「・・・先ずはこれ、ですかね」
そう言って差し出されたのは小さな円形の粒。私が眉間に皺を寄せたのを見て、安室透はこう補足する。
「ただの風邪薬ですよ。君が大人しいと調子が狂う。さっさと風邪を治してください」
「・・・・・・そんな、敵の貴方の言葉を素直に信じるとでも思ってるの?」
安室透がわざわざ私の風邪を治すメリットは何も無い。親切にされる覚えだってない。
「これが口に含むと危険なものだとでも?」
「そうとしか思えない」
「なら、証明しますよ」
そう言った安室透はその粒を自分の舌の上に乗せて見せると、ほらねと言わんばかりの視線を私に寄越した。どうやら本当に有害な物では無いらしい。よく考えれば、私を殺した所で連れていかれるのを見た筈の子供たちによって警察に連絡が行くだろう。自分の浅はかさに少々落ち込んだ。
ふと視線を安室透に戻すと、側に置いてあったペットボトルを手に取る所だった。飲む所まで安全だと証明してくれるのかとジッと見つめる。しかし、何を思ったのかベッドの軋む音と共に私達の距離が縮まった。そして、唇が近付く。突然の出来事に固まっていた私は、唇が触れる寸前でやっと、腕を動かせた。至近距離でかち合う視線。
ーー直前に、手で安室透の口元を抑えなかったら、どうなってた・・・?
「なに、しようとしたの・・・ふざけないで」
私の言葉に、コクリと喉仏が動いた。
「貴女のせいで風邪を引いてもいないのに飲んでしまったじゃないですか」
「そ、そっちが勝手にしようとしたことでしょ!?」
「そんなに慌てなくても。毒見は口移しが1番信用できるものでしょう?」
サラッと言ってのけるこの男にとても腹が立ち、普段の仮面のような笑顔が一段と嘘くさく見えた。
「・・・本当にムカつく」
「随分な言いようですね。とにかく有害な物ではないと証明したのですから、ちゃんと飲んでくださいね」
安室透が部屋を出て行ってから、私は風邪薬を飲んだ。副作用で眠くなってしまう前に、この部屋を抜け出さなくちゃ。・・・・・・さて、先ずは手錠だ。
ーーこの場合、どう行動をするのが一番正しいのだろう。
隙を見て、安室透を気絶させ鍵を奪う。・・・敵対する私達が同じ部屋にいるんだ。隙なんて見せる筈が無い。色仕掛け・・・は・・・、やった試しが無いし、安室透がそんな物に引っかかる筈がない。私が相手なら尚更。・・・となると、反抗する意志が無いことを見せ、真正面から手錠を外してくれと頼む・・・。それ以外に名案が浮かばない。
あれやこれやと考えている内に、カチャリとドアノブが音を立てた。
「あ、あの・・・」
「・・・なんです?」
安室透が静かに部屋へと入ってくる。しかし、その手には私が持っていた筈の鞄があって、大人しくへりくだるなんて考えは一気に吹き飛んだ。
「反抗しないから手錠を外してって言おうと思ったけど!!私の鞄!返して!女性の持ち物を勝手に漁るなんて最低ね!!何か良い収穫があったわけ?」
「残念ながら、特に収穫は。余計なお世話ですが、いくら近所に出掛けるだけとは言え、携帯くらいは持ち歩いていて欲しかったですね」
「今回ばかりは、たまたま持ち歩いていなくて正解だったみたい」
「そのようですね」
お互いに相手を観察する視線は1歩も譲らない。長い沈黙と、無言の圧。先にこの争いに終止符を打ったのは、安室透だった。
「そろそろハッキリさせましょう。貴方はなぜ、僕達を追っているんです?」
「答える必要は無いでしょ」
「そうですか・・・。では、こちらから聞きます」
安室透の表情から貼り付けた笑みが消え、バーボンの顔になる。私ら次の言葉を待って、ジッと見つめ返した。
「貴方はどこかの犯罪組織の一員で、同じように犯罪を犯す我々が気になった。組織を撲滅させようとする組織の一員で、正義感から僕を付け狙っている。それか・・・誰かを、殺された恨み」
「・・・・・・ッ」
「・・・・・・なるほど。それは悔しかったでしょうね」
見透かしたような言葉に、私の心臓は激しく音を立て始めた。
「なに、が・・・」
平静を装っていても、秀が殺されたと聞いた時の汗が滲む感覚、頭が真っ白になった感覚、全てを思い出して震えが止まらない。
「初対面の時は騙されましたが、今回はとても分かりやすいですね。得意な演技はどうされたんです?」
「うるさい・・・私の気持ちなんて・・・、分からないでしょ・・・ッ!大切な人を殺されたの!あんた達に!!」
「さぁ、どうでしょう。殺された人間はいちいち覚えていないもので。しかし組織に目をつけられるという事は、その人は何かしら組織に関わっていた、または大きな権力を持っていたという所ですか」
ーー殺された人間は、いちいち覚えていないって・・・?
「この名前は、覚えているでしょ・・・?"赤井秀一"・・・つい最近まで、貴方が変装していたんだから!!」
私が思わず叫んだその名前に、安室透はたった一瞬だけ、表情を変えた。しかし直ぐに、また何も読み取れない表情に戻ってしまう。
「覚えていますよ、"赤井秀一"。忘れられるわけがない・・・。貴方とどのような関係かは知りませんが、奴はFBIのスパイ。貴方は一般人だ。こうやって無闇矢鱈に首を突っ込まないでくれ。僕じゃなかったら、君は死んでいたよ」
「・・・・・・ッ!?」
突然、口元に当てられた布。薬品の臭いが染み込んでいると気が付いたその瞬間には、私の意識は途切れていた。
2016.10.25
「しらばっくれに終止符」
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