自己中の価値観
彼女、如月しほ子は、別に恋がしたくないわけではなかった。出来たらいいな。くらいには思っていたし、男の子と出会えば、この人に恋するかも知れないなんて妄想する事もあった。
例えば、しほ子のクラスメートである青峰大輝。彼女は、彼と出会ったときも、今思えば、絶対に有り得ないことだったとしても、やはり、彼と付き合った自分を妄想してみたし、それで、なかなかいいじゃないか。とも思った。
それでも、彼女が、そんな彼を含めた男共に恋を出来なかったのは、他の誰でもない彼女自身のせいなのである。
そして、今日の昼休み、しほ子は、友人の好きな人の話に耳を傾け、自分に足りないものを再確認していた。
彼女に足りないもの。それは執着心というやつで、簡単に言ってしまえば、彼女には、自分より大切な物がなかったのだ。
「ねえねえ、青峰」
そして放課後、彼女は、瞳に青空を映しながら、語りかけるように言った。
「結局さ、青峰はなんやかんやでバスケが好きなんでしょ? いいねえ、そういうの、私なんて好きなものないもの。いや、そんなことはないか。強いていうなら寝るのが好きだな。何も考えなくて済むからね」
二人きりの屋上で、しほ子は間違いなく聞いちゃいないであろう彼にそう言った。まあ、彼に聞かせたくて喋っているのではないのだろう。寧ろ、彼がそこにいなくても、彼女はそんな独り言を言っていたかもしれない。
なにはともあれ、そう、睡眠は、しほ子の一番大切な自分の時間である。
そして、その、彼女の一番大好きなものを彼女の隣で横になっている人はこれでもかというほどに貪っていた。しかし、睡眠というものはおかしなもので、いくらそれを貪ろうが、他人の分のそれを奪うことはない。なので、しほ子は、その自分の唯一の大切なものを隣でどれだけ貪られようが、文句の一つも言わなかった。
「あ、ねえ、でも、青峰にも、さすがに好きな子はいないでしょ?」
そんなわけで、特に隣の彼に関心がないらしい、彼女の独り言は続く。
「今日の昼休みに桃井がさ、中学の時から好きなんだって人の話を聞かせてくれてね、結構楽しかったんだ。なんだか、普通の女子高生になれたみたいで。いや、私は普通に普通の女子高生なんだけど。恋バナってのが、初めてしっくりきたっていうか」
「あー、オマエ、さっきからうるせー」
「おお、反応しましたね。しちゃいましたね。今回も私の勝ちだわ。なんの勝負かは私も知らんけど」
独り言が独り言では無くなったことに、瞳には空を映したまま、彼女は少しだけ嬉しそうな表情を見せる。
聞いていなくてもいい話でも、聞いてくれたら嬉しい話ではあったようだ。
そして、彼女の大切なものを貪ることをやめた彼の方はというと、それでも身体は起こさずに、別に仕方ないというような顔も、ましてや、彼女のような、嬉しそうな顔もせず、ただ、眠そうにしているだけだった。
「でさ、さっきの話なんだけど青峰は好きな人いんの?」
「はぁ?」
「ま、いないよねー、やっぱねー。ってことでさ、お互いの恋愛不精解消の為、勝負をしないかい? ええ! してくれるって!? やっぱり青峰は暇人で優しい人だねえ。ありがとう」
「てめー、ナメたこと言ってると、今日こそ本気で潰すぞ」
「やってみろよ。大好きなバスケ出来なくなるぜ。私の親父は教育委員会の重鎮だ。なんて、嘘だけど。そう言いつつも本当には潰してくれない君に、私は逆感謝だよ。早く潰してくれっての」
独り言の時より三割り増し喋る彼女に、青峰もいい加減面倒になってきたようで、もう一度目を閉じようとする。
それでも構わず彼女はマシンガントークを炸裂させた。
「でさ、ルールなんだけど。まあ、先に恋人ができた方が勝ちってことで。あ、ベタにほら、お互いが付き合ったら引き分けじゃん。みたいなのは無しにするために、絶対ないとは思うけど、告った方が勝ちってルールを決めました。告られた方が勝ちってのも考えたんだけど、それだとほら、意地の張り合いになるパターンがあるじゃん? まあ、ないとは思うけど、私ああいう長引くの嫌いなんだよね。だったらさっさと他に探せって思うし。で、告った方が勝ちでも、本当に好きじゃなきゃ負けを認めるなんてしないだろうし、告られた方はOKしないでしょ? でも、やっぱよっぽど好きならOKするじゃん? まあ、その辺のルールはこんな感じかな」
「あっそ」
「で、負けた方は、そうだな。社会的抹殺ってのが私はよかったんだけど、それは色々面倒だから、負けた方は恋人がいないわけじゃん。だから」
「あー? 話がちげーだろ。負けた方にも恋人がいるパターンはどうすんだよ」
「お。意外とちゃんと聞いてくれてるのか。なんか嬉しいねえ、でもさ、そのパターンはなかなか」
しほ子が、今日初めて青峰の方を見て笑った。
そのせいで、彼女は敗北を味わうことになる。それとも、敗北感といった方が正しいだろうか。
いや、恋をしたい彼女としては、作戦勝ちというのかもしれない。
しほ子が、自分が青峰と付き合うことは絶対ないと思っていたのは、簡単な話、自分が青峰を好きになるきっかけがなかったからである。きっかけなんて、青峰が作ってくれるとは思っていなかったのだ。
そして、そのきっかけはわりとあっさり作られた。彼女が執着しているものは、自分だ。自分を構成する全てで、自分が一番大切で、その大切なものの一部を彼女は彼に奪われた。
執着しているものをがっつり奪われてしまったわけだ。
彼女を構成する一部、例えば、大切な唇だったりとか。
「あの、青峰さん。今の、ファーストキスだったんですけど」
「しるかよそんなもん。隙見せたてめえがわりぃ」
「見事な自己中ね。でも勝負はここから。何故ならー」
「そーだ、言い忘れてたんだけどオレ、オマエのこと好きなんだわ。知ってた?」
「知らなかったわ。わざわざ伝えてくれてありがとう」
これでいいんだろ。そんな投げやりな雰囲気すら見せず、彼は簡潔にゲームを終わらせた。開始さえさせずに終わらせた。面倒そうな雰囲気は見せていたが、不自然に丁寧でもあったのだ。恋愛経験の浅い彼女でもわかる。これはなんだかおかしい。と。
「あー、ていうか私、自分の作ったルールに今更穴を見つけちゃったわ」
「なんだよ」
「これ、告る方は別に相手を好きじゃなくても成り立っちゃう」
「あ〜確かにな」
「で、どうなの。そこんとこ」
「どうなのも何も、まだゲーム始まってねーだろ。罰ゲームの説明終わってねーんだし」
「ふうん、そう……それならまあ、よろしく」
なにこの敗北感。心の中で彼女は呟く。
ゲームのルールに乗っ取らずとも、客観的にみれば、多分、やっぱりこの勝負はしほ子の負けなのだろう。
死ぬほど悔しいけれど、彼女はそれを認めることしか出来なかった。
そして一週間後、またもや、放課後の屋上で、彼女は言った。
「ねえねえ、青峰」
そして、彼女の横には、いつも通り、彼女の大切なものを貪る彼の姿がある。
なので、彼女はやはり今日もまた、独り言を言い続けるのだ。
「まーったく、もー、睡眠以外の私の大切なものは、もう一度は貪ってくれないんですかね」
さて、この独り言は、これから会話になるのだろうか。
2012/08/31