「あーはい、こんにちは。今回仕事を承らせて頂きます松野です」

 すっと上から持たされた名刺を出せば、ようやく相手のうら若き女性は頬に走っていた緊張をほんのばかし解放させた。それはこれから自分のことを解決させてくれる人物が現れたことからの歓喜からのものではなく、今目の前にいる男二人組の素性が分かったからだろう。
 エクソシストというのは黒で身を包む者が多い。魔を対峙する者としての、昔からの形式というより暗示のようなものである。中には突飛な色をまとっている者もいるが、そいつらだって身体のどこかしら、たとえば下着だかとかに黒を入れているものだ。もはや制服のようなものである。僕たちの組織に制服なんて格式ばったものは存在しないけれど、強いて言うならこういう真っ黒な装束をまとうことこそが正式な格好だとでも言うのかもしれない。
 修道服のフードを深く被っているのと長く伸ばした前髪のせいで女性の顔はよく見えないが、どうにもこうにも垂れ下がった手が魚の腹のように白いことから、顔色も同様なのだろうと推測を立てる。僕と違って相手の顔を真っ向から見ることのできるクソ神父は先ほど鳩尾を殴って沈ませてしまった。そこに僕の非はない。何もかも、このクソ神父が発するクソみたいな発言が悪い。
 しかしそれがまさかこんな弊害を生み出すとは。伸びている神父と、その前に立ちはだかる修道服に身を包んだ男。確かに通報されても致し方ない光景である。素直に戸を開けてくれたことに、まず感謝しなければならない。
 女性は名刺と僕たちを見比べたあと、震える声で「本当に、助けてくれるんですか」と訊ねた。僕はそれに少しだけ分厚い手袋に包まれた手でフードを持ち上げ、前髪でところどころ黒い線が入らされることとなった女性の顔を見る。ううん、なかなかに美人。タイプじゃないけど。
「それが魔の仕業であれば、私たちは貴女を救いだすことができますよ」
 それは暗に人間の仕業ならば無理だということだったのだが(いや普通に僕たちも対人訓練はなされているから悪魔だろうが人間だろうがノすことができるのだが、そうすると上が煩い。どうしてこうも、人間というのは組織の形を取りそれを大きくすると面倒なことになるのだろう)、彼女はその裏の意味には気付かなかったかのようにほうっと、今度こそ安堵の溜息を吐いた。彼女の目の下には、真っ黒な隈が敷かれていた。美人なのに勿体ない。化粧とかで誤魔化せないのかと思いつつ、綺麗に頬紅が差されているところを見ると、これでも隠しているつもりなのだろう。ファンデーションでも白に塗せないその有り様にほんの少し同情した。
 未だに後ろでばったりと倒れているクソ神父の頭を蹴り飛ばす。軽く小突く、だとかそんな可愛げのあるものなんかじゃない。サッカーボールをゴールにぶち込むかのようなそんな威力で、側頭を蹴り上げた。女性がキャア、と可愛らしい悲鳴を上げる。しまった、人前だということを忘れていた。
 僕が「気にしないでください、こいつ頑丈なんで」と気休めじみたことを言う後ろで、のっそりとクソ神父は膝をつき立ち上がった。頭を掌で抑えているあたり、自分を撃沈させた鳩尾の打撃より自分を起床させんが為に繰り出された蹴りの方が効いたと見える。まあ腹筋はいくらでも鍛えられるけど、頭は薄い皮膚と髪だけしかないからね、鍛え上げられるわけもない。腹筋に至っては、殴った僕の方が重傷を負う結果になってしまったし。
 未だにじんじんと鈍い痛みを発する手を軽く振りながら、「ああ僕たち双子なんです」と一応説明しておく。彼女の目が僕の顔とクソ神父の顔を行ったり来たりしていて疲れそうだったからの助言だったが、それを聞いて彼女は納得したように頷いた。「双子でエクソシストなんて、すごいですね」何がすごいというのだろうか。僕たち以外で双子のエクソシストだと名乗っている奴を見たことがないから、彼女の気持ちに一ミリたりとも共感出来なかった。
