不意を打つ
引き潮までに終わらせろよー。と言って砂浜に寝転がったマッドハッターに、オレは視線を送る。
非常に呑気だ。非情に呑気だ。
「あんた、話で聞いた感じより冷たいンスね」
近寄って話掛けてみた。一応敬語。多分年上だろう。あさ子も小さい頃からお世話になってるらしいし。
「オレは、自分の好きなもん守んのに大変だからな」
「だから違う世界のアイツは関係ない、と?」
ああ、なにやらムカつく。アイツはきっと、この世界のマッドハッターでも好きなのに。
「いや、ンなコトねーよ?どの世界でもオレは知り合いが死ぬのは嫌だ。だから、アイツには無断でどの世界も後で助けに行ってる」
うおお、良いヤツだ。
「じゃあ、今回アイツが負けても」
「なに?お前、アリスだっけ?お前、アイツが勝つって信じてねーわけ?」
そして痛いとこをつくヤツだ。
「違い、ます」
アイツが勝つことは信じてる。
オレが信じてないのはオレだ。
チェシャを連れた彼女ですら適わなかったマッドハッターのいる彼女に、オレしかいない彼女が勝てるのかがわからない。だから弱気。
彼女に言えないのだった。
「ま、いーけど」
「そっすか」
爆風と共に砂埃が起こった。どんなバトルをしてるんだあさ子は。
攻撃方法は主に、跳躍力を利用した蹴りや、タックルのようだが、少年マンガのような動きに目が追い付かない。
「というか、助けに行っても、ちゃんとアンタをこっちに返してるンスね。他のアイツ」
「負けたからってプライドもあるんだろうし、オレがいないのが辛いこと、どのアイツも知ってるからな。他の自分にはそんな思いさせたくねーんだろ。アイツは自分とハルナってヤツだけは大切にしてるみてーだし。あとオレか、愛されてるよな、オレ。」
なんでこんなにムカつくのだろう。自分を不思議に思う。
というか、なんだ。こいつもオレがハルナだとはわかっていないのか。
少し意外だった。てっきりなんでもわかってる的なキャラなのかと思っていたのだが。いや、それはチェシャ猫か。多分。
「でもまあ、負けると後がうるさいし、なによりそろそろ引き潮だから手を貸して終わらせっか。悪いなアリスくん。今回もアイツの勝ちだ。」
チェシャ猫も三月ウサギも、こういう時に自分にも貸せる力があっただろう。
それに対してオレは無力だ。
負けても大丈夫なのは知っているが、しかし、やはり負けてほしくはなくて、でも出来ることは、応援くらいだ。
「そらよっ」
と、放り投げられた帽子。
つい、目を奪われた。
直後、彼女と目が合う。息を呑む、彼女と。
「っとに悪いな。オレはイカサマしかできねーんだ。正々堂々した、な」
そう言われ、後ろから羽交い締めにされた。
人質のつもりらしい。
三月ウサギは兎も角、チェシャ猫にこんな手が効いたとは思えないから、多分他にも貸せる手はあったのだろうが、つまり、オレはこの手が使える相手だと思われてしまったということなのだろう。
「榛名っ!」
ああ、畜生、情けない。
と、感じたのも束の間。マッドハッターの身体がオレから離れた。それもまるで何か、予想外の力に吹っ飛ばされるように。
「は?」
蹴られたのだ、彼女に。
格好からすれば、こちらの世界の彼女に。
「……んで、お前」
「アリスって、あなた榛名なの?」
尻餅をついたオレに屈んで目線を合わせて彼女が言った。
そういえば、アイツ、とっさにオレを榛名と呼んでいたっけ。
「お、おう」
後から説明されたこと。
マッドハッターに毎日会えて、オレと数年会っていない彼女は、マッドハッターに会えなくなり、オレと毎日顔を会わせている彼女と優先順位が逆だったのだろうということだ。
だから彼女は蹴飛ばされたマッドハッターを心配し、だから彼女はオレを助けた。
「あーよし!わかった!ねえ、私。ものは相談なんだけど。」
「なに?」
「少しだけマッドハッターを貸してあげる。その代わり、その間、榛名はこっちにおいて?それなら絶対返しにくるでしょ?人質よ人質」
彼女が少しだけ悩む。
ただ、自分相手に悩むこともないと思ったのか、すぐに答えをだした。
「まあ、いーよ」
マッドハッターがオレを見て苦笑した。
オレも苦笑。どうやらお互い一時的に売られる事になってしまったらしい。
大切な人と過ごす僅かな時間の為に。
「愛されすぎるっつーのも、考えものかもな」
マッドハッターが嬉しそうにそう呟いた。
あんたは別にアイツが一番好きで大切なわけじゃねーんだろ。
とるなよ。とか、何様だよオレ。何事だよ、思考。
2011/04/11