」
ケルベロスーー上から三番目のAランクに分類される炎の猛獣だ。三つの獅子のような頭を持ち、四足歩行する体長5メートルほどの魔物のはずだった。
しかし、目の前の魔物は倍近く大きい。それに、生息域は大陸から遥か南にある海に浮かぶ火山島ヴォルケーノのみで他に確認された事例はない。
咄嗟に青年はケルベロスの弱点である水魔法で檻を作り、ケルベロスの動きを封じた。幼子を抱きかかえて、遅れて来た小隊の一人に預ける。
「アインス、アレは恐らく皮膚硬度も並じゃないわ……SSに分類されてもおかしくない」
「国王様が騎士団だけじゃなく、ツヴァイ隊長とドライ副隊長まで駆り出した読みは今回も合ってたわけか」
茶髪の青年アインスは、苦々しげな表情でケルベロスを睨みつける。水の檻が破られるのも時間の問題だ。
「ドライ、どう?」
ツヴァイは隣にいるおさげ髪の少女、ドライへ声をかけた。
「あの子の他にはもういないみたい」
閉じられていた目が開き、空色の瞳が覗く。
薄く伸ばした雷魔法で静電気の動きを察知し、生体反応を探知していた。電流を探ることで、地形もある程度把握することが出来る。雷魔法と緻密な魔力コントロールを得意とするドライだからこそ出来る高度な技だ。
ふわり、と静電気で浮いていた銀色の髪が肩に落ちる。
「そう……ドライ、アインス、援護よろしく」
ツヴァイと呼ばれた妙齢の女性は、そっと目を閉じ祈りを口にした。せめて死後の世界では安らかであるようにと。
「グォオオオオオッ」
ケルベロスが水の檻から力ずくで這い出ようとしたところへ、前触れもなく氷の杭が前足に突き刺さる。
「待ても出来ないのかしら、躾がなってないわね」
「さすがツヴァイ隊長、あれだけの氷魔法を詠唱なしっすか」
「いいえ、刺さり方が甘いわ……」
冷ややかなアイスブルーがケルベロスを見据える。炎に氷魔法は相性が悪いはずなのだが、溶かされることなく後ろ足にも容赦なく氷の杭が打ち込まれた。
ケルベロスを討伐するには四肢の動きを封じ、三つの頭から吐き出される火炎を水魔法で打ち消しながら、光魔法で心臓を串刺しにするしかない。
SSランク相当と見なしたツヴァイの判断は正しかった。先知の能力を持つ王からの緊急任務、それも国の外の名も知らぬ集落に三人も送り込むとは、ツヴァイは不敵に微笑んだ。
先に騎士団員たちを帰すつもりでいたが、帰路に魔物が出ない保障はなく、居合わせたリステアード帝国兵が見当たらないのも怪しい。
集落には戦闘痕がいくつかあった。あの子どもを前にしたケルベロスの動きが鈍かったのも、それまでに体力を削られていたのだろう。それほどの手練れがこの集落にいた。
なのに知られていなかった。隠れるように、危険な壁の外に住んでいる。
騎士団員の腕で気を失っている子どもは、恐らく神の寵愛を受けた子《ディアリーベ》だろう。あるいは、この集落にいた全員がそうだったのかもしれない。
「色々と調べる必要があるわね……ドライ!」
「わかってる、詠唱する時間稼いで」
「アインス、頭は任せるわ!」
「簡単に言ってくれますね、了解っすよ」
ツヴァイとドライは同時に詠唱を始めた。詠唱を完全にすればするほど魔法の威力も上がるが、その間が無防備になる。
動きを封じても、三つの頭からは絶えず炎魔法が飛んでくる。それらを水魔法で打ち消しながらケルベロスの口へ水を撃ち込み、アインスは隙を見て体勢を整える。
「囲め、沈め、奪え、溺れろ……水牢《アクアキューブ》」
アインスが詠唱すると、ケルベロスの頭に四角い水の箱が出来上がる。ただの水ではなく、アインスが放つ水牢は相手の魔力をエネルギーに対象の自由を奪う。
発動までの詠唱を短くした代償に、水牢を創り出す魔力消費が激しい欠点がある。
「はぁ、もう無理……あとはよろしく」
高密度の膨大な魔力が練り上げられ、パリパリと溢れ出した魔力が音を立てる。一点集中型の攻撃魔法で、最上位の光魔法と雷魔法の詠唱が完了していた。
「光の裁き《スターライト》」
「……電磁砲《レールガン》」
威力で他の魔法に劣る光魔法があのケルベロスの皮膚を貫通するように、最も強い雷魔法で通り道を作り確実に仕留める。常人には真似出来ない芸当だ。
ケルベロスは黒い塵となってボロボロと崩れていき、程なくして跡形もなく消滅した。
「はー……王命任務初でいきなりSS擬きの相手きっつ……」
「いい働きだったわよアインス」
「どーも……で、あの子どもどうするんですか?」
「保護して異常がないかフィーアに診察させる」
「街中の医者じゃないってことは俺の見間違いじゃないってことか……琥珀色の目、神の寵愛を受けた子《ディアリーベ》なんでしょ?」
少し離れた位置に避難している騎士団員たちには聞こえないように、声を抑えて話を続ける。
「今回の件については不可解な点が多いわ」
「誰かが意図的にケルベロスを召喚した、と考えるのが妥当か」
「この集落についても調べたいところだけど、ドライの探知に何も引っかからないなら希望はないわね」
「帝国の動きがきな臭いが、証拠がなけりゃどうしようもないですもんね」
騎士団員から子どもを引き取り、一行は急いでラインハルト王国へと戻った。