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▼ それが愛ならば

『お前のことを愛した覚えは一度もない』
 誰よりも優れた『九条家』の人間になれば、認めてもらえると――愛してもらえると信じていたのに。



「っは……は、ぁ……はぁ……クソが」

 ここ数年見ることのなかった夢。いや、悪夢と言うべきか。昔の記憶はとっくに捨て切ったのだと九条は思っていた。
 九条自身を囲むように差し伸ばされた手。反響する優しい言葉。優しさで甘く塗り固められた嘘。それらは酷く幻想的で、吐き気がした。
『愛をたくさん知って、皆に愛される子になれるようにってあなたの名前を付けたのよ愛知』
 皮肉なものだと思う。自分の名前すらも拒絶すべき対象と成り果ててしまったのだから。その名前を付けた人しか、九条愛知という存在を愛してくれなかった。何の付加価値も身に付けていない状態の九条を愛するだけ愛して、九条が小学生になったと同時に永い眠りに就いた。
 病に侵されていたとは思えない程、安らかな表情をしていたのを、無表情で見送ったことは覚えている。
『うそつき』
 悲しいと思うのに、何故か涙が溢れることはなかった。心臓の辺りをぎゅっと掴まれたように、息苦しくて痛いと感じた。涙の代わりに零れたのは、彼女を責める言葉だけで。
『愛してる』
 その言葉が口癖であるかのように、毎日欠かさず彼女は微笑みながら幼い九条に言うのだ。抱き締めながら、溶けてしまうのではないかと思う程に、甘く優しい声で彼女はその言葉を口にする。
『 してる』
 いつからか、その言葉は聞こえなくなった。聞きたくなくなった。
 汚くて、欲に塗れていて、周りが創り上げた九条愛知という男にしか向けられなくなったその言葉が、憎くて仕方がなくなった。軽々しく発せられるその言葉の中身は空っぽで、いくら与えられたところで満たされることもない。
 九条は顔を手の平で覆ったまま、渇いた笑い声を漏らした。あの男の言葉は、それだけは、他とは違った。

「正気に戻れよ、俺にそんなものは必要ない」

 不意に脳裏に浮かんだ人物を振り払う。ずっと欲しいと思っていたものがすぐ近くにある。それなのに、こんなにも遠い。九条自らそれを突き放してしまった。
――あれは、毒だ。
 何も聞こえないと、耳を塞いでしまわなければ。そうしなければ、空っぽな中身などすぐに浸食されてしまう。
 まだ、間に合う。一人で立っていられる。そう自分に言い聞かせる。

「いいか、お前は未来の九条を背負う人間だ」

 迷いを振り切るように、言われ続けてきた言葉を呟く。愛が欲しい、と叫んでいる自分を、再び心の奥深くに閉じ込めた。



「九条会長?」

 鈴宮の呼ぶ声で、はっと我に返る。周りを見れば、鈴宮以外にも、心配そうに見つめる三人分の視線があった。

「大丈夫かい?」
「……問題ない」
「そう、……なら良いんだ」

 何かと目敏い鈴宮のみならず、他の役員にまで様子がおかしいことを気付かれるとは、完全なる失態だ。かなり長い時間、上の空になっていたのだろう。
 昨日ここへ天久が来ていたのだから、あの時間には必ず居たはずの鈴宮は、天久との間で何かあったと気付いているに違いない。怪訝そうに見ていたことを悟ったのか、鈴宮はやれやれと溜息を吐いた。

「全然大丈夫じゃないね、九条会長」
「どういう意味だ?」
「僕はこれでも一応副会長だし、一番年上だからね。自分なりに出来る限り、周りのことを見て動いているつもりだよ」

 そのことに関しては、九条も認めざるを得ない。采華も岸も新しく入った楽市も、鈴宮にべったり懐いているのはよく分かる。

「それはもちろん九条のことも例外じゃない。九条も可愛い後輩だ。すごく生意気で性格も捻くれてるし、嫌なヤツだなとか思っちゃったけどね」

 その発言に、鈴宮以外の役員達が一斉に顔を青褪めさせたが、構わず鈴宮は発言を続けた。

「別にさ、会長だからとか九条家の人間だからとかどうでもいいんだよ。ご機嫌取りなんてしたくないし、ぶっちゃけ九条がもっとふざけたヤツだったら会長になってたの僕だし、僕は完璧すぎる九条のことが嫌いなんだよね」

 ピシリ、と固まる。直球すぎる発言を咄嗟にフォロー出来ず、オロオロと狼狽える役員達を尻目に、九条は無表情のまま鈴宮から視線を外さずにいた。

「で?」

 鈴宮の話の続きを促す。それに対して、鈴宮は少し頬を緩めて、はっきりと言い切った。

「今の九条はさ、人間らしくていいよ。嫌いじゃない」

 敢えて『好き』とは言わない距離の取り方が、九条への気遣いを見せる。そのことについては、九条も察していた。

「いくら媚売ろうが評価は上がらねぇからな」

 だから、わざと皮肉っぽく返す。仕事さえきっちりやってくれれば他に求めることはない、というのは本心ではあるが。

「素直じゃないねぇ」
「無駄口叩いてる余裕があるなら、そこに置いてある書類片付けろ」
「それはこの前、九条会長がお楽しみで休みだった時のでしょう? あと判子だけで終わりだよ」

 パラパラと紙をめくる。確かに必要事項は全て記入されており、会長のみが持つことを許されている判を捺すだけの状態だ。してやったりな顔で鈴宮と采華が九条を見る。非常におもしろくない。

「……そういや、クソ風紀は資料取りに来たのか?」
「天久委員長? そういえば今日はまだ見ていないね」

 あれだけ負担をかければ、頑丈そうな天久でも回復には時間が掛かるだろう。天久がこれで離れていけば喜べるはずなのに、モヤモヤとした気持ちが残る。だからと言って、あれだけレイプ紛いのことをした相手に対して、まだ愛してるなどと言えるのなら、それはそれで扱いに困る。

「俺が戻るまでに今日の書類まとめとけ」

 九条は風紀に渡す資料を持って席を立った。ついでに職員室へ持って行く書類も手に取り生徒会室を出る。
 多少風紀委員会や生徒会顧問と話をすることがあっても、往復一時間も掛からないで九条は生徒会室に戻ってくる。そう弾き出されたタイムリミットに、室内は一瞬静まり返った。

「……手分けして急いでやろう」

 時計を見ていた鈴宮がそう声を掛け、一斉に書類の山へと手を伸ばした。
 しかし、一時間経っても、二時間経っても、九条がもどることはなかった。



 生徒会室を出て、風紀室へ資料を運び、職員室にいる生徒会顧問へ書類を渡し終えた九条は生徒会室に向かっていた。この時、生徒会室から出て四十分程経っていた。
 生徒会室まであとはエレベーターに乗って上に行くだけの位置。端の方にある位置関係とこのエレベーターを利用する人が限られている為、この辺りはそんなに人が通ることがない。
 エレベーターの扉が開くと同時に、背後に気配を感じて九条は振り返ろうとした。

「ハァイ、九条会長。ご機嫌いかが? ってな」
「ぐっ……」

 ドゴ、と鈍い音が鳴る。脳が揺れるような衝撃と激しい痛みが九条を襲った。
――あぁ、罰でも当たったか。
 そんなことを思いながら、九条はぐしゃりと床に崩れ落ちた。





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