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▼ しあわせ

 雨が降る。どんよりと暗い灰色の空から、ポツポツと。傘を差そうか少し悩む程度のにわか雨だ。
 しかし、外に出るのは彼を見送る時だけだ。最期を綺麗な青空の下、送り出せないのは残念には思うけれど、天候ばかりはどうする術もない。

「はぁ……アイツの雨男が移ったんじゃねぇか、これ……」

 酷い土産を遺してくれたもんだと、葬儀屋の男は肩をすくめた。梅雨でもないのに、天気予報は一昨日から明日までずっと曇りか雨らしい。
 本日の主役は、いつもこういった大事な日に限ってやらかしてくれる。

「最後の最後まで迷惑なやつめ」

 白い箱の中で眠る幼馴染に悪態を吐く。昔から勝手な男だった。葬儀屋の男――綾川色を振り回してばかりな、お節介な男だった。怒りを滲ませながらも、その瞳は愛しさで溢れている。
 式まではまだ時間がある。この場にはまだ準備にあたっている者しかいない。
 だから、綾川はすべてが終わる最後までに、今のうちに不要な心に見切りをつけようと算段を立てていた。ごっそりと表情が抜け落ちた彼に気づく者もいない、はずだった。

「色君」

 聞き慣れた声が綾川を呼んだ。ヒュ、と綾川は息を飲む。

「……お久しぶりです、和香さん」

 咄嗟に仮面を貼り付けて、綾川は一礼した。今日の特別な依頼主であり、綾川にとって今は顔を合わせたくなかった人だ。

「今日はありがとう。健吾から色君はここで働いてるって聞いていたから、仲良くしてくれていた貴方にお願いしたいと思って」
「いえ、これが仕事だから引き受けるのは当然です。けど、……俺なんかに黒井君の最期までを任せていただいて感謝しています」

 ちくり、ちくり、と心臓に針が刺さる。未練を残したままの心が悲鳴を上げる。

「見た目は私の見立て通り立派にイケメンになったけれど、その卑屈さはかわいい色君のままね」
「……和香さんは、変わらないですね」
「最後に会ったのは高校の卒業式の日だったかしら?」
「六年振り、くらいです」

 昔と変わらない、気さくで明るい彼女に安心すると共に、彼女の言葉は綾川を突き刺していく。
 彼女の記憶の中の黒井健吾は、まだ生きている。もう綾川には、だんだんと冷たくなっていく彼の体温しか思い出せないのに。

「健吾が色君にべったりだったから、色君に告白したい女の子に怒られた話、聞いた当時も今も面白いわ」
「そんな話、今初めて聞きましたよ」

 苦笑しながら綾川は当たり障りのない返事で濁した。世話焼きで、誰にでも優しくて、綾川には眩しすぎる存在が脳裏にちらつく。
『せっかくのイケメンが台無しだぞ』
『ほら、オレンジとか青とかもっと明るい色着て、下は見ない視線は前!』
 両親が事故で死んで、母方の祖父母に引き取られて隣にやってきた可哀想な子だったから。面倒を見てあげないと駄目な子だったから。
 だから、あの人のいい男は綾川の隣から離れようとはしなかった。ただそれだけの関係だった。周りが勝手に黒井と綾川は親友だと思い込んだ。黒井も、その一人だった。
『色のことならなんでも知ってるぜ』
 自慢げに黒井が話す度に、綾川の心は黒く塗りつぶされていった。なんにも知らない癖に、とは言わなかった。
 綾川は黒井のことを好いている。このことを誰にも言うつもりはない。言ってしまったら、黒井はきっと困っただろう。

「ねぇ、顔、見てもいいかしら」
「はい」

 色とりどりの花に囲まれた棺の傍に案内する。その足取りはずっしりと重たかった。ずっと開けられなかった覗き窓を、中を見ないようにしながらゆっくりと開いた。

「寝てるみたいね、まだ私信じられないの……もう健吾は目を覚まさないんだって」

 はらりと零れ落ちる涙で化粧を崩しながらも、彼女は笑顔で頭を下げた。

「今まで健吾のこと、ありがとう」
 


 その後、続々と喪服を身に纏った参列者たちが集まり、用意した席はすべて埋まった。
 綾川の仕事はあと火葬場まで棺を運ぶだけだ。それまでは室内の隅で大人しく座って、彼の両親と親戚達が慰め合う声をぼんやりと聴いていた。
『黒色以外の服も着てみりゃいいのに、仕事中も私服も黒いんじゃ気分も暗くなるぜ』
 綾川の就職祝いだと自宅に乗り込んできた黒井は、綾川の就職先が葬儀屋だと知って苦笑いしていた。翌日には綾川には到底着こなせそうにない服をたくさん買い込んできて、いくらお金に余裕があるからといって無駄遣いはするなと怒ったりもした。
 綾川は窮屈だった喪服を脱ぎ捨てて、クローゼットに並ぶカラフルな服を避けて、一番端にある黒いパーカーを手に取った。

