一番最初に視界に入ったのは、真っ白な天井だった。いや真っ白ではないな。ところどころ老朽化のせいか寂れている。だとしても、うちの家よりよっぽど綺麗だ。ぼんやりとその様を見ていると、少し離れたところからがちゃんとガラスの割れる音がした。視線をそちらに移せば、信じられないものを見たかのようにわななくチョロ松がいた。それに遅れておそ松が顔を出す。
「カラ松! ようやく目が覚めたのか!」
 ようやく? 俺はそんなにも眠ってしまっていたのだろうか。そもそも、ここはどこだ? 横になっている身体を持ち上げようとして、走った痛みに顔を歪めた。激痛の出処は至る所にあったが、一番の痛みを訴える場所にゾッとした。
 腹。何も入っていなかった、文字どおりカラッポだった俺の中身。
 そこが、一番にじくじくと痛みを訴えていた。
「俺の、はら」
「安心しろカラ松ゥ、お前の腹はきっちりセンセイが治してくれたよォ」
 泣きながらキレるチョロ松を宥めながら、おそ松は何でもないように言った。治してくれた? センセイ、医者が? この中身のないカラッポの腹を、身体を、治してくれた?
わんわん泣くチョロ松をなんとか落ち着かせ、「父さんと母さん、それから他の奴らに連絡してきてよチョロちゃん」とおそ松はチョロ松に頼んだ。ぶつくさ言いながら出て行ったチョロ松は、部屋から出た途端俺にも聞こえるほどの音量で泣き叫んだ。大丈夫か、あいつ。
 それが顔に出ていたんだろう、おそ松は「そりゃあ、ああもなるよなあ」と俺にデコピンを食らわせた。おおよそデコピンとは思えないほどの威力と音を伴って、それは俺の頭蓋骨を襲った。というか折れたと思った。いや脳みそ抉れたかも。それほどの威力だった。痛みにのたうちまわる俺に、「三日間」とおそ松が三本指を立てた。
「お前トラックに轢かれて三日も目ぇ覚まさなかったの。大変だったよ? チョロ松は運転手殴り殺しそうになるわ十四松は笑わなくなるわトド松は泣いて泣いてどーしようもねーわ。父さんも母さんも倒れそうな勢いだったし」
 いやでも大丈夫そうでよかったよ、とおそ松が俺の頭を撫でる。あまり俺を弟扱いしないこいつにしては珍しいことだと思った。
 事故。そうか、そういえば俺は事故にあったんだった。時速80キロのトラックに轢かれた。それで、腹が裂けて、その中身、が、「おそ松」唯一の兄を呼ぶ。そいつはなんだい? みたいな顔で俺を覗き込んだ。クマができている。


「俺の中身は、カラッポじゃあなかったか?」


 俺の質問に、おそ松はキョトンとしたように瞬いた。そして何を馬鹿なことを、とでも言うようにその唇がつり上がった。


「あったりめーだろカラ松。お前はちゃんと生きてる人間なんだから、中身くらいあるっつーの」


 むしろあんだけブチまけてよく無事だったわ、とおそ松はカラカラ笑う。
 掌を腹に置く。どくんどくんと、確かな鼓動を持って、内臓が、中身がそこにあった。
「なあ、退院したら墓参りに行きたいんだ」
「へえ、誰の?」
「一松の」
 その名前におそ松は目を見開くと、ゆるゆるとその顔を歪ませて、泣くのに失敗した子供のように笑った。それは、最後に俺を突き飛ばした一松とよく似ていた。
「いいんじゃない、喜ぶよあいつも」
 慌ただしい足音が病室に近づいてくる。耳をすませて聞けば、それは三つ。
 その一つになれなかったあいつは、どんな思いで俺を助けたのだろう。
 病室に同じ顔が三つ、飛び込んでくる。俺とおそ松を合わせたら五つ。
 本当は六つになるはずだった、同じ顔。

「おはよう、カラ松兄さん!」

 にゃおん、と、窓の外で猫が鳴いた。いい天気だった。




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