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▼ アズールとベルデ

 南にある一番大きな大陸を治めている王国があった。――その名をヴァルマーレという。
 国民達は不自由を強いられることもなく、閑かに暮らしていた。この王国が華々しくはなくともここまで安定した生活を成り立たせられているのは、歴代の王の中で最も優れた才能を持つ王子の存在のお陰であった。
 人間と魔物の二つに大別されるこの世界では、両者の間に亀裂が生じることも多く争い事が絶えなかった。
 知能の高い魔物は人間と同じ言葉を話すことが出来るがそれはごく僅かであり、言葉が通じず自我をコントロール出来ない魔物は人間を襲いはじめるようになった。それに恐れをなした人々は魔法や武器を力として身に付け、近づく魔物を無差別に殺めるようになり、魔物は隅へ隅へと追いやられてしまった。
 それではいけない、と魔物との共存を宣言したのがアズール王子であった。



 強大な魔力と膨大な知識を持つ彼には特殊な能力があった。“魔物の言葉が解る”、それは逆に魔物にも彼の言葉が通じる能力で、幼い頃からこの能力と共に生きてきた。
 その頃は皆が魔物を忌み嫌っていた為、この能力は気味が悪いと王子であるにもかかわらず、魔物の住処である森へ独り置き去りにされたのだ。ヴァルマーレ王国にはすでに第一王子がいる為、アズール王子にもしものことがあろうとも何の痛手にもならないと見切りをつけた。
 数日間分の食糧と水、たったそれだけを置いて去って行った護衛達にアズールは幼いながら自力で何とかしなければならないのだと悟った。が、不思議と恐怖を感じることはなかった。避けられていることは解っていたからだろうか、すんなりと受け入れていた。
 やっぱり、と薄らと笑みを浮かべたアズールに気づくことなく、人間達は引き返していった。
 完全に彼らがいなくなった後、アズールは空を見上げた。

「ふふふ、あははははは!」

 少年の笑い声だけが静かな森に響き渡った。返ってくる言葉はなく、ただただ自分の声だけが響いていた。

「ふぅ、これからどうしようか」

 そう呟くが別に困っているといった様子はない。向こうに居た時よりも、軽くなった足取りで森の更に奥へと歩き始めた。
 歩き続けても視界に映るのは鬱蒼とした木々ばかりで、アズールは額から流れる汗を服の袖で拭い去った。

「どこまで来たんだろう…」

 辺りを見回しても同じような風景にしか見えない。休憩でもしようかと背負っていた荷物を降ろした時、がさり、と少年の背後で何かが動いた。草を掻き分ける音に振り向けば、ぷるぷると揺れる丸い緑色の小さな魔物がじっと見ていた。
 目と思われる窪みを指して見ていたというのが正しいのかは、はっきりとは分からないがそう見えたのでアズールはしゃがんで魔物と目を合わせた。

「ぷきゅ、ぷみー?」
「僕は人間だよ、アズール」
「ぷきゅーぷ? ぷみーぷー」
「そう、アズール。君はスライムなんだね、名前はあるの?」

 アズールが問いかければ、緑色のスライムは否定しているかのように左右にぷるぷると体を震わせた。と、同時に明るめの緑色へと体の色を変化させ、ゆっくりとアズールへ擦り寄った。
 どうやら警戒心を解いたらしいスライムにアズールはうぅんと唸った。

「名前がないのか……君は感情によって少しだけ色を変えられるんだね。そうだなぁ、緑……ベルデは嫌かな?」
「ぷみぃ!」
「気に入ってくれたの? ふふふ、ベールデ」
「ぷきゅーぷ! ぷみぃ! ぷみー!」
「案内してくれるの?」

 にゅっと触手を伸ばしアズールの服の裾をちょんちょんと引っ張る。移動に手間取っているベルデをアズールは抱きかかえ、ベルデに指示された通りに歩いていくと辿り着いたのは魔物達が集まる森の中心部だった。
 多くの魔物が見ているだけで動く気配はなく、アズールとベルデに近づこうとしない。恐らく魔物達のリーダーなのであろう半獣人と思われる逞しい身体付きをした青年が、綺麗な湖畔に佇んでいることが関係しているのだろう。
 スカイブルーの短髪と黄金に輝く切れ長の目が冷たい印象を与える。人間と見た目にあまり差はないが、尖った耳と腕の竜鱗がそうではないことを示していた。