 クソ神父は少しだけ頭を振り、乱れた髪を整えてから胡散臭さ百パーセント(僕に言わせれば胡散臭いことこの上ない。女神はこれが人を安心させる笑顔というのですよと言っていたが、まったくもって理解不能だ。まだ百万の壺を売りつける詐欺師の方が安心できる笑顔を浮かべるだろうに)の笑みを浮かべ、彼女に手を差し伸べた。
「ご挨拶が遅れました。今回の件を就任させていただく、松野カラ松です。こちらは松野一松。私の弟です」
 私、という一人称に思わず鼻が鳴る。なんだよ私って。仕事にかかるとき、こいつはいつもそんな改まった一人称を使う。別にいつもと変わらない俺というものでいいだろうといった僕に、こういうのは第一印象が大切なんだぞととくとくと何の足しにもならない説教を食らったことは記憶に新しい。聴神経がイカれるんじゃないかというくらい長かったこいつの説教のおかげだかせいだかで、僕も他人に話す時では滅多に使うことのない私という一人称を先ほども彼女に使ってしまった。そのことにますます、僕は鼻を鳴らすのだった。
 ろくに顔も見えない女装男子な僕なんかより、神父服をきっちりと着た(ここに来るまでには流石に二人ともその上にコートを羽織っていた。こんな姿で街を行き来してたら確実に職質される上に、そこら辺をのさばっている警察に僕たちの職を素直に告白したところで頭のおかしい奴だと思われるだけだ)清潔感溢れる笑顔の男の方がいくらか安心できたのだろう。まあ、それには同意。
 おずおずと差し出された手にしっかりと握手をして、カラ松は早速ですが、と口火を切った。
「ご自宅にお邪魔してもよろしいでしょうか」
 そう言うカラ松の言葉に、僕はこの一軒家の外観をまじまじと眺めてみた。もっとも門やら何やらが阻んでいて、一部分しか見ることは叶わなかった。隣の家とはブロック塀一枚で隔たれているという辺りは、この家とこの街の古めかしさを物語っているだろうか。それに違わず、彼女の家はたいそう大きな日本屋敷であった。情報によるとこの家に一人で住んでいるということだから、掃除が大変そうだなあなんて僕なんかは思ってしまう。でもこんな家に住んでてなおかつ気軽にエクソシストを呼べるような人間なのだから、お手伝いさんの一人や二人、いるのかもしれない。日本には珍しい形式だけれど、そういった職があることも一応知識としてある。
 彼女は「構いません、入ってください」と口紅を塗っているにも関わらずどこか青白い唇を動かして僕たちを家に招き入れた。ようやく門から入れてもらえることが叶ったことに、まるでこれじゃ吸血鬼だなと思った。住人の許可を得て、やっとその家に侵入することができる。吸血鬼なんて今じゃ滅多に見なくなったが、昔はわんさかいたのだ。そう思うと、一々許可を取ってから家に入るというのはいやに礼儀正しくて少し笑ってしまった。
 門をくぐって家に入ってみれば、門外からでも大きいだろうと察せられる家をまざまざと見せつけられることとなった。まじででけえ。なんじゃこりゃあ。時代錯誤も甚だしいぞ。そんな僕の視線に気づいたのだろう、彼女はまろい頬に少しだけ苦笑を乗せて、「元は曽祖父のものだったんです」と告げた。
「曽祖父から祖父、祖父から両親といった風に受け継いでいたんですけど、両親は三年前に事故死してしまって。それで私が住むことに」
「なるほど。すみません、辛いことをお聞きしてしまって」
「いえ、私が話し始めたことですから」
 まずはお茶にしましょう。そこで詳しくお話します。彼女はそう言って僕たちを家の中へと入れた。お邪魔します、と礼儀正しく上がるクソ神父に倣って、軽く頭を下げつつ玄関に入る。僕たちが住んでいるおんぼろ教会とは比べ物にならないほどの大きな玄関とその先に続く長い廊下に、少し目眩を起こした。おお神よ、これが身分の差というやつですか……。
