▼ 恋のたまご
騒々と落ち着きのない校内で、山田は冷静に目の前の人物に対峙していた。いや、目の前の人物達と言ったほうが正しい。
鬼気迫る表情からただ事ではないことは、状況を把握していない者から見ても理解出来る。
そんな群衆の注目を浴びる中、山田は呆れた顔で、対峙している会長親衛隊の面々を見た。
「意味が分かりません」
ごくごく一般家庭育ちの、六人兄妹の長男である山田は、一人の幼い女の子に捕まっていた。ついでに何故か、俺様何様生徒会長様とその親衛隊も釣れてしまい現状に至る。
――どうしてこうなった。
山田はさようなら平凡な人生よ、とぱっとしたことが特になかった十六年間に別れを告げた。
山田と女の子が出会ったのは、昼休みの最中だった。食堂は騒がしい上にお金が掛かるからと、お弁当を持参している山田は、中庭のベンチでまったりと空腹を満たしていた。
「山田、何ニヤニヤ気持ち悪い顔してんの?」
「気持ち悪いは余計だ。見ろ、昨日妹達が晩飯作ってくれたんだ」
自慢げに携帯で撮影した画像を見せる山田は、普段の揺るぎない無表情からは想像もつかないほど嬉しそうな笑顔。いつもこれ位表情豊かならもっと友達が出来ただろうにと、山田の唯一の友達は思ってはいるが、口に出したところで山田本人は気にしないので何も言わないでいる。
山田には妹が五人居て、末っ子はまだ幼稚園に通いはじめたばかりの年頃である。忙しい両親の代わりに、山田は積極的に妹達の世話を焼いている。
なので、入学した生徒の大半が寮生活である中、寮へ入らずに、山田は毎朝自宅から自転車に乗って学校へ通っている。家から一番近くて、理事長と父親が実は大親友で、学費なら安くしてあげるよと言われれば、断る理由はなかった。
まさか男子校であるとは知らなかったが、可愛い妹達の為だと思えば苦ではない。山田の妹達の話を聞いていた友達は、目を輝かせて語る山田にお決まりの言葉を言う。
「相変わらずシスコンだねぇ」
「シスコンの何が悪い」
それに対して、山田も定着化した言葉を返した。そんな何も変わりない、いつもと変わらないやり取りをしている時だった。
「うぇえっ……ちーちゃん、どこ……」
ぽろぽろと涙を零す女の子が、中庭までとぼとぼと歩いてきた。うさぎのぬいぐるみを抱えてやってきたその女の子は、山田達に気づくと顔を強張らせた。
どういう経緯でここに居るのかは分からないが、こんな所に一人で迷子になっている女の子を放っておくのは危険だと判断した山田は、なるべく怖がらせないように優しく女の子に喋りかけた。
「こんにちは」
「…っ、ぐすっ……」
ゆっくりと女の子に近づいて、目線を合わせるようにぺたりとしゃがみ込む。山田は、女の子が大事そうにしているうさぎのぬいぐるみを知っていた。
今、妹達に欲しいと強請られている人気のキャラクターだった。
「ラビちゃんもこんにちは」
「っ! ラビちゃん、しってるの?」
「僕の妹も大好きでね、とても大事にしているんだね」
「うん、ちーちゃんがくれたの……でも、ちーちゃっ……いなくなっちゃったの……」
再び泣き出しそうになった女の子を宥め、山田はよしよしと女の子の頭を撫でた。落ち着いてきた女の子の様子を見計らって、『ちーちゃん』についての情報を聴き出すことにした。
しばらく辺りを見回すようにきょろきょろと動いていた女の子の視線が、山田のお弁当へ向いていることに気づいた。
「玉子焼き、食べる?」
馴染みがないのか、不思議そうに見ている女の子に玉子焼きを差し出した。ぱくり、と差し出された山田お手製の玉子焼きを食べた女の子は、くりっとした目をさらに大きく見開いた。
「おいしい!」
笑顔を見せた女の子に、山田と友達はほっと息を吐いた。山田は女の子に少しずつ質問をして、情報を掻き集めた。
結果、女の子は『さんじょうりさ』という名前であること、『ちーちゃん』は従兄であること、両親が仕事で家に居ない為その『ちーちゃん』の部屋でしばらく生活するらしいことが解った。
「おい山田、ちーちゃんの情報が無さすぎる」
「でも、このままここに居る訳にもいかないしなぁ」
「風紀に保護してもらうってのはどうだ?」
「その方がいいかな」
