01
静寂に包まれた広い空間で、ひたすらカリカリとペンを走らせる音とカチカチと規則正しく動く秒針の音が響いていた。
時折、紙を捲る音や判を押す音も聞こえてくる。机の上に山積みにされた白い束から一枚、また一枚と手に取っては次々と種類ごとに振り分けていくつもの束を作っている。
その音を造り出していた人は、振り分けた何十枚もの紙の束を抱えると、その空間から慌ただしく出て行った。
――そして、時計の秒針が動く音以外に何も聞こえなくなった。
西宮学園には、他の人間よりも秀でた能力、技術を持つ、将来を期待された卵ばかりが在席している。その才能を開花させ、活躍しているこの学園の卒業生は少なくない。在学中に能力を認められて世界へ踏み出していく者もいる。
何かひとつでも極めて優れたものがあれば、入学することが出来るのだ。家柄、地位など全く関係なく、ただ本人が持つ実力だけが評価される。
例えば、ある生徒は書道家として既に名が売れはじめ、企業や製品のロゴデザイン等の大きな依頼から、彼が書いた作品そのものを掛軸にして飾りたい等といった個人の依頼まで、数多くの仕事をこなしている。
また、卒業した別の生徒は、数々の音楽コンクールで賞を獲得し、今はピアニストとしてオーストリアを拠点に世界中で活躍している。
そんな生徒ばかりがいる学園の運営も生徒らが担う。その為に、学力と能力が優れている生徒を集めて結成された生徒会が存在している。
しかし、数ヶ月前に一人の転入生が来てから、その生徒会はほぼ機能していない状態にある。良い意味でも悪い意味でも純粋すぎる転入生の言動に興味を抱いた生徒会役員達が、四六時中彼と行動を共にするようになり、今では完全に仕事を放棄するようになったのだ――ただ一人、生徒会会長である天王寺明衣を除いて。
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癖っ毛のある黒髪に赤いメッシュ、猫目と八重歯が特徴的な明衣は、この学園で最も美形であると人気が高く、難関コースと呼ばれている特進科に在籍している。何カ国もの語学を学び、すべてを使いこなしている。
「猿の野郎はどこだ、今回も間に合ったぜ! ざまぁみろ」
壊れるのではないかと思うくらいに勢いよく開け放たれた扉からズカズカと室内へ入っていく。風紀室へ遠慮なく踏み込んで行くことからも見てとれる態度の大きさ、かつ高圧的な物言いから、名前をもじって『王様』と親衛隊から呼ばれている。明衣が『猿』と呼んでいる人物は風紀委員長である猿渡雫で、とある共通点がきっかけで今ではすっかり大の仲良しである。
雫はいつものように豪快に風紀室に入ってきた明衣の姿を見て、ひどく困惑した表情を浮かべた。
「まだ粘んの? えぇ加減諦めたらどうやの王様」
雫が言おうとしていることは明衣も理解していた。無駄な足掻きになるかもしれないことも、十分承知の上で明衣は雫に大丈夫だと笑ってみせるのだ。
「俺一人でもこれくらい出来んだよ。今回も猿の負けな」
明衣がそう返すことは想定内のことで、雫は深く溜息を吐いた。何を言っても聞かず、明衣はひたすら一人で仕事をこなしている。せめてあの転入生と鉢合わせすることがないようにと根回しする以外に、どうすることも出来ない自分に雫は苛立っていた。
この賭けは、役員達が仕事をしなくなってから明衣が持ちかけてきたものである。風紀に回す書類提出に遅れなかったら明衣の勝ち、遅れたら雫の勝ちとなる。
明衣は一見楽しんでいるように見えるが、これは明衣が自分自身に嵌めた、現状から逃げ出さないようにする為の枷だ。雫がいなければ、とっくに心が折れていただろう。今まで明衣に雫が勝てたことはもちろんない。
「せっかくの男前が台無しやで? もう負けてもえぇやんか」
どんなに明るく振る舞おうと、前より痩せた身体や目の下の隈は、明衣が限界であることを明らかにしている。それでも明衣は諦めようとは決してしない。
「約束したんだよ、最後まで諦めねぇって。猿が何と言おうと俺は明日も勝つぜ」
明衣を支えているのは雫だけではない、学園内では決して会えない彼こそ明衣の一番の支えだった。