「ニンゲンがどうしてここにいる?」

 透き通った声はただ純粋に疑問を含んでいるだけで、アズールは自然と強張っていた体から力を抜いた。

「僕はアズール、人間だけどもう人間じゃない」
「捨て子か?」

 こくり、と頷けば眉間に少しだけ皺を寄せた。そして視線がアズールからベルデへと向けられた。

「途中で迷っていたところをベルデ……この子に助けてもらいました」
「まさかそれ程までに懐いているとは。そやつは気難しい性格をしている故、なかなか世話がかかっていたのだが……」
「ぷきゅーぷ、ぷみぃ! ぷきゅっぷー!」
「ベルデが案内してくれて本当に助かったよ」

 触手を伸ばしてアズールに戯れているベルデにも驚きはあったが、それ以上に青年を驚愕させたのはアズールとベルデが会話を成立させていることであった。
 青年に見えるが百年以上生きている彼であっても、魔物の言葉が理解できる人間など見たことも聞いたこともなかった。

「そのチカラは……」
「魔物の言葉が僕には分かります」
「どんな魔物であっても?」
「はい」

ふむ、と青年は考え込むような素振りを見せた。その動作だけでも青年の背景に広がる青く澄んだ湖面と相俟って優雅な気品を感じさせる。

「アズール、そなたはもう向こうに戻ろうとは考えていないのか?」
「戻ったところでもう居場所なんてないですから」
「しかし、ニンゲンをよく思っていない者が多いことは知っているだろう? この前も西の森が焼かれ同胞がまた失われた」
「父上、……ヴァルマーレ国王は暴走した魔物に襲われたことがあると話していました。魔物は怖い存在なのだと教えられてきました……、でも! 悪い魔物ばかりじゃないのに!」

 青年はアズールに近づくと屈んで目線を合わせた。泣きそうになっているのを必死に堪えているアズールの頭を優しい手つきで撫でた。
 深い海を思わせるような紺碧の髪がさらりと揺れる。腕の中に収まっていたベルデも心配そうに触手を伸ばしてアズールの頬を撫でた。

「ニンゲンからしてみれば長い時を生きてきた私も、これほどニンゲンと面と向かって言葉を交わしたのは初めてだ。そなたがあの国の王であったなら、と思うほどだ」
「そんな……」

 戸惑った表情を見せるアズールの視界を覆うように、顔へぷるぷるとしたものがぺたりとはり付いた。

「ぷはっ! ベルデっ、急にどうしたの? びっくりしたよ」
「ぷきゅ、ぷきゅーぷ? ぷみっぷみー! ぷー!」
「……ふふ、僕もベルデが好きだよ」

 青年はアズールとベルデを見てふむ、と頷いた。近くに控えていた同じ竜鱗の妙齢の女性を呼び出すと、何かを耳打ちして再び戯れ合っている一人と一匹に話しかけた。

「こやつが警戒せずそう打ち解けているのなら、私も皆に手を出さぬよう言い聞かせておく。私はシエロという、この森に住む魔物の長だ。何かあれば遠慮などせず頼ってくれ」
「……! ありがとうございます、シエロさん」

 アズールは幼い年齢に合った屈託のない笑顔を浮かべた。



 それから数年、何事も呑み込みが早かったアズールはシエロが趣味で読むという本をすべて読破し、森の中でベルデと遊ぶ内に自然と身についた知識や運動能力も備わっていた。書物は昔にシエロが変装して国へ行って集めたものらしい。
 あどけなさのあったアズールも十代後半の歳になり、精悍な面構えにはなったが、どこか柔らかな雰囲気もある。アズールはどんな些細なことであろうと親身になって対応し、魔物達に慕われる存在となっていた。

「あずー! あずー!」
「そんなに葉っぱを乗せてどこに行ってたの? ベルデ」
「ぷみゅ、ぷみー!」
「そういえば前に木苺が食べたいって言ったね。わざわざ採ってきてくれたの? ありがとう」
「あず、う、れし?」
「すごく嬉しいよ、ベルデも一緒に食べるかい?」

 アズールと発音し切ることが難しいようで、『あず』と呼ぶベルデとは常に行動を共にしていた。ベルデに言葉を教えてみると、舌足らずな喋り方ではあるものの少しずつ覚えては声に出して学習していた。
 魔物の言葉を理解できるアズールとの生活の場面では、言葉を覚える必要性はないといえばない。
 しかし、ベルデはどうしても人間の言葉で伝えたいのだと一歩も引かなかった。

「あず、げんき、ない?」
「もうすぐヴァルマーレ王国とケンカするからね」
「けんか、よくな、いよ?」
「うん、みんな仲良く出来るようにお話しに行くんだ。ベルデはお留守番、いい子だから出来るね?」
「べるでも、いくー! ぷみゅ、ぷみー!」

