- 憂鬱ですらない普通の朝
決戦の日の前に負けてしまえば良かったのにと思っていたのは事実であり、私もそれなりに運が強い方だからその可能性も十分あるハズだったのに、彼から負けの報告を聞くことなくゴールデンウイークの最終日である。
ちなみに協議の結果、本人に見つからないよう、こそこそと試合を見に行く事になった。いくら面倒臭がりとはいえ、ここはそうするべきだと思ったし、もし万が一付き合うことになったりした場合の為に、少しくらいかっこいいであろうところを見ておいた方が良いとも思ったのだ。
箪笥の引き出しを開けて、おしゃれでも奇抜でもない地味な服を取り出す。最近はもう暑いから、上着はいらないだろう。ちなみに私は日焼け対策なんてしたことがない。冬でさえ紫外線を気にする女の子はご苦労なことである。
「さて、行きますか」と、独り言。親も兄弟も今はうちにいないので、反応は全くない。寂しいものだ。猫だけが「にゃー」と返事みたいなものをしてくれた。意味はおおよそ予想できる。「メシはまだか。」だ。メシはまだである。
鍵と財布と携帯電話をGパンのポケットにいれて、鞄も持たずに家から出て暫く歩くと、所謂幼なじみの男の子が前方の角から姿を表した。
相も変わらず小憎たらしい後頭部にチョップをいれた。という想像をして、普通に声を掛ける。幼なじみは、足を止めて振り向いてくれた。無視される可能性も十二分にあったので、ひとまず喜んでおく。
「ちか子がこの時間から出歩いてるなんて珍しいこともあるんだな。棒に当たった犬の気分だ。」
「孝介の軽く酷い事を言う攻撃。ちか子はマイナス3のダメージを受けた」
果たして酷い事を言われたという解釈であっているのだろうか。アイスの当たり棒に当たった犬なのだとしたら、それは多分豚に真珠と同じ意味合いなのだろうが、ふむ、わからない。ちなみに私のヒットポイントの最大値は4である。既に瀕死。
「で、どこ行くんだよ」
「友達の野球の試合を見に行くのだ。」と、あくまでも"見に"であり、"観に"ではないのがミソだ。
「孝介ことツンデレキュートなマイスイートハニーはどこ行くの?」
真ん中あたりぶち抜いて私は言った。カタカナ表記は全て抜いてくれて構いません。
「部活」
「野球部だっけか。奇遇だね」
何が奇遇なのかは不明だけど。
「つーか、野球の試合って何時からだよ?」
「うん?午後からだけど私迷いそうだから早めにね」
ちなみに只今は午前中で一桁の時刻だ。早過ぎるのはきっと孝介でなくともわかる。
孝介が一応携帯電話で時計を確認した。その間、私は彼の跳ねた髪に目をやる。この年齢でもまだ、一つという歳の差はデカい。やけに子供に見えた。
「早すぎだろ。遠足にウキウキしてる子供かよ」
遅いツッコミが心の鳩尾にヒットした。マイナス5のダメージ。私は死亡した。まさか野球場に行くまでにこんな敵が潜んでいようとは。埼玉もなかなか侮れない。東京なんて行ったら私はどうなってしまうのだろう。
「つーか、友達って男?」
「いえーす」
しかも彼氏候補なのですよ。と言ったら間違いなく孝介は鼻で笑う。もう私は死んだわけだしこれ以上何を言われても平気だが、復活の呪文までその衝撃で忘れたらたまらないので何も言わない。
「で、男ならなんなの?」
「物好きなヤツもいるんだなっつー話」
私はめげない。だって孝介はツンデレなのだ。
ツンデレというのは、つまり素直じゃないということで、目の前の小生意気なガキは、今ツン期の真っ只中なのだろう。
私に対してツンとデレの割合が10000:1くらいなのを気にしたら負けである。勝算はないけれど。
「ま、これで野球に興味持てたら夏大はこっちの試合も観に来いよ」
孝介が回復魔法を使った。ドラクエでいうとなんだっけ?ホイミ?残念ながらゲームには詳しくないからわからないけれど、ホイミじゃ生き返らないよな。なんだっけ、あるのかな?復活する魔法。
独立し、先行していく脳みそはおいておきながら、私はすかさず答える。
「うん、行くよ」
恋愛感情とかではないのだけれど、私は孝介が大切なので、そのお誘いを断れるわけがない。
今までだって、誘ってくれさえすれば行ったのだ。一度も誘われなかったから行かなかっただけで。というのは本当なのだろうか。ぶっちゃけ激しく面倒くさがったかもしれない。
今回だって、行くよとは言ったけど、実際に行くかはわかったもんじゃないしね。
断らないだけで、約束したわけではない。孝介だって、今更私の台詞を本気にとったりしないだろう。
誘ってくれたのは嬉しいけれど、復活するけど、それは別に孝介だからじゃないし。
「じゃ、部活行ってらっしゃい」
そう言って手を振る。が、どうやら孝介も駅に用があるらしい。そういえばチャリ通じゃないのだっけ。西浦は電車通学面倒くさそうだから、その内チャリ通に切り替えそうだけど。
そんなわけで仕方なく私は孝介と共に駅へ向かうことにした。私より幼くても、身長は私より大きい。これでも男子では小さい方だと言うのだから、男女の差というのは歳の差以上に残酷だ。
思い返してみれば、榛名くんは逆にそんな男子の中でも身長が高い方なのだっけ。170後半から180前半ってところじゃないかと思われる。いや、わからないけどね。適当に言ってるだけだし。
「部活で友達出来た?」
「まあまあ」
「クラスに美人いた?」
「まあまあ」
そんな他愛も愛想もない会話をだらだらとしながら、駅までの道を歩く。
孝介は紳士の逆だから歩調なんてあわせてくれない。私にだけかもしれないけど。そんなわけで早歩きをしていたら、駅に着く頃には脚が微妙に痛くなっていた。
「じゃ、今度こそ部活行ってらっしゃい」
まだ時間がある私は、改札でそうやって孝介を見送り、一度駅を出てコンビニに寄った。
野球の観戦には飲み物くらい必要だと思ったからである。こうなると鞄を持って来なかったのはまずった。コンビニ袋はちょっとみっともないかもしれない。
榛名くんの私に対する愛情がこれによってなくなってしまうなんてこともあったらラッキーなのでこのままゴーだ。うちに帰る暇はあるけれど、そもそも私は別に榛名くんと付き合いたいわけではないのである。
まあ、付き合っても、構わないとは思っているんだけれどね。
2011/05/05