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▼ チャーハン

 高校二年生になったばかりの男は、困っていた。非常に、かつてない程に困惑し切っていた。売られた喧嘩を買って、十人まとめて来た時も困りはした。それ以上にどうしたらいいのか分からない案件に遭遇し、頭を悩ませていた。彼の常識を逸脱する事件が起こったのだ。
 その事件の発端は、彼の目の前に突如現れた黒髪のイケメンである。
 男子校の敷地内にある学生寮の一室で、辻俊樹(つじとしき)は今起こっていることは夢なのではと、頬を思い切り抓って一人で痛みに悶えていた。そんな奇怪な辻の行動を冷めた目で見ていた黒髪のイケメンは、ぼそりと呟いた。

「………不審者め」

 しかし、その言葉に辻は切れ長の目を丸く見開き、青筋を浮かべながら黒髪のイケメンへと吠えかかった。

「てめぇに言われたくねぇよ変質者!」

 そう、黒髪のイケメンはありのままの姿で、いきなり辻の部屋に現れたのだ。 今すぐ部屋から追い出したいと辻は思ったが、もし得体の知れない全裸の黒髪のイケメンを放り出して、それを誰かに見られでもしたらと考えると幾分か冷静になれた。
――あいつ、全裸のままの相手を追い出してたんだぜ。
 なんて、ただでさえ友達が居ないことに悩んでいる辻にとっては、そんな噂が立つのは死活問題である。なんとしてでも、それは避けなければならない。
 ならば、辻はまず落ち着いて話をするべきだろうと、目の前の黒髪のイケメンへ視線を移して頭を抱えた。そうだ、落ち着いて話をする前に、落ち着く為にフルチンのイケメンに服を着せなければならない。
 タンスから新品の下着と部屋着として使っているジャージを取り出し、惜しげもなく裸体を晒しているイケメンに投げつけた。

「なんだ、これは」

 投げつけられた衣服を、ボクサーパンツを見て、イケメンは首を傾げた。まじまじとボクサーパンツを眺めるイケメンに、じわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。
 『チャーハン』と筆で書かれた文字が臀部に堂々とプリントされた、知る人ぞ知る単語パンツの中華シリーズである。辻はこの単語パンツがお気に入りであり、彼自身も今『ギョウザ』のパンツを穿いている。
 この時、辻はてっきりこのプリントされた文字のことをイケメンに言われているのだと思っていた。

「あ? ボクサーパンツだろうが、さっさと穿け」
「ぼくさーぱんつ?」

 しかし、イケメンは首を傾げたままパンツを観察している。たどたどしい発音に、本当に知らなかったのかと辻は驚いた。
 こうして穿くのだと教えると、疑いつつもイケメンはもそもそとパンツを穿いた。すると、穿き心地は悪くなかったようで、幼い子供の様にはしゃぐイケメンを辻は残念そうに見る。
 そういえば、まだ名前も知らなかったと、辻はパンツ一丁でそわそわしているイケメンに名前を訊いた。途端に眉間に皺を寄せ、不機嫌そうにイケメンは辻を睨んだ。

「無礼者、俺を誰だと思っている? そちらが先に素性を明かすべきであろう」
「変質者だと思ってるぜ」
「失礼な奴め!」

 イケメンに訊かれたので、辻は思っていることをそのまま伝えた。
『誰でも親しくなれるコミュニケーションの取り方』に書いてあった、何でも正直に話し合えばぐっと距離が縮まる、という項目にあったものを辻は参考にしたらしい。だが、うまくいかなかった。こんな時の対処方法が辻に分かるのなら、友達も作れていたはずだ。
 元から短気な辻は不良に絡まれ、どんどん喧嘩に勝っていく内に、一般生徒からは距離を置かれていた。話しかけてもらえたと思えば、喧嘩を売りに来た不良か族の勧誘であり、気づけば一匹狼という呼び名まで付けられる始末である。
 それから、ぐだぐだとああだこうだ言い合っている間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。
 さすがに辻もイケメンも、このままでは話が進まないと理解し、お互いに諦めて自己紹介をした。それで分かったことが、イケメンこと室田龍之介(むろたりゅうのすけ)は辻と同い年であること。
 しかし、同じ時代に居た場合に同い年と言えるのであって、室田は1600年生まれだと、はっきり断言した。

