フォルテ | ナノ


 02



 食堂とはご飯を食べる為の公共の場であり、公共の場では他人に迷惑をかけないようにマナーというものを守るべきだ。常識のある人間なら、一般的にはそう考えるものであろう。
 しかし、今この場にやってきたのは、その常識を跳ね飛ばした上にバキバキに粉砕していく、かなりの問題児である転入生とその取り巻き御一行様。彼らに下手に関わると、たとえこちらは全く間違いを犯していなかったとしても、転入生からやたら捲し立てられるだけでなく、その取り巻き達からも冷ややかな視線を浴びせられることになる。
 そんなリスクを自ら犯してまで、転入生のことをどうにかしようと考える生徒は誰一人としていなかった。まだ転入生が話の通じる相手であったなら、風紀委員会も取り締まりをきっちりと行えるのだが、残念ながらそうではなかった。
 自然と開けていく道を堂々と歩く転入生――柳川恵の周りを囲む生徒は、顔立ちの整った所謂イケメンと持て囃される美形揃いである。美形とは言えない恵だけが、その中で異様に浮いた存在になっている。
 ぼさぼさの黒髪と大きなビン底眼鏡が顔を半分以上隠している為、素顔ははっきりとは分からないものの、ぱっと見た印象はマイナスに捉えられがちである。その上、華々しい印象の生徒会役員と共に行動している所為で、余計にそのルックスが悪い方向に目立ってしまっている。
 さらに耳を劈くような声のボリュームと自己愛精神の強さが加わるのだから、好き好んで恵に近寄る者は生徒会役員くらいしかいない。

「圭太も早くこっち来いよ!」

 騒音公害レベルの声量に圭太と呼ばれた、特にこれといった特徴のない平凡な生徒は僅かに眉を寄せた。
 恵が彼を呼ばなければ目立つことはなかったのだが、よく通りすぎる恵の声に一斉に食堂に居た生徒が彼に注目した。恵の横では会長を除いた生徒会役員達が、嫌悪感丸出しで彼を見ている。
 そんな彼らにも、不潔な容姿をした転入生にも、食堂で野次を飛ばす親衛隊にも、いざこざに巻き込まれただけの生徒にすぎない彼――南波圭太は呆れて何も言わずに、ただその場に立って状況を見ていた。
――馬鹿馬鹿しい奴らだ。
 どんなに周りからの視線が突き刺さろうとも顔色一つ変えないまま、ひどく騒がしい空間を冷めた目で見ていた。



 学年首席の特権である一人部屋を取る為に、圭太は今まで常に一位に居続けた。笑わない、喋らない、誰ともつるまないので有名なのだが、莫大な生徒数に加えて広い学園内では、それがあまり広まることはなく、音楽科だけでしか浸透していなかった。
 不動の学年首席の南波圭太という名前だけは知っている。そんな程度であって、同じ音楽科の特に同じ声楽専攻の生徒からは、御愁傷様と言わんばかりの哀れんだ視線と何かに怯えるような視線を向けられていた。
 罵詈雑言の中身は平凡ごときが媚びを売るな、生徒会の皆様に近づくな等、的外れなことばかりだ。音楽科の生徒はあいつに限ってそんなことする訳がないと分かっている。
しかし、あの中に巻き込まれるのは御免だ。それに圭太から口出しはするなと言われているので、誰も関わってこようとはしない。
 距離を置いたまま動こうとしない圭太に痺れを切らしたのか、恵が再び圭太に向かって声を張り上げた。

「ほら! 何ぼーっとしてるんだ圭太! 全くしょうがないな、オレが圭太の分も頼んでやるよ!」
「恵がそこまでする必要なんてありませんよ」

 勝手に動こうとした恵を制し、生徒会役員達は恵を連れて二階席へと移動しようとした。が、友達と仲良くしなきゃダメだと言って聞かない恵に、生徒会役員達は恵を称賛しつつ圭太を睨む。
 圭太は突き刺さる視線も全く気にしていなかった。最早彼らなど眼中になく、頭の中ではそろそろ躾が必要かとある算段を立てていた。
 まともに仕事をしている役員達を転入生が来てから見ていない。にもかかわらず、生徒会は機能している。そして、ぱったりと見なくなった生徒会長の姿。
 行動範囲の広い恵と生徒会室や職員室など決まった場所にいるであろう生徒会長が、ここまでエンカウントしないということは、誰かが意図的に二人が会うことを阻止しているはずだと圭太は踏んでいる。
 美形好きな恵のことだ、確実に生徒会長に興味を持つに違いない。生徒会長本人が避けている可能性もあるが、的確に相手の位置を把握しなければ避けることは難しい。生徒会長の親衛隊か、あるいは生徒会長の仕事を妨害されると困る人物――。
 そこまで考えて、圭太はふと何かの気配を感じ、さっと身を退いた。ガシャンと硝子の割れる音とバシャッと液体が飛び散る音が、圭太がついさっきまでいた場所からした。
水の入ったコップだったものが飛んできた方へ目を向けると、親衛隊の隊員であろう生徒が甲高い声でべらべらと言い訳をし始めた。

「み、皆様を無視するアンタが悪いんだよっ! 平凡の癖に調子に乗らないでよ!」

 恵に言ったところで全く効果がなく、生徒会にも嫌われてしまうと考えたのか、やりどころのない怒りを圭太に向けてくる親衛隊が増えているのだが、こうも目立つやり方をしてくるとは。
――面倒くせぇな。
 目立たず誰にも介入されずに学園生活を送ろうとしていたというのに、ここまで目立ってしまっては意味がない。親衛隊の制裁にもいい加減飽きてきた頃で、どうせここまで表舞台に立たされてしまったのならもう大人しくしているメリットはないと結論を出し、圭太は『躾』をすることにした。
 雑音にしか聞こえない話の大半を聞き流して考えに耽っていた間に、騒ぎを止める為に風紀委員がやってきていた。