 靴を脱ぎつつ、辺りに視線を回す。靴箱の上には、見事な生け花が飾ってあった。どこまでも日本屋敷らしい、よく言えば風情のある、悪く言えば古くさい家だった。玄関に入る前にちらりと見た庭も、これぞ日本庭園といった感じのものだ。ますますお手伝いさんやら何やらがいるという可能性が高くなってきた。どんだけお嬢様なんだこの人は。
 ならば彼女は大層周りから羨まられたことだろう。羨みは行き過ぎればただの嫉妬となる。嫉妬となり、怨恨と成り下がる。そういった人の、人がもって当たり前の心の闇に、魔は潜む。魔はいつだってそこにいて、いつだって頭をもたげる機会を今か今かと待ちかまえているのだ。いきなり魔が現れるのではなく、その人の視点が変わっただけ。
 彼女は客間らしき広い部屋に(客間って。磯野さんちかよ)僕たちを通すと、ちょっと待っててくださいと言って台所に消えていった。用意されていた座布団に腰かけると、そのふかふか加減にまたもや僕は衝撃を受けた。なんだこれ、僕たちが普段使ってるベッドよりも柔らかいぞ。こういう些細な(座布団を些細といっていいのかはよしとして)ところにまで金を使うというのが、金持ちの本来あるべき姿なのだろう。僕たちみたいに通帳に零の数ばかり増やしていくのは金持ちなんかじゃなくただの馬鹿だ。
 彼女が完全に去ったのを見届けてから、隣に座るクソ神父に視線をちらりとやる。
「どう思う」
「どうもこうも、魔のにおいでいっぱいだ。お前だって分かってるんだろう」
 いやわかんねーよ。分からないからお前に訊いたんだよクソ神父。
 しかしそれを素直に告げるのも癪だ。だから僕は適当に頷いて「うん、さっさと仕事終わらせようよ」とだけ言っておいた。こいつはよくも悪くも、自分の力量を推し量り損ねすぎている。こいつがいる空間で、魔が活動できるわけもない。そしてその残り香すら、こいつは浄化してしまう。それをいい加減理解してもらいたいもんだ、一緒にいるこっちが保たない。
 彼女は五分もしないうちに、漆塗りと思わしき高そうなお盆にこれまた高そうな湯呑と急須、羊羹を持って戻ってきた。そういえば、何で羊羹ってこんな漢字を使うんだろうね。羊はまだしも(まだしもって何だ)羹っていう字が他に使われているところを、僕は産まれてこの方見たことがなかった。普通に揺れる甘さとかで揺甘とか、よく噛めという意味合いでよう噛んとかじゃ駄目だったんだろうか。当て字が何かと多い日本に何を言っているんだという感じではある。出鱈目とか完全に当て字じゃん。目出度いにしたってそうだ。だから別に、これは羊羹に限った話ではないのだろう。
 彼女は上品な手つきで急須から湯呑に緑茶を注ぎ、丁寧にコースター(日本語でなんていうか分からん)を敷いて僕たちの前にそれを出した。出された羊羹はどんな細工がなされているのか、キラキラと星のように金箔が散りばめられていた。いったいいくらするんだこれは。怖くてとてもじゃないが訊けない。
 とりあえず一口それをもらい、カラ松に目配せをする。カラ松は僕の視線に頷き、「早速ですが、」と彼女に仕事を始めるという意思を込めて訊ねた。
「こちらも書類であらかたの事情を知っていますが、貴女の口から直接、お話を伺っても構いませんでしょうか」
「ええ、構いません。私も誰かに話したくて仕方のなかったことですから」
 王様の耳は驢馬の耳。そんな昔話を頭に浮かべる僕には気付いた風もなく、彼女はトツトツとことを話し始めた。僕たちがこの家に出向くこととなった、ことの経緯を。書類であらかたを知っている僕としては楽しくも何でもない話で、羊羹をつつきながら聞いていたのだからたいそう行儀の悪い男だと思われたことだろう。何を今更といった感じだ。僕はここにきてから持ち上げたことはあれど、完全に頭を覆う真っ黒なフードを外さなかった。まあ修道服だしね。
 美しい彼女は俯きがちに、話を始めた。怪談忌憚、怪異説話、心霊現象、御伽噺。そういったものに分類されてしまうような、僕たちの専門の話を、口にする。

