緑と赤い血
チェシャは門を開けずに、例のチートな能力で私を城の中へと導いた。
唇に残る感触が気持ち悪い。関係ない筈の胃がムカムカする。
「ま、あんたなら中は案内しなくてもわかるだろ」
「うん。」
「ああ、そんな気になるならもっかいキスしてやってもいいけど。ほら、慣れれば平気だろ」
「バカじゃないの」
チェシャが私をまず通したのは中庭だった。そこには私が一人で必死になって植えた赤い薔薇が植わっている。
真っ赤な薔薇。私は、向こうの世界で何故か赤を苦手としていた。何故だかずっとわからなかったのだが、多分、"あの日"の赤を思い出す気がしていたからだったのだろう。それを今更理解した。
そして私は、やはり"あの日"の血の色を思い出す。ああ、頭がくらくらする。吐き気が、する。
「まだ赤は苦手?」
「うっさい」
「心配してやってるのに。まあいいや。オレはあんたの味方ではないし、今のは取り引きで通してやっただけ。だから後は一人で頑張れ。じゃあまたいつか」
「……私の味方でもない。の間違いでしょ。またね」
目の前に広がる赤と緑の海に吐き気はするが、死にそうなわけではない。
チェシャが消えたことを確認してから、私は動き出した。多分榛名は地下牢にいるだろう。最優先事項は、関係の無い榛名を救出することだし、まずはそこに向かうことにしよう。女王に会わずに済むなら、会わずに済ませたいし、なにより、
あのどっちつかずが私が城の中へ入り込んだことを女王に言わないわけがないのだ。
私が入り込んだと知れば、女王だってバカじゃない。私の目的の元へと急ぐに決まっている。
だが、それならそれで、私はそれより早く牢へ向かうまでである。
「まあ、そう上手くいくかわからないけどね」
そんな独り言を言いながら、私は私がここでの最初の数年、または数日を過ごした地下牢へと向かった。
地下牢に続く薄暗い階段を降りていくと、地下牢に近付くにつれ、誰かの声が聞こえてきた。
警戒しながら耳をすまし、慎重に、出来るだけ音をたてないように階段を降りる。
榛名の声ならば良かったのだが、どうやら違うようだ。懐かしい女の人の声がする。何を話しているかわからないが、彼女は一方的に誰かに話しかけているらしい。
しかし彼女が会話していられるということは、まだ女王はここには来ていないということだ。
まあ、榛名がここにいないという可能性もないことはないわけだが。
なので、私はあまり期待せず、冷たいドアノブを掴み、右に捻った。
ギィ、と不気味な音がして重い扉が開く。暗闇に中々慣れない目を凝らせば、彼女と、三月ウサギが囚われているのが見えた。
そして一番奥の牢に、榛名がいた。私がかつていたその場所で、私と同じように眠っていた。
「あさ子?」
「三月ウサギ久しぶり。大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。女王様がちょっと鬱陶しいけど。」
「……そう。女王様もお久しぶりです。双子はどうしました?」
「わからないわ。二人して女王の封印が解けた晩にどこかへ行ってしまったから。」
「そうですか。まあ、とにかく二人とも出て下さい。今開けますから。」
入ってきた扉の横に不用心にかかっていた鍵を手にとり、私は二人の牢を順番にかちゃりと開けた。
奥の牢を見てみるが、榛名はまだ寝ているようだ。
「女王は、はる……、あー、アリスになにかしましたか」
「子守唄を歌っていたわ」
「なるほどそれで……そりゃ、いくら榛名でもこんな状況であんな爆睡しませんよね」
鍵をチャラチャラと鳴らしながら奥の牢に近付くが、榛名が起きる気配はない。
牢を開く前に、鉄格子の隙間から手を伸ばして、榛名の頭を乱暴に撫でた。
こんな風に、私の頭を撫でてくれたのは誰だったろうか。悲しいくらいに覚えている。あれは榛名じゃなかったのだ。あの記憶は間違いだった。
「榛名、起きて」
そう言ったつもりだった。しかし、頭を撫でていた私の手を掴んで目を開けた榛名は、不機嫌そうに私の間違いを指摘した。
私は、相変わらずバカだ。
2011/01/08