- 異常が日常というのが常
うちに帰るとマンションの前にミー太がいた。
「うえ、ええ?」
「んだよその反応。オマエが会いてーっつーからわざわざ来てやったのに」
え、うそうそうそ。あんなん本気にして来てくれちゃうのが彼氏ってヤツなの?なんて便利な……というのは愛の無い冗談なのでご安心下さい。
なんというか、つまり凄く嬉しかった。
「えと、ごめん。いきなりあんなメールして来てくれるとは思わなくて」
「来るに決まってんだろ。どうしたんだよ、なんかあったわけ?」
なにかあったと言えばあったし、なかったと言えばなにもなかった。日常の延長線上にあった出来事の気持ち悪さをミー太に理解してもらえる自信はなくて、私は口をつぐむ。
「言えねーの?」
「そうじゃない、んだけど」
元彼の話なんて、多分ミー太は聞きたいタイプではないだろう。
このままここで話すのはアレだと思いつつも、場所の移動すら言い出せないこの状況。
なんて言えば納得してもらえるだろう。なんて言えば、自分も納得出来るだろう。
足元のコンクリートには、ゴミの一つも落ちていない。ミー太の気どころか、自身の気すらそらせない。
「野村。オレのこと好き?」
核心を突かれた。用意していた言葉すら口に出来なくて、私は沈黙の生産を続ける。
そしてミー太は私の作り出す沈黙達を破壊。ドメスティックバイオレンスであった。
「あいたいってメール。なんつーか、頼ってくれたみたいで、オレは嬉しかった」
それは多分、来てくれたのが嬉しかったのと、同じような気持ちだろう。と、私は推測した。
お互いの些細な行動で喜び合える。私達はなんて平和で素敵なカップルなんだろう!感動モノの映画作れるんじゃないかな。いや、平和過ぎて無理かな。はい、頭の道草は終わり。
「それから、何かあったんじゃねーかとか思って、心配だったから、来た」
「うん」
「オレは、何言われてもオマエを嫌いになれねーから、全部話せよ。せっかく来たのに心配すら拭えねーで帰れっつーわけ?」
頷く。いや、俯く。
私は、表情を隠したまま、口を開いた。
無表情だから隠す必要なんて無さそうだけど、無表情は見られたくない。なら、笑ったり泣いたりすればいいんだけど、私は表情を作るのが苦手なのでやる前から諦めた。地面とにらめっこしたところで、負けることは出来ないし、いつまで下を向いていれば良いんだろう。
「あのね、元彼に会ったの。久々に。」
別れてからも何回か会ったことはあったのだけど。何故か今回は違った。ミー太のせいだと思う私は最低だ。
ミー太のお陰と思うのが正しい。向き合うという選択肢すら知らなかった私に、そんな選択肢が増えたから。
「んでね、なんか、ミー太のこと、自分がちゃんと愛せてるかわかんなくなっちゃって」
「なにソレ。別れ話?」
「違う!違うの。今でも彼が好きとかじゃなくて、」
本当。嘘も無いし、冗談なんて言う隙もないくらい本当。私は浜田くんとヨリを戻したいなんて思ってない。
「その人とうまくやれなかったの。だからミー太とうまくやれる自信が」
「何をうまくやんの?何をうまくやりてーわけ?」
耳元で声が聞こえて、何かが私の身体を締め付けた。痛いくらいなのに、心地良かった。
「オツキアイとか、レンアイとか、コイビトっつーのは、うまくやるもんじゃねーっつーか」
ミー太の心音が聞こえる。ドキドキしてる。私もドキドキしてる。
一生分脈打って、私なんかこのまま死んじゃえ。というのは冗談じゃないかもしれない。でも、このまま死んだら、果たして私は幸せなのだろうか。
「下手でもいいンだよ。オマエにそんな期待してねーし。」
「それは酷い」
「ヒドくねー。あのな。オレはオマエが、生き物に優しくなくても、字が下手でも、レンアイがわからなくても、女の子らしくなくても、どうしたって好きで、嫌いになんかなれねーンだよ。だから、うまくやる必要なんてねー」
なんでそんなに好きなのって、訊いてもいないのに。ミー太は私の心を読んだかのように続ける。
身体に触れてると、なんとなく気持ちが伝わるっていうのはあるのかもしれない。
「あの日、オマエ、子猫見殺しにしてたろ」
あれ?
「うん」
おかしいな。なんで知ってるんだろう。
「拾わねー癖にずっと見てた。あんなんじゃ他のヤツも拾えねーし、オマエは酷いヤツだと思った」
なんで。知ってたならなんで。なんで私を好きになれるんだろう。
誤解があるというのが、誤解だったのだろうか。
「あれ、オレならとりあえず拾って、他のヤツに飼ってもらう」
「あー、思い付かなかった」
「でも、オマエはそれでいいんじゃねーの?拾って、人に飼って貰っても、虐待されて死ぬかも知れねーし」
だけどそれは、凄く可能性の低い話じゃないか。
やりようによっては防げる事態だし、ミー太は何を言いたいんだろう。
「それよりオマエは、あの猫の死を自分で見届けることを選んだって事なんだよな。だから見殺しにした」
「ミー太、」
「つーか、見てたのに、オマエが猫を見殺しにするのを止めなかったオレも同罪」
「ちょっとまって」
「……オレは、オレがどんなになっても、オマエがオレを見捨てたり、誰かに押し付けたりしないって思った」
見殺しには、するんだよ。何もしてあげられないのに、ただ見てたりするんだよ。保護もせず、自分自身の擁護もしない。
「ミー太は」
上辺だけの優しさを知っているのだろうか。本当の優しさを知っているのに、上辺だけの優しさが怖いの?
見捨てられるのが、怖いの?
言わないけど、冗談だけど、私は何も知らないから。
ミー太の何も知らないから。
本当は、知りたいとすら、思ってなかったから。
「私がミー太を好きじゃないって言ったら、別れるって言う?」
「好きじゃなくてもオレが必要だっつーなら、オレも野村が必要だから、そんなこと絶対言わねー」
そう言って、榛名くんは私の体を、ぎゅうっと抱き締めなおした。
私達はもうちょっとお互いを理解し合うべきなのかもしれない。
榛名くんの愛は異常だった。
2011/05/23