「始まりは、祖父が死んだところからでした。祖父が死んだのは突然のことで、急に苦しみ出して胸を掻きむしったんです。その場にいた私と両親はたいそう驚いて、父がすぐに救急車を呼びました。それで母と二人で祖父の手を握っていてあげてると、祖父がカッと目を見開いて、こう言ったんです。悪魔が、悪魔がいるぞって。その時は私も母も、苦しみのせいで祖父が幻覚を見ているんだろうと思いました。だって、だってそうでしょう? 普通、悪魔なんて言われてもファンタジーなものとしか、非現実的なものとしか思えません。そして祖父はすぐに来た救急車の中で息を引き取りました。医者からは心不全だと言われました。その時は、私も両親もすごく悲しんで、周りの方々も気を落とさないでと言ってくださいました」

 金箔入りの羊羹ってこんな味がすんのか。金箔の味が全く分からん。というか、金箔って味あんのか? 微妙だ。ときどき日本酒だとかにも入っているけれど、金はある癖にケチなクソ神父のせいで僕がそんな高級品にありつけたことは一度としてなかった。正式にエクソシストになった日にだって、こいつはいつものような時代錯誤の渇いたパンと葡萄酒を持って来たのだ。さすがにそれには奴の脳天を殴って消沈させ、ピザ屋に電話した。電話したのにそんな山奥には配達にいけないとか抜かされたからブチ切れながら僕はわざわざ山下の街にあるピザ屋に赴いてやったというのに、赴かれた方はといえばブルブルと震えた様子で代金は要りませんから命だけは、だなんて抜かしやがった。そんなに僕が強盗に見えたのか。
 強盗。強盗ねえ。真面目くさって彼女の話を聞くクソ神父を一瞥しながら、最後の一口を舌の上に放りこむ。
 まあ、強盗ってのは間違ってない。人殺しと表したって、それは僕を形容する言葉としちゃ何にも間違っちゃいない。まあこいつに言わせたらそんなことはない、一松は優しい奴だとか抜かすんだろうけど。あー、思い出したらムカムカしてきた。今回の悪魔にそっと手を合わせる。すいませんね悪魔サマ、どうやら貴方は僕の機嫌によってギッタンギッタンにされるようです。
 そんな態度の悪い僕に構わず、彼女は続ける。クソ神父も相も変わらず真面目くさった顔で傾聴している。その姿に少しだけ脱帽した。実際フードは外さなかったけれど。

「そうやって祖父の葬式が終わって、しばらくした時のことでした。今度は父が悪魔がいるだなんて言い始めたんです。悪魔が、悪魔がって。私も母も怖がって、病院に行かせようとしたんですけど全然話を聞いてくれなくて。どうしたもんだろうって思ってたところに、急に父が謝ったんです。今まで意味不明なことを言って悪かった、僕もどうやら実父が死んだことに取り乱していたらしいって。私と母は心底喜びました。父がまともになってくれたって。それを言って、父は今までの詫びとして食事に行こうと言い出したんです。私も母も了承して、私は身支度を整えるために部屋に戻りました。そうして化粧をしてる間に、外で大きな音がしたんです。驚いて家から出てみると、自分の家の車が電柱に突っ込んでたんです。もうぐちゃぐちゃで。今でも、崩れた車から流れる父と母の血が夢に出てきます」

 祖父に続いて両親を喪った彼女の心を、僕はまったくもって理解できない。きっと一生できないのだろう。僕に両親はいない。家族もいない(というとクソ神父に激怒されるから間違っても口にはしない)。だからきっと、家族を同時期に喪った彼女の心境を、僕は一生理解出来ないのだろう。
 ちらりとクソ神父の横顔を盗み見る。相変わらず格式ばった神父服を着て、胸に重そうなロザリオを引っ提げている。クソ神父はクソ真面目に、この女の話を聞いていた。
 こいつが死んだら、さすがに僕も悲しむのかな。
 そんなどうでもいいことを思いつつ茶を啜る。苦い。

「それでようやく私も思ったんです。悪魔は本当にいるのかもしれないって。そしてそれらが、私たちを不幸に、死に追いやってるんじゃないかって。そう考えると、もう怖くて怖くて。それでエクソシストの方々に依頼を申し込んだんです」

