檻の中にて
「どこだよここ」
「ああ、目が覚めましたか」
鉄格子の向こう側で、無表情に言ったのは、隆也じゃない隆也だった。
湿っぽくて暗くて不潔そうなそこは、多分地下牢ってヤツなのだろう。当然だが牢屋になんて入ったのは初めてだ。
そして、ヤツが隆也の顔をしているということは、ここは普通の世界ではなく、以前も連れてこられた不思議の国だということで、オレは1ヶ月前に見た、意味不明な夢を思い出した。
「つーか、なんでこんなとこで目を覚まさなきゃなんねーわけ?」
「単純明快かつ単刀直入に申し上げますと、女王様の封印が解かれました」
「は?」
「女王様には白ウサギが必要です。だからあなたには今度こそ身代わりになってもらおうと思いまして」
白ウサギ。それはオレが幼い頃に殺してしまった女王の側近だ。それをオレは殺してしまった。正確には死なせてしまった。
あいつは、オレを庇って、電車にひかれて死んだのだ。
「女王ってのは、よく聞く先代ってやつか?」
「ええ。ああそうだ、黒いのではなく、あなたを連れてきた理由ってのをお話しましょうか。」
「聞かなくてもわかるっつの。」
「わかっててもオレが言いたいんです。理由は簡単、オレがあなたのことを」
嫌いだからです。聞く前にわかっていたそのセリフが、最後まで言われる事はなかった。
チェシャは一瞬にしてオレの前からこつ然と姿を消し、次に地下牢と外を繋いでいるであろう重そうな鉄の扉が勢いよく開き、誰かが地下へと入ってきた。
逆光で相手の姿はよく見えなかったが、体型からして女性だろう。そして、その女が完全に部屋に入ると、扉は閉まり、漸くはっきりと女の姿を捉えられるようになる。
「久しぶりね、榛名くん」
はっきり言えば、1ヶ月前に会った女王や、双子達よりずっと綺麗な女性だった。
綺麗過ぎて怖い位だが、しかし年は、オレ達と同じくらいだろうか。オレの知っている女王よりずっと若い。真っ黒な目は、髪は、どことなく不幸を彷彿とさせ、目を合わせた途端、オレは何かを奪われた気がした。
それは希望とか、夢とか、明るい未来ってヤツだと思う。形のない筈のそれらが、完全に、欠片も残らないくらい完璧に奪われてしまったのである。
「あんたが先代の女王か」
「相変わらず口の悪いのね、変わらない。変わらないけど代わってはもらうわよ。今度は、あなたにね」
女王は、厭らしくにたりと笑うと、オレの前髪を乱暴にひっつかみ、強引に顔をあげさせた。
女とは思えない力に、オレは顔を歪めながらも、はっきりと相手にもわかるように女王の顔を睨み付ける。しかし何故だろう。体格は明らかにオレの方が良いにも関わらず、全く勝てる気がしないのだ。
「ねえ、榛名くんはどんな気分だったかしら。あの子を長い間奪われて」
「あいにく、胡散クセー記憶植え付けられちまってっからそんな離れてたっつー意識はねーんだよ」
「そう。アレはいけないわ、つまらないし。でもね、記憶をそのままにしておくわけにはいかなかったし、それに」
そう意味のわからない事をぶつぶつと言って女王はため息を吐く。普通の人間のような仕草だったが、そのため息にすら背筋が冷たくなった。
「兎に角。あなたは今日からウサギよ。わかったかしら」
彼女はそう言って微笑むが、綺麗に笑っているのにあからさまに不機嫌そうで。
感情が直接脳みそに伝わってくる感覚。感情が同調する。不機嫌になりそうになる。なにより、寂しくなる。
「なあオマエ、もしかして」
続けようとした言葉を、オレは飲み込んだ。その事実を信じたくなかったのだ。
2010/12/01