「静かにせぇ! やかましいわ! ほんでもってまたお前か転入生、えぇ加減にせぇやしばくぞ!」
「雫じゃんか! 転入生なんて呼び方やめろよ! 恵って呼べよ、友達だろ!」
「名前で呼ぶなやボケェ、何回言うたら分かんねん。誰がマリモと友達なるかいな海に早よ帰れや!」
「マリモって言うな!」

 周りが黄色い歓声を上げたことにより、あれが風紀委員長かと圭太は理解した。恵に対して臆することなく応戦する彼に、圭太は少し興味が湧いていた。風紀委員長はどうやらつまらない性格ではないらしい。転入生の毒牙にもかかっていない様子だったので、圭太はやり取りをしばらく眺めていた。
 マリモが少しツボに入り吹き出しそうになったが、余計な注目を浴びたくはないので我慢していた。
 すると、圭太の方へ振り向いた雫とばっちり目が合った。

「マリモを海に帰したりたいんやけど、どこの海がえぇと思う?」

 静かになった食堂に響き渡ったのは、圭太の爆笑する声だった。水を打ったような静けさの中、一人の男のよく通る低く甘い声色は人々を魅了していた。

「マリモっ……ぶっ、く、はははは!」

 雫のマリモ呼びがツボにはまり、圭太は高らかに笑い続けているだけなのだが、誰もが驚き声を失っていた。散々罵声を浴びせていた親衛隊や睨みを効かせていた生徒会、この状況を作り出した原因である恵と風紀委員長である雫、食堂にいた音楽科以外の生徒全てがその声に魅了されていた。
 音楽科の生徒は、ずっと無表情のまましか見たことがなかった圭太が笑っていることに驚愕していたが。
 お腹を抱えてひーひーと未だに笑い続けている圭太に、恵はキラキラとした眼差しを向けた。

「圭太お前すっげぇ声カッコイイな! やっと笑ってくれて嬉しいぜ! いっつも無表情だから心配してたんだぞ!」

 圭太の腕を掴み、興奮気味に喋る恵。圭太は急に笑うのをぴたりと止めた。圭太が無表情のまま恵をまじまじと観察していると、恵は何を勘違いしたのかモジモジとし出して頬を染めている。
 再び静まり返った空間に、新たに怒鳴り声が響き渡った。

「おい、猿! せっかく書類持って行ってやったのに風紀室にいねぇってどういうつもりだ? 手間取らせんじゃねぇよ」

 食堂内は一気に割れんばかりの歓声で満たされ、全員の視線が食堂の出入り口へと集まった。

「あ、王様、今来たらアカンのに……!」

 雫が慌てて明衣を食堂から追い出すよりも速く、恵は明衣に駆け寄っていった。それを見た親衛隊の生徒らの罵声をもろともせず、恵は明衣に話し掛ける。

「なぁ! お、お前名前なんて言うんだよ! 見たことねぇけどめちゃくちゃカッコイイな! どうせ親衛隊なんかに邪魔されて友達いねぇだろ? 友達になってやるよ!」

 眉を顰め不快そうな顔をした明衣を守るように雫が間に割って入ったが、明衣の腕をぎりぎりと掴んで離さなかった。突然のことで対処出来ず、痛そうに顔を歪めた明衣を更に追い込むように、言葉を並べ立てていく恵を誰かが突き飛ばした。
 その人物を認識した途端に明衣は目を丸くした。震える声で、その名を呼んだ。

「けい、た……」

 その小さな呟きは、近くにいた雫と恵、そして圭太にしか聞こえなかった。王様としての普段のイメージからはかけ離れた弱弱しい声色に、明衣と彼はただの知り合いという訳ではないのだろうと雫は察知した。
 圭太は顔色一つ変えず、突き飛ばされ尻餅をついている恵を見下ろした。

「何すんだよ圭太! 友達にこんなことしちゃいけないんだぞ! 謝れば許してやるから謝れよ! あ、それと…んぐっ」

 ガッと鷲掴むようにして恵のよく動く口を強制的に塞ぐ。

「いい加減黙れよ」

 低く威圧感のある怒気を含んだ声が雑音を掻き消した。明衣から声の主へ視線を移した恵は、刺し殺されそうな鋭い目に怯んだ。

「せっかく平和に平凡に学園生活送るつもりだったのになぁ、てめぇの所為であと半年どうにかしねぇといけなくなっただろうが」

 吐き捨てるように言い放った圭太の豹変っぷりに、誰もが驚きと恐怖で固まったまま動けないでいた。くるりと後ろを向き、圭太が明衣の腕を見ると赤くなっていた。
 続いて圭太は明衣の顔をじっと観察した。ぱっと見ただけでも疲労していることはすぐに分かる。
 圭太は明衣の腕を優しく撫でると、そのまま自分より体格の良い明衣を軽々と横抱きにした。

「うわっ!? けい……、てめぇ何しやがる!」
「もう知らないフリすんな明衣。守ってやれなくてごめんな」
「え……?」

 圭太は先程までの息苦しく感じるほどの威圧感を消し、明衣に向かって柔らかく微笑むと、明衣を抱えたまま颯爽と食堂から去っていった。二人が去っていった後、食堂では過去最大級の歓声と悲鳴が響いた。






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