 書類と大して変わらない情報量を呈した彼女はそうして、深く深く頭を下げた。
「お願いです、助けてください。私はどうしても、家族を死に追いやった存在に報いを与えてやりたい」
 さらりと揺れる髪の毛にすらケアが生き届いていて、ああこういうのが女子力ってやつかなあなんて思った。一松兄さんは気にしなさすぎなんだよ、とトド松のぷんすこした声が聞こえてきた気がしたが、これこそ幻聴だ。いや奴の力をもってすれば、他人の脳内に声を響かせることなんて容易なことなのかもしれない。こいつ、直接脳内に……! が実現されるわけだ。楽しいね、何がだよ。
「頭を上げてください」
 未だに頭を上げない彼女に、クソ神父は優しく告げた。その顔には先ほどの真摯さとは打って変わって、僕からしてみれば胡散臭さの塊、女神や他の人から言わせれば人に安心感をもたらすというあの笑みが張り付けられていた。
「話は分かりました。必ずや、貴方の力になってみせましょう」
 彼女は弾かれたように顔を上げた。そして化粧が崩れることも構わず、ありがとうございますありがとうございますと大粒の涙を流した。それにクソ神父は困ったように笑いながら軽く手を振った。
「いいんです、それが私たちの仕事ですから」
 それではまず、家を見させていただきます。貴方はここにいてくださって構いませんから。そう言ってクソ神父は立ち上がった。手を付けられていない茶と羊羹は勿体ないから僕が全部処理しといた。感謝しとけよクソ神父。
「いえ、私も」
「お疲れなのでしょう。無理をなさらないで」
 ついて来ようとする彼女を、クソ神父はまたあのキシリトールを練り混ぜたような顔で制した。お前多分エクソシストより詐欺師の方が適正あるよ、性格はともかく。
 僕も同じように立ち上がって、彼女に軽く会釈する。彼女は未だに涙を零しながらありがとうございますと何度も言っていた。ありがとうございます、ありがとうございます、ねえ。
 クソ神父のあとに続いて客間から出る。そして縁側らしきところを歩きながら、「どうすんの」と訊ねてみた。
「もう居場所は分かってる。どうする」
「どうするも何も、魔を祓い天へと導くさ」
 いつものような、もはや常套句になってしまった科白にうんざりした。天へと導くって。あいつらの住処は地獄だというのに。魔を潰すでも殺すでもなく浄化して転生させてしまうのが、このクソ神父のやり方だった。エクソシストの中には悪魔に恨みつらみを重ね、もはや人を救うのではなく悪魔を殺すことを目的にしている奴らだってごまんといる。というか、そういう奴らがほとんどだ。親を殺された、きょうだいを殺された、家族を殺された、友人を、恋人を、殺された。だから自分たちも魔を殺す。狂った思考回路なもんだ。人ではなく罪を憎めというありがたーいお言葉は、こいつらには全く響かないらしい。響くのは、頭ぱっぱらぱーなこのクソ神父にのみだ。
 そこがこいつの強みなのだと女神は言っていた。この方の強みは、この魂の清らかさなのだと。それに痛い目を見せられた僕としては唾を吐きかけたい衝動に駆られるばかりだ。というか実際ムカついたから足を蹴っておいた。痛いと抗議されてしまった。僕としてはこいつの言動の方が痛いからお互い様というやつである。
 視線を庭へと向ける。もはや庭園と称するべき方が正しいであろうそれにしばらく視線をやった後、「ここがいいな」とクソ神父は呟いた。

「この庭園を使わせてもらおう」
「ほう」
「家の中だと後片付けが大変だからな」

 それには同意。僕が何も言わないことを肯定と受け取ったのだろう。クソ神父は笑顔で僕を見た。
「今回はすぐに終わりそうでよかった」
「……僕としちゃあ、もっと骨のある相手の方がよかったけどね」
 庭園に靴を履かないまま降り立つ。よく手入れされているのか、大層踏み心地がよかった。どれだけ金をかけてあるんだろう、この家。クソ神父は律儀に一度玄関に戻って靴を持って来てから、庭園に足を下ろした。あんだけ汚い教会に住んでるんだから、別に足の裏が汚れたって構わないだろうに。それでもこいつはそんなことをしない。コートも着ない。それはこいつが魔を祓う上での決まりみたいなもんだった。例え魔であれ、敬意を払った服装で。よくわからん理屈だ。相手としちゃあどんな薄汚いおっさんであろうと綺麗なお姉さんであろうと、自分が祓われるとなればどうでもいい話であろうに。
 庭園にある小さな池の前で足を止める。鯉がぽちゃん、と大きく跳ねた。それを切欠にしたように、クソ神父が呼ぶ。悪魔を、呼ぶ。