「それって……タイムスリップってやつか?」
「たいむすりっぷ?」
「今は2020年。だから420年分、未来に飛んできたんだよ、お前」

 どうしてこんなことが起こったのか。ありえない、と笑い飛ばしたいところではあるが、寛いでいたらいきなり目の前に素っ裸の男が現れたのだ。その原理を解き明かすよりも、信じてしまった方が頭がパンクしないで済むと辻は割り切ったのだ。
 辻にはまだまだ室田に対して訊きたいことは山ほどあったが、室田の腹の虫が鳴いたので、辻は何か作ってやると申し出た。

「自由に飯も食えるんだな、この時代は」

 ぽつり、と呟くように発せられたその声は、とても儚かった。実際にその時代を見てはいないし、この平和なご時世、過酷さなど全てを理解できる訳ではない辻ではあるが、室田の生まれた時代に何が起こっていたかくらいは、教科書で見たのでなんとなくは分かる。
 肉付きの良くない傷の目立つ身体はジャージに隠れてしまったが、暗い表情までは隠れることはなかった。

「チャーハン、さっき気になってただろ? 作ってやるから、大人しく座ってろ」
「……横で見ていてもいいか?」
「見てるだけなら手伝え」
「手伝えることはないと思うぞ」

 渋る室田に、辻は卵を渡した。こうやって割るのだと手本を見せ、室田もそわそわと卵を割ってみる。
 ぐしゃっと、無残に割れた卵に青い顔をする室田が面白くて、辻は腹を抱えてヒーヒーと声を上げていた。

「そ、そんなに笑うことではないだろう!」
「久々に笑った、あー腹痛い」

 辻は混ざってしまった殻を取り除き、他の具材もてきぱきと切っていった。きらきらと目を輝かせている室田に苦笑しつつも、中華鍋に火をつけ、準備した具材を順番に炒めていく。
 皿に綺麗に盛り付けたところで、電話がかかってきた。もちろん辻の携帯にであり、辻の最も苦手な人物からの呼び出しであった。
 断っても良かったのだが、そうすれば明日の仕事が倍以上に増やされる恐れがある為、さっさと行って片づけてしまおうと室田へ視線を向けた。

「それ、食ってていいから。ちょっと呼び出し食らったから行ってくる」
「素行が悪くて呼び出されたのか?」
「ちげーよ、俺ここの生徒会長……あー、一番偉い人、だから仕事してくんの」
「そうは見えない装いだが?」
「もともと不良だけど、まぁ、ここは見た目が良けりゃいいって変な風習があるから問題ないんだとよ。頭は良いし?」
「よくは分からぬが、別にここから出たりはしない。さっさと行ってくるといい」

 後半は呆れた様子で返事をする室田に見送られ、辻は生徒会室へと向かった。



 辻が仕事を始めてから三時間ほど経ち、今日の内に終わらせなければならない物は全て片付いた。真っ直ぐ自分の部屋へと戻り、扉を開ける。
 しかし、人のいる気配はなく、部屋中を捜しても室田はどこにも居なかった。

「勝手に外に……? いや、でも、鍵は掛かったままだったし」

 ふと、机の上に置かれたぐちゃぐちゃのチャーハンらしきものが目に入った。見よう見まねで作ったのだろうか。その隣には、見事な達筆で書かれたメモが添えられていた。『ありがとう』、その一言のみが書かれていた。
 向かいの椅子に掛かったままの毛布は、まるで誰かがそこにいたかのような、抜け殻のような形で丸く収まっている。転がっていたボールペンで、机に置いていた紙の端に伝言を書いて、そのまま寝ていたのだろうと辻は予測した。
 たった数十分だけのことであったのに、僅かに毛布に残る温もりに寂しさを覚えた。

「また独りになっちまったな」

 ぐちゃぐちゃのチャーハンをスプーンで掬って食べてみれば、それは塩辛い味がした。



END.



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