04
「……編入生、お前とは会った覚えがねぇんだが」
突然やってきて親しげに話しかけてきた男は、資料で見ただけで実際に会った覚えはない。瑛は訝しみながら相手の出方を窺う。
そう反応をされると分かっていたかのように、碧は苦笑しつつ冷静に会話を続けた。
「あーちゃんは覚えてるよな?」
その言葉に瑛は目を見開いた。
「なんでお前が知って……」
「俺があーちゃんだから。約束守って瑛に会いに来た」
瑛は目の前にいる碧とあーちゃんが同一人物だと全く思えなかった。
「お前ふざけんなよ、あーちゃんがお前な訳がねぇ! 第一あーちゃんは女だぞ」
「昔はよく家族や、特に姉さんの趣味でスカートばっか着せられてたし、背もだいぶ伸びたからな。本当に俺のこと女だと思ってたんだマジかよ」
「あーちゃんには兄しかいないはずだが?」
瑛は碧の前髪をバッと上げて顔を見た。すると、現われたのは整った綺麗な顔立ちをした男前。生徒会メンバーと一緒にいても、引けを取らないくらいの美形だった。
目の色は深海のようなダークブルー。額にはうっすらと二センチ程の傷痕。
周りにいた生徒達がざわついた。
「なっ……!」
瑛はこの目の色に見覚えがあった。昔、瑛が深い海の色みたいで綺麗だとあーちゃんに言っていた色だった。
何より驚いたのは額の傷痕だ。あーちゃんが一度、転んだ拍子に額を思い切りぶつけて怪我をしたことがあった。その時の傷痕と一致している。
「兄? もしかしてみぃのことか?」
「そうだが……」
「みぃは姉さんだ。かなり男勝りだし言動も男っぽかったけど。瑛はいつも会ってるんじゃないか? 煌海深雪に」
「深雪? ……まさか理事長の秘書か!?」
「そうそう」
瑛と碧だけで話が進んでいて、周りは全くついていけていない。だが、碧が瑛にキスをした瞬間、食堂は悲鳴に包まれた。
「んっ!? んぅ、ふっ……はぁっ…はな、せ!」
次第に深くなっていき、周りは顔を真っ赤にしながら、穴が開きそうなくらい二人をじっと見ている。瑛はなんとか碧を突き飛ばし、口の周りを手の甲で拭いながらキッと碧を睨んだ。だが、今の瑛にあまり迫力はない。
「何しやがる!」
「よくちゅーしてただろ。挨拶と俺のものっていう牽制」
「おいちょっと待てふざけんな! 俺は誰のものにもなる気はねぇ!」
「昔約束しただろ。大きくなったら結婚しようって」
「それは女だと思ってたからで……っていうかお前男同士だからな?」
「男同士でも結婚できるぜ」
「そういうこと言ってんじゃねぇよ!」
二人が言い合っている間にも、食堂は阿鼻叫喚の巷と化した。
「公衆の面前で何やってるんですか! 特に編入生、常識を考えて行動出来ないのですか? こんな場所で瑛に手を出すなんて騒ぎになると分かるでしょう?」
「あー、すんません。瑛にやっと会えたんで嬉しくてつい」
「つい、じゃないでしょう!」
いち早く正気に戻った那智が注意をするが、反省の色はまるでない。
とにかく騒ぎを治めなければ、と生徒会が動き出そうとしたところで、食堂のドアが勢いよく開け放たれた。
「お前ら静かにしろ! 反省文をクソほど書かされたくなかったら今すぐ黙れ!」
しん、と治まる気配のなかった食堂が、一瞬にして静まり返った。
京哉と霞と風紀委員数名が食堂で騒ぎが起こっていると連絡を受け、取り締まりに来たのだ。京哉が書かせる反省文の量はありえないくらい多いことで有名である。
「関係ない奴は散れ、さっさと食って教室戻れ」
蜘蛛の子を散らすように、あっという間に食堂にいた人数が減った。一連の動きを見ていた碧が不思議そうに呟く。
「あの人、風紀委員長なのか?」
「ふふふ、そうは見えないでしょう?」
「えっ」
「あぁ、驚かせてごめんね」
いつの間にか碧の背後まで来ていた霞が、少し困ったように笑みを浮かべながら瑛にも目配せをした。
「えーっと、確か煌海碧君だったよね。騒ぎの原因は君たちみたいだから、詳しい事情を風紀室で聞かせてもらえるかな?」
優しい言葉で尋ねているが、実際は風紀に声を掛けられれば拒否権などない。那智を筆頭に役員たちもついて行こうとしたが、話が進まなくなると霞に止められていた。渋々、午後からの授業に出るためにクラスへ戻っていった。
「で? どうしてあんな騒ぎになったか聞かせてもらおうか」
風紀室に移動した瑛たちは、京哉と霞に経緯を話した。すると、京哉は眉間に皺を寄せてあからさまに不機嫌になった。
「つまり、幼馴染みとはいえ公の場にも関わらず一般生徒といかがわしいキスをした……いや、されたのか」
「俺はむしろ被害者だ。騒ぎになったのは悪かったと思ってるが」
「旗付きオムライス食べてる瑛が可愛すぎて」
「瑛が可愛くて仕方ないっつーのは同意見だがな、速攻手を出してんじゃねぇぞ編入生」
「おい同意してんじゃねえよ」
「「瑛はもっと自覚しろ」」
「……は?」
険悪なムードだったかと思えば、声を揃えて理不尽な理由で怒られ、瑛は不機嫌を極めていた。
「ほらほら、騒ぎの原因分かったんだからちゃんと仕事してよ京哉」
こうなると分かっていて控えていた霞が、だんだん逸れている話を元に戻す。霞による軌道修正がこの後も何度かあったが、なんとか事情聴取は終わり、最終的には二人とも反省文五枚で許しが出た。
「編入生、お前は先に帰っていい。生徒会長様にはちょっと話があるんでね、邪魔だからとっとと帰れ」
「そういえば風紀委員長様でしたよね、じゃあ失礼します。瑛またな」
碧と京哉の間でバチバチと火花が散る。瑛は心底どうでもいいと言わんばかりに虚無の顔をしていた。