 アズールがいくら駄目だと言おうと、ベルデは全て突っぱねた。ぷにぷにとつつくアズールの人差し指に、短く手のように伸ばした触手でぴったりとくっついて離れようとしないベルデに、アズールは眉をハの字にして困惑した表情を浮かべた。が、声はどこか弾んでいて嬉しそうな印象を受ける程明るい。

「ぷみぃ! ぷみぃ!」
「ふはっ、くすぐったいよ! 分かった、分かったから拗ねないでくれないかい?」
「あず、いっしょ!」
「うん、ごめんね。でも、絶対に離れちゃダメだからね」
「ぷみゅ」

 お気に入りの場所となっているアズールの肩に乗ると、ぷにぷにと頬をすり寄せて甘えた。すっ、とアズールは背後へと視線を向けた。
 初めて会った時と何ひとつ変わっていないシエロがアズール達の近く、――不自然に草の生えていない広場の中心に立っていた。その焦げ茶色の地面の上には白い粉で複雑な魔方陣が描かれていた。

「話は終わったか?」
「はい、ベルデも連れて行きます。この無駄な争いを止めます」
「あぁ、そなたに全て任せる」

 アズールはシエロの隣に並ぶと長い呪文をすらすらと流れるように唱えた。徐々に光に包まれていく。
 魔法の中でもSランクとされる瞬間移動魔法《ワープ》で一気にヴァルマーレ王国を囲む塀を越え、国王の居る城の最上階まで移動した。国王と対面し、顔面蒼白となっている実の父親の姿を見てアズールは柔らかい笑みを浮かべた。
 国を覆うように国王自ら結界を施していたのをあっさりと擦り抜けられた事実と、もう会うことはないであろうと思っていた人物の出現に、国王は口をぱくぱくと動かすだけで言葉を発することが出来なかった。

「ここに平和協定を結ぶ為の書状があります。魔物への干渉を止めていただきたいのです」
「……っ、あ、アズール……なのか?」
「ヴァルマーレの森に住む魔物達は人間に危害を加える気など全くありません。この書状には契約魔法を組み込んであります。契約に違反した時、この契約をした者へ相応の罰が与えられます……この意味は解りますよね?」

 落ち着きを取り戻してきた国王は契約魔法を見て、ふっと口元を緩めた。

「死……ということか。結界をいとも容易く破った上に瞬間移動魔法、契約魔法……。アズール、お前以上に秀でた人間はいないであろうことが明らかな今、私にはそれを認めるしか道は残されていないだろう?」
「魔物と人間が共存出来るようになればいい、ただそれだけが僕の望みです。国王にお会いしていただきたい者がいます」

 怪訝そうにアズールの出方を窺う国王は、シエロを見た途端に目を見開いた。

「シエロ……?今までどこに行っていたのだ!?」
「久しいな、レイモンド。主は私を友だと、昔にそう言ったな。だが、私は主の嫌っておった魔物……竜鱗族の半獣人だ。なぁ、レイモンドよ……魔物とニンゲンは相容れぬものか?」
「シエロが……魔物……?」
「私は主とまた話がしたい」

 しばらくして国王は要人達を呼び出し、契約魔法に同意した。ヴァルマーレ王国中にこの事は伝わり、住民達は騒然としていたがすぐにそれは収まることとなる。
 ベルデを連れたアズールが説得して回ったこと。
 もし魔物が暴れようとも、魔物を抑え込めるだけの力をアズールが持っていること。
 何より、ベルデと戯れている時に見せるアズールの柔らかな微笑みが魔物への悪いイメージを払拭していた。
 森には人間に効く薬草が数多く生い茂り、国には余る程の食糧があった。共存が上手く行くまでには然程年月は要さなかった。



「ベルデ、おいで」
「ぷー!」
「何をいじけているの?」
「ぷきゅ、ぷみぃ! ぷー!」

 最近では困ったことがひとつ。
 子ども達に魔法や勉強を教えるようになったアズールに、ベルデはよく不機嫌になるようになった。

「寂しいの?」
「あず、ばか、ばかぁー!」
「僕はベルデが一番好きなのに?」
「ぷみゅ……?」
「うん、ベルデが大好きだから相手してくれないと寂しいなぁ」

 そう言ってベルデの口元に触れるだけの口付けを落とした。瞬間、ばっと鮮やかな緑色に染まるベルデをからかうように指でぷにぷにとつついた。

「ぷー! ぷみぃっ、ぷきゅー!」
「叩かないで、ごめんごめん」

 かなり本気でぺちぺちと叩くベルデにアズールは駄目だったかと落ち込んだが、この後にぽつりと洩らしたベルデの言葉に満面の笑みを浮かべた。



「……ベルデ…も、あずが、すきだぞ」



END



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