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▼ 愛よりも 02

 寮の最上階、その一番奥の部屋。天久はその部屋のチャイムを鳴らした。ピンポーン、と気の抜ける間延びした電子音。しばらく待って、もう一度鳴らす。中に人が居るのかどうかさえ怪しく思える程、何の音沙汰もない。
 天久はもう一度チャイムへ指先を伸ばし、今度は連打し続けた。電子音は間延びすることなく途切れ、耳障りな騒音と化している。
 ガタン、とそれを上回る衝撃音が部屋の中から聞こえて、天久はチャイムから手を離した。それと同時に勢いよく扉が開かれる。

「うっせぇんだよ!」
「さっさと出てこない方が悪い」
「はぁ? って、何勝手に入ろうとしてんだよ」
「見られちゃ都合の悪いモンでもあんのかよ」

 押し返そうとする九条の両腕を掴み、天久は部屋の中へと押し込んだ。徐々に青臭い臭いが濃くなっていく。
 天久は九条の天敵とも言える存在である。風紀委員会を統率する実力も、人望も、自信も、何もかも九条に引けを取らない。傲慢とも取られることの多い天久の言動も、天久という人柄をよく知る人物にとっては、非常に心強いものである。
 しかし、九条はそれが気に入らないのだ。風紀委員会のみならず、天久のリーダーシップは発揮される。天久が九条の隣に並ぶということは、それは暗に、九条の名を持ちながら明確な差を付けることが出来ていない事実を突きつけられているようで。
 天久が風紀委員長になってから、九条の絶対王政は崩れ始めた。学園内で唯一、九条からの命令に背き反抗し、九条に対して本気で愛を叫ぶ。それが、天久一成という、九条が最も嫌悪し苦手とする男であった。

「これ以上踏み込むな!」

 天久に捕らわれていた両腕を、渾身の力を振り絞って突き返す。天久が体勢を崩したところを見逃さず、腹部を足で踏むように蹴り飛ばした。この男の声に、目に、鼻に、感覚に、記憶に、少しでも自分に関する情報を与えたくなかった。いっそ今の転倒で頭でも強打して、綺麗さっぱり記憶を消せばいいとさえ考えていた。
 背面からフローリングの床に叩きつけられるように倒れた天久を見下ろす。派手な音はしたものの、思い通りにはなっていないようで、天久は無駄に余裕に満ちた不敵な笑みを浮かべている。

「過激だなぁ?」
「さっさと帰れクソ風紀」

 まだ床に倒れた状態のままでいる天久の手首を掴んで、そのまま外へ引きずり出す。あっさりとそれは実行することができ、不審に思った九条はもう一度下へ視線を下ろした。何かしら行動を起こされて、一筋縄ではいかないと踏んでいたのだ。
 黒い短髪と形の良い丸い頭頂部がよく見える。跳ねた髪の毛は、本人曰く、寝癖を直していないだけだと一方的に喋っていたこともあった。そんなことを思い出したところで何の役にも立たない上に、聞き流していたはずの内容を覚えていた自分に九条は動揺した。

「……またヤってたんだろ。それもついさっきまで」

 ぽつり、とぎりぎり聞き取れる程度に小さい声。それでも、九条には十分すぎるくらいにはっきりと届いた。

「それで? また説教でもするつもりかよ」
「九条、お前は気づいてないんだな。俺が一世一代のプロポーズをしてから手癖酷くなってんの」

 天久が見上げるように首を反らす。九条に負けず劣らず整った顔が見える。その顔に見えるのは歓喜だ。ゆるりと弧を描いた口元から赤い舌が覗いた。
――やめろ、やめろ、近寄るな。
 掴んでいた腕を放り投げる。この男の手が届く前に、その手を切り落とさなければならない。そうしなければ、今まで築き上げてきた全てを覆されてしまう。
 何の為に自分の首を絞めてきたのか。周りが求める理想の九条愛知となる為に、何度自分を捨ててきたのか。その全てがいとも容易くビリビリと破かれてしまう。

「俺を選べよ、九条愛知」
「ハァ? 何、説教でもしてるつもりかよ風紀委員長サマ」
「虚しくないのかって言ってんだよ」

 胸倉を掴まれ、強引に目を合わせられる。目を逸らしてしまいたいと思う本心と、目を逸らしたら負けだと思う作り上げた本心が、九条の中でぶつかり合う。

「俺のことを愛してる? ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ」
「ふざけてなんかねぇよ」

 真っ直ぐ九条を見つめる天久の目には曇りひとつなく、しっかりと九条を捉えている。九条には全く理解が出来なかった。どうしてそこまで真っ直ぐ前を見ていられるのか、簡単に愛してるなどと言えるのか。
 これ以上、無駄口を叩けないようにしなければ――二度とこんな戯言を口にしないように。

「……なら、俺がヤらせろっつったら足開くのかよ」
「お前が望むなら構わない」

 迷わず即答した天久に、九条は目を丸くした。ここで退くと踏んでいたのに、逆に相手がどれだけ本気であるのかを思い知らされてしまっている。

「なんなら、今から俺の部屋でヤるか?」

 嫌がる素振りすらない。貪欲に、着実に、天久は九条を手に入れる為なら、手段を選ばないらしい。
 天久が無防備にも両腕を広げて九条を待っている。何とも思わなかった――思わないように封じ込めていた――ただただ真っ直ぐ向けられる熱は、九条にとってはくらりと目が眩む程に強すぎるものであった。
 本気で天久が九条に対して攻めていることは、もうとっくに九条は気付いていた。だからこそ、その手を取ってしまえば、既に捨てたはずの感情も満たされることは理解していた。徹底的に九条のことをリサーチして、九条の僅かな隙間にも入り込んできた天久が、九条の変化に気付いていないはずがない。それでも、最後の選択肢だけは九条に残しているその優しい束縛は、完璧だと称される九条でさえ絡め取る。
 肯定か否定かの二択しかない簡単な問題の答えが分からない。今までは、迷わず即答で答えることが出来ていたというのに、この問題だけは解けなかった。

「立て、クソ風紀」

 愛されることも、愛することも、どうすればいいのか分からない。この男は、どこまで酷い仕打ちをすれば折れるのか。そんな都合の良いことを吐かなくなるのか。
 天久が伸ばした手を握ってしまったら、もう元には戻れないと分かりきっている。九条が何か企んでいることは、天久も分かっているはずなのに、愛おしそうに九条を見つめる。
 恐ろしい、と思わざるを得ない。ここまで天久が九条に入れ込む理由を、つい訊いてしまいたくなるくらいには。頭のネジが緩んでいるからという理由の方が、まだ可愛げがある。捻くれ曲がった性格をしていることは九条自身も自覚している。だからこそ、天久の手を弾いて、嘲り、笑ってやった。

「俺なんかに惚れちまった、お前が悪いんだからな」




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