フォルテ | ナノ


 04



 圭太が傍にいなくなったのは、中学の卒業式を終えてからのことだ。
 中学生になると体格も顔つきも男らしくなり、明衣はより一層女子からの注目の的になった。友達も増え、どんどん離れていく明衣に圭太は何も言わなかった。そうなることは分かっていたのだ。
 帰りだけは家が隣同士なので、いつも一緒に帰っていた。毎日楽しかったこと、面白かったことを明衣は圭太に何でも話していた。
 本音を言えるのは圭太だけだった明衣だが――それが圭太を苦しませていたことなど、その時は全く気付けないままひたすら出来事を話していた。
 明衣に好意を寄せている女子からは、ひっきりなしに圭太は明衣宛の言伝を頼まれていた。酷い場合には圭太に媚を売り、仲良くなって明衣に近づこうとする人もいた。
 圭太は利用されたことには何とも思わなかった。その女子の存在など、どうでも良かった。もう顔も名前すらも覚えていない。
 圭太を苦しませていたのは、いつからか自分以外と楽しそうに笑う知らない明衣だった。明衣がどんどん遠くへ行ってしまう。一緒にいる時間は減るばかりで、ぽっかりと何か抜け落ちてしまったような――なんとなく寂しく、そして言い表し様のないドロドロとした感情が圭太の中で渦巻いていた。
 この時の圭太は、まだ今の圭太ほど冷静な判断が出来るだけの余裕がなかった。時が経てば経つ程、明衣がいない時間が増えれば増える程、それは大きくなっていた。
 多少の事は無視していられる圭太も中学卒業間近の冬、積もり積もった理由の解らない苛立ちは爆発した。

「俺、圭太と同じ高校選んでやったぜ! ずっと一緒だからな」
「もう俺に付き纏うな、俺に何の価値がある? 友達なら他にいるだろうが」
「は……? 何言ってんだよ」
「一人じゃ何も出来ねぇ奴が調子乗んじゃねぇよ。俺の邪魔をすんな。もう高校じゃ俺とお前は赤の他人だ」

 何の感情も感じられない圭太の声が、明衣にとって一番怖かった。圭太は表情が変わらないからよく分からないと言われようと、明衣には圭太の表情を汲み取れていた。
 けれども、その時は何も分からなかった。何も分からなかったことに、何故か焦りを感じていた。
 ただ分かることと言えば、本能的にこのまま圭太が離れてしまうのは嫌だと思っている自分がいるということだけだった。その時に、はじめて自分の中を占める圭太の存在の大きさに気付いた。

「いきなり何言い出しやがる! 圭太は俺の友達だろ? 親友じゃねぇか!」
「俺はそうは思えない」

 返された言葉は鋭いナイフのように明衣に突き刺さった。圭太が隣にいない。そんなことを考えたことがなかった。
 話はもう終わりだと明衣の横を通り、去っていく圭太の背中へ向けて、明衣は声を絞り出した。

「っ……俺が一人じゃ何も出来ねぇっつったよな?」

 圭太は立ち止まり、明衣の方へ振り向くことなく端的に答える。

「言った」
「何かやり遂げたら認めてくれんのかよ」

 明衣の言葉に対して、どうせ無理だろうと圭太は思い、それを了承した。
――きっとそんな約束忘れるに決まっている。
 圭太はそう思っていた。



 その時に圭太はすべてを諦めていた。それなのに、明衣は諦めることなく圭太の元へと戻ってきたのだ。
 もう離れる必要も離す必要もないのだと判断していいだろう。そう圭太は結論付けて、明衣へと向き合った。

「俺が嫌いなら今すぐ足掻けよ、まぁ足掻いたところで俺は今さら手放す気はねぇけどな」

 圭太の目は本気だった。ただこのままいくと明衣は確実に食べられる側なのだがいいのかそれで、と雫は言いかけたが、圭太の無言の圧力の前にハハハと渇いた笑いを溢すことしか出来なかった。

「俺から逃げねぇってことは俺のモンになるんだな?」
「なってやるよ。その代わり、圭太は俺のだからな」

 明衣の返事に上出来だ、と無表情だった顔にニヤリと笑みを浮かべた。
 善くも悪くもないまさに平凡という言葉が当て嵌まるような顔立ちである圭太から、ぞくりとするような壮絶な色気と恐怖を感じた。百獣の王ですら猫同然に扱いそうだとでも言えばいいのか。

「ほんで仲直りっちゅうか両片想い拗らせとったんがうまいことくっ付いたんはえぇけど、これからどないするん?」

 圭太はその問いに、顔色ひとつ変えずに答えた。

「決まってんだろ、害虫駆除だ」

 確実に明衣は標的になっている。それに食堂であれだけやらかしたのだ。すぐに手を打たなければ、厄介なことになるのは目に見えている。

「明日には全部片付ける」
「そんなはよ終わるか? あいつらめっちゃ面倒やで」

 最も恵たちに振り回されていた雫は、彼らの手ごわさを嫌という程体験している。確かに早く平穏な学園生活を送れるようになるのは嬉しいが、そこまで早い解決は無理だろうと圭太を怪訝な表情で見る。
 しかし、雫のそんな心配を余所に圭太と明衣はどこか楽しげに話を進めている。

「頑張っためいちゃんの為にアイツらに地獄を見せてやるとするか」
「ちゃん付けすんなよ圭太、……程々にしとけよ? 洒落になんねぇから」
「手加減なんざ要らねぇだろ、俺の前にひれ伏せばいい」