「もう出てきてくれていいぞ」

 そう振り向けば、そこには先ほど僕たちに茶と菓子を出してくれた、うら若く美しい女性がいる。美しい、ねえ。女ってのはどうしてそうまで美に拘るかね。そこに金の亡者とくれば、やっぱり女の方が男なんかより意地汚いんだろうなあなんて思ってしまった。いろんなところから罵詈雑言が飛んできそうな思想である。
 彼女は何を言われたか分からない、とでもいった風に首を傾げた。手入れの行きとどいた髪がさらり、さらりと肩から滑り落ちる。
「悪魔は見つかったのですか」
「ああ、だから出てきてくれていいと言っているだろう」
「あの、何を」
「だから、」

 もう猫を被る必要はないと言っているんだ。

 クソ神父がそう言うと、女性は少しだけ困ったように表情を緩めて俯いた。そして再び上げた顔は、にいっと裂けんばかりに口を三日月にした、不気味なものだった。靴を履くのと一緒に嵌めたクソ神父のガントレットに、女は「ああ、貴方は武闘派なんですね」と呟いた。いったい幾人のエクソシストを見てきたのか。資料では五人だったな。それ全てが心不全で死んでいる。そうして僕たちにお鉢が回ってきたわけだ。クソ神父が一発で見抜けたというのに、何故他のエクソシストは分からなかったのか。それはこいつが人間の皮を被っていたからなのか、それともあいつらが無能だったのか定かではない。どっちにしろ関係ない。今からこいつは、僕たちが祓うんだから。
 シスター服の長い裾から銃器を取り出す。クソ神父が溜息を吐いた。「またそんなところに隠してたのか……」「ここが一番丁度いいんだよ」両手に銃を持ち、構えるでもなくにししと笑って見せる。その様に、女も笑う。
「あなた方が初めてですよ、私が悪魔だと一瞬で見破ったのは」
「いや、貴方は悪魔ではない。魔に取り憑かれた哀れな子羊だ」
 イタイイタイ、耳と胸がイタイ。その痛さと等価交換するためにもう一度クソ神父の足を蹴っておいた。
 何が悪魔に取り憑かれた、だ。確かに最初はそうだったかもしれない。最初は、祖父を殺した時くらいは、まだこの女も人間だったのかもしれない。しかしもう、彼女は人間ではない。れっきとした、悪魔である。
 どこから完全に魔になったのか、僕たちが知る由もない。知る理由もない。ただ僕たちに必要なのは、こいつは人に害をなす悪魔であるという悠然たる理由だけだ。
 先ほど茶と羊羹に舌鼓を打ったそれをべろりと回す。僕たちがこいつのうちに来たのは夕暮れ時、そしてちゃんと調査をした後ともなれば夕食時になっていただろう。そんなエクソシストたちに、彼女はあの美しい笑顔で食事を勧めたに違いない。それを食った祖父、両親、エクソシストがどんな最期を迎えたのかは、資料通りである。
 だけどまあ、残念だったね。唇を舐めながら、僕はにんまりと笑う。クソ神父はそれを一切口にしなかった。口にさせるわけがない。あんな美味なもの、こいつには勿体なさ過ぎて勿体ないおばけが出てきそうだ。
「人ってのは醜いねえ」
 金に目が眩んだのか、それとも魔となって手に入れることのできる永遠の美貌に目が眩んだのかは知らないけど。魔になり、そして人に害をなしたともなれば僕たちが暴れる理由には十分すぎる。まあ、今回は暴れるまでもなさそうだけどね。
 銃を向けた僕と、ガントレットを構えたクソ神父に応戦しようと魔本来の姿を現そうとした彼女の表情が、まるでセメントを塗り手繰られたかのようにぴたりと止まる。戦慄く手で、人為的に作られた隈を、顔をなぞって震える。
「どう、して」
「こいつの結界内じゃあどんな異形の存在だって、力を出せないよ」
 もっともかなり上位の存在ならば、清い存在ならば出せるのだろうけれど、あいにくこいつは中級悪魔。惜しかったね、もう少しエクソシストの魂を食っとけば上級になれたかもしれないのに。そうすれば僕たちももうちょっと骨のある仕事にありつけたはずだろう。
 背中を向けて逃げだそうとする、いや、クソ神父から距離を取ろうとする女の背中に銃弾を撃ち込む。噴き出る血液は人間らしい、悪魔らしい真っ赤なものだった。硝煙をゆらゆらと漂わせる銃口に息を吐き付ければ、クソ神父が責めるような視線で僕を見た。なんだよ、いいとこ取りしたことに怒ってんのか?

