- 最後の最後に事件です
「電話出ねーと思ったら、なんで家にいるんだよ」
彼は、自分の部屋のドアのところで、不機嫌そうにそう言って、深呼吸のような、大きなため息をついた。
「ちはるさんがここで待ってなさいって」
「アイツとまたあったのかよ。なんもされなかったか」
「それはわからないなー」
「ンだよ、それ」
私のこの行動が、彼との破局の伏線ならば、なにかされたということになるのかもしれない。
とはいえ、あの人が、榛名くんの本当に嫌がることを人にさせるわけがない気もするから、大丈夫だとは思うけど。
「ていうか、榛名くんは心配ばっかりだね」
「なんだよいきなり」
「私をもっと信用してよ」
私は確かに打たれ弱いけれど、傷付きやすいけれど、揺らぎやすいけれど、壊れやすいけれど。
でも、立ち直りやすいのだから。過剰に心配なんてすることはないのである。
「私、榛名くんをミー太とはもう呼ばない」
「問題は解決したわけ?」
「まあ、うん。私は多分、榛名くんをあの子の二の舞にしたくなかっただけなんだよね。私のいないところで、死んで欲しくないんだよ」
「死ぬって、お前な」
「私。プロポーズしてるの。死ぬまで隣にいてって」
榛名くんの瞳が、驚きの色に染まる。いや、どんな色かなんて知らないけど。私なりの比喩表現にケチつけないでよね!なんて冗談!というのも冗談だけど。冗談なのか?
「榛名くん。私のこと見て」
「見てんだろ」
「ちはるさんが私に何かしてたらいいなんて思わないで」
冗談だけど。冗談にさせて。私のこと怒って。そんなわけないって言って。
これで最後にするから言わせて。榛名くんはミー太だから。だから、ミー太は私を寂しがらせないって信じてる。
ここから始める為にお願いさせて。榛名くんは榛名くんだよね。だから、榛名くんは私を悲しませないって証明して。
「野村」
「ちか子だって最初に言った。あの人は名前で呼ぶのになんで」
「今そんな話はしてねーだろ」
「私にとっては重要なの!」
「じゃあ重要だから電話に出なかった理由先に話せ!最初に訊いたろ!」
「アンタが負けたからに決まってるでしょ!勝ってたら出てる!」
傷口を抉られたわりに、榛名くんは、私の台詞すっきりした顔をしていた。少しムカついた。いや、冗談です。めちゃくちゃムカつきました。
あの人に慰めて貰ったから満足なんですね。わかりました。
つまり、私この台詞でフられるわけだ。
「ほんっと!オマエって想像してたキャラとぜんっぜんチゲーんだもんな!」
「悪い?勝手に勘違いしたのは榛名くんじゃない!私は猫を見殺しにしたかったんじゃないの!本当は看取ってあげたかったの!でも見ててやることしか出来なかったの!榛名くんにあの時の私の気持ちがわかる?私は子供じゃないから、あの子は弱ってたから!間違いなく助かりそうになかったから!家族巻き込んで、みんな悲しませるより、私だけでって思ってあの子の最期を見届けた私の気持ちが!アンタがいたせいで私は泣くことも出来なかった!」
自分でも知らなかった気持ちが口から溢れ出す。全部きっと、本音で言い訳。
どうにか出来たかもしれないことだってわかってる。
あの時だって、私が拾わなくてもあの子が助かる可能性を沢山考えた気がする。だから、私は今、多分榛名くんを罵倒するためだけに嘘を吐いてる。
それでも、本当のことが一つだけある。私は確かに榛名くんのせいで泣けなかった。
榛名くんが、優しすぎたから。
傘なんか差し掛けるから、雨に紛れて、自分の無責任さすら嘆くことが出来なかったのだ。
「悪いなんて言ってねえだろ!」
「言ってるじゃない!こんな私嫌な癖に!理想と全然違った癖に!」
「大体、テメーだって人ンコト勘違いしてんだろ!オレは別にアイツのことなんか引きずってねえっつの!それになあ!オレはっ」
ドアのところから動かなかった榛名が、私との間合いを急に詰めた。
身体と身体の距離がゼロになる。私は抱き締められたらしい。冗談じゃないの。冗談じゃないから、泣ける。
「オレは、ずっとオマエを泣かせてやりたかった」
「うそつき」
「嘘じゃねっつの。オマエクラスで笑ってたりはすっけど、何があっても泣きはしねーし。泣きそうな顔してたのあの日だけだし。……つーか、なあ、泣いたわけ?」
「はい?」
「だから、オレが負けたとき。泣いたかって訊いてんだよ」
「いや、泣いてないケド」
「ベツにワザと負けたわけじゃねーけど、今度こそって思ったんだけどな。オマエいつ泣くんだよこの意地っ張り」
ぎゅう。と榛名が私の身体を抱き締めるので、酸欠で生理的な涙が出た。という冗談は、今まで使用した冗談達と共に、重箱に詰めて誰かにお裾分け致しましょうか。というような、冗談を言うのはもう止めようか。
人生に本気になろう。
そして、そう思った矢先に、私の携帯電話が鳴った。
それは終わりを告げる電話でも、始まりを告げる電話でもなく、ただ、日常のひと欠片の消失を告げる電話だった。
「ちょっとごめん榛名くん。電話とりたいんだけど、離してくれる?」
「ったく、空気読めっつの。早く終わらせろよ」
母からの電話。普段あまりかかってくることがないので、私は不思議に思う。夕飯はいらないって言っておいたハズだけど。
緊張しながら携帯の通話ボタンを押せば、その緊張に見合う、母の震える、切羽詰まった声。聞こえた言葉に私の声も震えた。
「ミー太が、いなくなった?」
隣にいる榛名くんの様子を窺う余裕なんて勿論ない。頭が真っ白になる。ミー太がまたいなくなった。ミー太が、また。また看取ってあげられなかった?
眼球の奥のあたりががむずむずとする。泣くって、そう。こんな感じ。だと思ったのに。
「イマ泣くなよ」
榛名くんが私の頭を乱暴に撫でながら言ったので、涙が引っ込んでしまった。
「探して、見つけて、無事を確認して、安心してから泣け。そんときはいくらでもオレが胸貸してやっから」
「前のミー太は、見つかったときにはもう手遅れだった」
「前なんか知るかっつんだよ! 今回は今回だろ! オマエ、オレにミー太と会わせてやるっつってたろ。自慢の猫なんだろ。ぜってーイマ泣くなよ。イマ泣いても胸なんか貸してやんねーからな」
私の手を引き、榛名くんが玄関に向かって歩き出す。
彼は、玄関で運動靴を履き、私を振り返りながら、こう続けた。
「でも今、オマエが不安で泣きそうだっつーなら、オレはオマエが泣かなくて済むように手はいくらでも貸してやる。だから、オマエはオレを信じろ」
そうんな事言われたら、もう頼るしかないじゃないか。
ごめんね、榛名くん。誰よりも大好き。
私なんかを好きになってくれてありがとう。
2011/07/28