 無表情で淡々と恐ろしいことを言う圭太に、雫は恐怖よりも安堵した。自己中心的な物言いではあるが、あの意志疎通すらままならない我が儘な子どもを躾けてくれるのなら。
この狂った学園が平穏を取り戻せるのなら、雫は協力も惜しまない姿勢でいた。それが可能であると思える。間違いなく、圭太は支配する側の人間だと、この短い時間の中でも感じ取れた。

「まずは改めて挨拶してやらねぇとな」

 魔王様の凶悪なスマイルに、明衣も雫も頼もしく思うと同時に、圭太だけは敵に回したくはないと思った。



「そういえば、雫ちゃんずっと明衣が害虫に会わねぇように根回ししてただろ?」
「その呼び方やめろ言うたやろ。……あの転入生、自分ノンケや言い張るけど、男前には異常に食い付きよるんを生で見てしもたからなぁ」
「昨日のあいつか、名前知らねぇけど。ギャンギャンと喚かれてたな」
「うちの副委員長や。昨日の食堂での騒ぎでうっかり一緒に行かせてしもたんやけど、げっそりしとったわ」
「しつこさは俺は毎日体験済みだっての。明衣を捜し出すのも時間の問題だな」

 恵の恐ろしさもまだよく理解出来ていない明衣は、会話に入れず蚊帳の外にいた。ただ、圭太の言葉に引っ掛かりを感じた明衣は圭太へと疑問を投げかけた。

「圭太がそこまで嫌がる相手となんで今まで一緒に居たんだ? しつこい奴でも圭太ならどうとでもなっただろ」

 圭太の人付き合いは基本、『お気に入り』か『無関心』のどちらかである。中途半端な人付き合いは面倒臭いからと、ばっさり切り捨てている。
 お気に入りには甘く親しくしてくれるが、無関心には名前すら覚えてはもらえない。そして圭太は平穏を何より望み、一度それを崩してしまえば話し掛けようとしても相手にしてもらえなくなる。殴りかかろうとも、何事もないかのように避けられ打つ手はない。

「食堂には一緒に居ったけど何も話してへんかったよなぁ? 常に転入生と居るだけで…ずっと見てる、だけ……ん?」
「好き好んであんなのと一緒に居たんじゃねぇよ」
「転入生見張っとったんか?」
「雫ちゃんが失敗した時の非常事態に備えて、な。誰かがあいつを明衣に会わせねぇようにしてんのは分かってたが、さっきの雫ちゃん見てピンときた」

 雫はニヤリと笑みを浮かべると、誇らしげに胸を張った。

「何人かうちの奴、あいつに気に入られかけて大変やったけどな」
「雫ちゃんがなかなかあいつと接触してなかったのは、初対面で気に入られて余計に現場が混乱したからだろ?」
「それな、ほんま堪忍やわ」

 明衣は不気味に笑い合う二人を見て、ますます話が分からなくなった。
 しかし、とにかくこの二人が助けてくれていたという事は理解出来た。

「圭太、猿、助けてくれてたってことで良いんだよな? その……ありがとう」

 いざ面と向かって感謝を述べてみると、だんだん照れ臭くなってきたのか明衣は目線を逸らした。雫は一瞬信じられないものを見たような驚いた顔をしたが、次第にニヤニヤと笑みを浮かべた。
 しかし、それもすぐにまた驚きに変わった。

「んんっ! んっ…ぅん……」

 二つの影が一つに重なったと思いきや、圭太が明衣に食らい付いていた。突然のことに明衣も驚きを隠せない様子で、侵入してきた圭太の舌が上顎を擦る度にひくりと身体を震わせる。
 いち早く我に返った雫が二人を引き離し、圭太に向かって指を突き立てる。

「おい風紀委員長様の前で風紀乱すたぁえぇ度胸しとんな」
「雫ちゃん、男はいつだって獣だぜ? 見ただろ、明衣めちゃくちゃ可愛かったじゃねぇか。アレ見て我慢出来る奴は男じゃねぇよ」
「あぁ、せやな……って言うかボケ! 何を自信満々に言うとんのや! そもそも今の同意ちゃうやろ!」

 吠える雫に明衣はぽかんとしていたが、圭太に嫌だったのかと訊かれ首を横にぶんぶんと振った。

「別に嫌じゃねぇけど、……圭太は嫌じゃねぇのかよ」
「嫌ならしないだろ。むしろ食いたいぐらいだし」
「そうか……、ん? 食い……え?」

 ピシリと固まる明衣を担いで、持って帰ろうとする圭太を慌てて雫が止めた。この二人が両想いなのは十分すぎるくらいに分かっている。が、雰囲気に流されて友人が易々と掘られるフラグを見過ごす訳にはいかない。

「王様はタチやで!? どう誰が見たって自分が掘られる側やろ! あと、王様戻ってきぃ!」
「あ? 俺が掘られてたまるかよ。喉を壊すようなことはしたくねぇんだよ」

 再び部屋から出ていこうとする圭太を止めようとしたが、雫は明衣の顔が真っ赤になっているのに気づいた。それには圭太も気づき、明衣はバッと両腕で顔を隠した。

「見んな」
「……雫ちゃん」

 ちらり、と雫へ視線を向ける。満更でもなさそうな明衣を目の当たりにして、雫は爽やかな笑顔で親指を立てた。

「もう止めはせん、据え膳や食え」
「え、おいっぎゃああああ」

 雫まで圭太に味方して、風紀室に明衣の叫び声が響いた。






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