「何も殺す必要はなかったろう」
「いやあったね。あの女はもう魔そのものになってたよ」

 まだ、まだ祖父を殺した時点だったのならば魔だけを引き剥がすことも可能であっただろう。しかし時遅し、もうあの女は魔に成り下がってしまっていた。あの状態から元の人間に戻す方法は今のところ存在していない。数百年後はあるのかもしれないけれど、少なくとも今はない。
 だから僕は撃った。聖銀でできたこの弾丸を、あの女に撃ち込んだ。魔は滅され、こいつの言う通り新たな存在に生まれ変わるべく天に昇ってゆくのだろう。実家である地獄ではなく、忌むべき天国へ。悲しいねえ。
 ガントレットをいそいそと外したクソ神父は、携帯電話を取り出すと組織に連絡を入れ始めた。無事任務完了ですということと、この女の後処理を申し込んでいるのだろう。もっとも肉体は跡形もなく塵芥になってしまったのだから、後処理といっても大してないのだろうけれど。
 女が倒れた縁側に歩み寄る。既にそこに遺体はなく、あるのは先ほど女の肉を突き破った聖銀の弾丸と、真っ赤な血液だけである。それを指ですくい、一舐め。「おいっ!」焦ったような声がして、僕はうんざりしながら振り向いた。業務連絡が終わったのか、怒ったような(実際怒っているし焦っているのだろうけれど)面持ちでずんずんと僕に近づくクソ神父と目が合った。
「悪魔の体液なんて舐めて、死んだらどうするんだ!」
 悪魔の体液には様々な毒が潜んでいる。一舐めで人を死に至らしめることもあれば、被ったら最後皮膚が溶け脳みそをさらけ出すものだって、あることにはある。こいつは中級悪魔だったから、口に含んだら死ぬことだってあるだろう。それはこの女の家族やこの家に訪れた今亡きエクソシストたちが証明してくれている。
 でも、それが通じたのは彼らが人間だったからだ。まっさらで、まっとうな人間だったから。だから僕に、その毒が効くわけもない。
 べろり、と口周りに付いていた悪魔の血液を舐め取る。びりりとした痺れもなければ、胸が苦しくなるような鈍痛もなかった。ただただ、鉄臭いという感想を与えるだけのそれに、悪魔の血も人間と同じなんだなあとぼんやり思った。

「何度も言ってるでしょ。死神を殺せるのは。死神だけだよ」

 顔を上げたせいで頭に被せられていた修道服のフードが滑り落ちる。もう夜の帳を落とした夜の下で、僕の紫色の双眸がクソ神父を見る。僕が死神たる存在であると証明するその両目で、クソ神父を、カラ松を見つめる。
「そういう問題じゃないと、いつも言っているだろう」
 そう言って、カラ松は僕を抱きしめた。相変わらず体格だけは一丁前だ。がっしりとした筋肉は僕のひょろっこい身体とは似ても似つかない。似ているのは、顔だけだ。この顔だけ。自分の頬に指を這わせてみる。血も何も繋がっていないのに、僕たちの顔は双子だと言わないと納得してもらえないほど似通っている。本当は、何の関係もないのに。ただの神父と、ただの死神であったはずなのに、神はどういった采配で僕たちにこの顔を与えたというのだろう。それは、トド松にも、あの女神にも言えることだった。何故僕たちは、何の繋がりもないはずなのにこうも顔が似通っているのか。
 女神が今後何らかの大きな災厄が訪れると言っていた。その予言の通り、最近異常なほど悪魔の行動が活発化してきている。そのせいで僕たちの仕事は多くなる一方だ(通帳の零の数も増えるばかりである。使えよ)。
 大きな災厄。それはいったいどんなものだというのだろう。
 カラ松は僕の手を分厚く覆っていた手袋を外すと、しっかりとその手を握り込んだ。
「俺はお前が、大切なんだ」
 自分を陥れた相手にそんなことを言うなんて、こいつも相当頭がお花畑だ。
 でも、それを嬉しいと思ってしまう僕も、相当終わってる。そんな苦笑をしながら、僕はその手に指を絡ませてやるのだった。


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