「俺にはやっぱり黒しかないんだよ」

 綾川にとって命よりも大事な形ある思い出の残骸に囲まれながら、ライターの火をつけた。ゆらりと揺らめくそれにタバコの先をくぐらせる。

「ゲホッ、く、ゴホッ……はは、ケホッ」

 タバコの銘柄も違いも良さも、何一つ綾川には分からない。噎せている間に灰になってしまったそれを、真新しい灰皿に押し付けた。不味い、気分が悪い。
 それでも、幼馴染を構成する匂いだというだけで、もう一本火をつけて肺いっぱいに吸い込んだ。
 綾川にはまた朝が来る。不要となった朝が。さっとシャワーだけで風呂を済ませ、床に横になって丸まった。


         *****


 窓から見える空は青い。天気予報はどうやら外れたようだった。

「……」

 綾川は空を睨みつけながら、軋む身体を起こした。酷い隈を足した青白い顔を洗い、今日も仕事へ向かう為に、綾川はいつもの黒い服を着る。
 行き先は昨日の式場ではなく、隣町の廃墟ビル。人気のない、ほぼ瓦礫と鉄骨だけになった荒れた場所だ。

「遅刻とは珍しい」
「休みがないもんで、疲れてるんですよ」
「ほぅ? 昨日まで休みじゃなかったのか」
「急用で」

 指定された場所で綾川を待っていた男は、綾川の挙動一つ一つを観察している。既に知っているのだろう。綾川の裏切りを。

「今日は死ぬにはいい日だろう、葬儀屋」
「そうだな、最悪だよ」

 今日の死体処理は、完璧に出来そうにない。男が持つ写真に写っている人物は、毎日綾川が鏡越しに見ている男だ。

「黒井健吾が握っていた情報を渡すのなら、お前らを生かしてやろう」
「それなら、もう燃えて残っちゃいない」
「黒井を殺したって言いたいのか?」
「どうせ情報を手に入れたら、俺もあいつも消すつもりだろう?」

 綾川には借金があった。綾川の、ではなく父親のだ。彼らはただの借金取りではなく、裏社会で生きている人間だ。
 彼らから請求された金額は、普通に働いて返せるものではなかった。身体を壊すまで働いても、死ぬまで搾取されるだけだ。死んだ方がマシだと綾川は何度も思った。
 それでも彼らの言いなりになって死体処理を手伝い、望まぬ朝を何度も迎えたのは、すべて黒井を守る為だ。
 分かっていたから、綾川は死ねなかった。綾川が死んだら、黒井が次の標的になることも知っていたから、綾川はただがむしゃらに生きるしかなかった。
――黒井が綾川の秘密に気づくまでは。

「黒井があんたらの後ろめたい情報を集めて警察に出そうとしてたこと、気づいたから一昨日家に来たんだろう」
「……黒井は自殺だ」
「遺書を書いたのは俺だ、俺があいつの首を絞めてあとから吊るした」

 誰かに殺されるくらいなら、その前に殺して自分も死んでやる――なんて、現実にはそうそう考えないことをしてしまっている。果たして黒井にとって綾川がそれに値する人間だったかは保証出来ないが、そうでなければ黒井は死んでいないだろう。
 黒井は綾川の本心には気づかない癖に、余計なことには目敏いのだ。
『泣く……なよ、しき……』
 綾川は泣いてはいなかった。たとえ泣いていたとしても、後ろにいる綾川の様子なんて分かるはずがない。それなのに、黒井は泣くなと言った。
『また、あえる』
 最期まで黒井は何も抵抗しなかった。
 みんなの黒井を独り占めして、殺めて、綾川が感じたのは興奮だった。
 黒井の唯一になれた。それに、もう生きようと必死に足掻かなくていい。あぁ、なんて幸せなんだろう、と。
 窓枠に脚をかけて身を乗り出す。背後から聞こえる怒鳴り声が近づいてくるが、綾川は窓枠を蹴った。

「俺が死んでも、天国にいるお前には会えないよ」

 最期まで喪に服そう。目を閉じて、光を遮る。ふわり、と身体が宙に浮く。綾川の落ちる先は地獄だ。
 結局、黒井への恋心には見切りをつけられなかったが、もう本心を探られる心配もない。
 ようやく救われるのだ。

「お前と出会えて幸せだった」

 ぐしゃり、と音を立てて、綾川の意識はブラックアウトした。





2019.3.3 喪服アンソロジー寄稿
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