風紀室へ向かうことは決定したものの、目立つルートは避けていこうと、奥の階段から四階まで上がった。そこまではよかったのだ。山田は風紀室のある方向が、やけに騒がしいことに気づいた。
嫌な予感がしたものの、女の子を危険に晒す訳にはいかないと、山田は角を左へ曲がった。その先に、風紀室があるはずだった。
しかし、大勢の生徒でごった返していた。その内の一人が山田を指さして、あっと声を上げた。
「りさちゃん!」
その声によって、周りにいた生徒全員の注目を集めることになった。彼が指さしていたのは、山田ではなく女の子の方であったことが判明した。
一斉に駆け寄ろうとした為、驚いた女の子が山田の服をぎゅっと掴んで引っ張った。それに気づいた山田は、目の前の生徒達の動きを制した。
「びっくりしてるじゃないですか」
「アンタ何様のつもり? 早くその子を渡して!」
「意味が分かりません」
怯える一方の女の子を庇うように山田が前に出たと同時に、威圧感溢れる声が騒ぐ生徒達の動きを止めた。何事かと首を傾げる山田に、後ろから友達があの人は篠原会長さんだよと伝えた。
「なんで会長さんが出てくんの……」
「おい、何か言ったかそこの平凡野郎」
山田はアイドルコンサートのような生徒会の集会中は、耳栓をして寝てばかりだった。まだちゃんと聴いていたのは初めの頃だけで、会長はやたらと偉そうな人という認識でしかない。
早くこの空気から脱出したいと思う山田だが、女の子が会長へ向かって猛ダッシュし、さらに鳩尾へ頭突きを食らわせる事件が発生した為、それは叶わなかった。
「って、えええええええ!?」
「りさちゃん!?」
これには山田も友達も他の生徒達も、皆一様に驚きを露わにした。蹲る会長に少し笑いそうになったが、堪えて女の子を守らなければと山田は動き出した。が、予想だにしなかった追撃が山田を襲った。
「ちーちゃん! わるくち、めっ! でしょ?」
――今、会長に向かって『ちーちゃん』って言ったのか?
山田はどうやら笑いのツボを刺激されたらしく、お腹を抱えて爆笑し出した。
「ちーちゃん……似合わないっ……ふふっダメだ面白い……」
「平凡野郎笑ってんじゃねぇぞクソ!」
「ちーちゃん、めっ! なの!」
収拾のつかなくなった場は、風紀委員長の怒りが爆発したことにより終わりを迎えた。山田は女の子を無事送り届けることが出来たので、こっそり友達とこの場から抜け出すつもりでいた。
しかし、女の子に相当気に入られてしまったようで、ちーちゃんこと篠原千景会長の部屋に連行される事になってしまった。友達はそそくさと山田を見捨てて姿を消していた。
女の子を挟んで左に山田、右に会長というよく分からない組み合わせで、仲良く手を繋いで部屋へと向かう。
最初は絶対に嫌だと反対していた会長であったが、泣き出しそうになった女の子を宥める山田の冷たい視線に、半ば自棄になって現状に至る。
「お兄ちゃん、あのね、さっきのもっとたべたいの!」
山田はさっきの、と思い返して、玉子焼きのことかと尋ねた。元気よく頷いた女の子に微笑み、会長へ卵や調理器具はあるのかを訊いた。
特に問題はなさそうなので、女の子のリクエストに応えることにした山田に、女の子は嬉しそうに破顔した。
そのやり取りに苛立った様子の会長は、眉間に皺を寄せながら山田へ問いかけた。
「何でお前はりさと喋る時はにこにこしてんのに、俺には無表情なんだよ」
「なんですか、いきなり」
「もっと嬉しそうにしろ」
「無理です。会長さんこそ、そんな怖い顔してりさちゃん怖がらせたりしたらダメですよ」
口論を続ける二人に、女の子は両腕を目の前に引っ張ると、そのまま山田と会長の手を繋がせた。お互いにすぐ手を離そうとしたが、女の子が離したら駄目と頬を膨らませるので、離すに離せず部屋まで辿り着いた。
手を繋いでいたら料理出来ないからと、女の子を説得して会長からやっと解放された山田は、キッチンを借りてさっと玉子焼きを作った。女の子と同じように、玉子焼きに視線を注ぐ会長にも一応食べますかと勧めてみる。
まさかこれがきっかけで会長に懐かれるとは、この時の山田は全く思ってもみなかった。
後日、友達に会長の餌付けでもしているのかと訊かれ、反応に困る山田がいた。
END.