風邪ひきロマンス
「うげ、風邪ひいた」
ピピピと鳴った体温計に表示される数字は38.1℃。つまり熱もあるわけで。
それに気付いた瞬間、急に身体がだるくなったように感じて、朝から敷きっぱなしにしていた布団に横になった。
幸い今日は休日だ。思う存分ゆっくりしてやろうじゃないか。
風邪薬だけでも飲まなければと思ったのだが、食欲もないために朝から何も食べていない。そんな、胃に何も入れてない状況で薬を飲むのはどうかと思い、私は何も口にせず眠りについた。
ふと、家の中に人の気配を感じて目が覚めた。布団に寝たまま気配のした方向を見てみると、元希がテーブルに頬杖をついて、テレビを見ている。
「……にやってんの」
私のその声に、元希はテレビから目を離し振り返った。そして何故かホッとしたような顔をし、布団の脇に移動する。見下ろされるのが嫌で、私は身体を起こした。
「この前借りた鍵返しに来たんだよ。呼び鈴押してもでねえし、手渡しのがいいと思って家にあがって待ってようとしたら、中でお前死んでたから。」
「死んでないし」
「死にそうな顔して寝てたんだっつの。お前オレがこなきゃどうしてたんだよ。冷えピタあるんなら自分で貼れよ。バカじゃねーの。」
「身体だるくて面倒だったの」
と、いいつつ額に手を触れてみれば、冷えピタが貼ってある。どうやら元希がわざわざ貼ってくれたみたいだ。
「自分でなんも出来そうにねーなら連絡しろっての。」
「なんで元希に連絡しなきゃなんないの」
「親とかでもいいから連絡しろ、心配かけんな。」
「わかったわかったわかりました。」
「ったく、お前どうせ薬も飲んでねえンだろ。飯買ってきてやったから食って薬飲め。」
そう言って元希はコンビニの袋を差し出ながら立ち上がった。鞄を持ったところをみると、どうやら帰るらしい。
いつまでも袋を受け取らない私に、元希は首を傾げた。私も釣られて首を傾げる。私は何故袋を受け取らないのだろう。
「どうしたんだよ」
「帰るの?」
「……帰って欲しくないわけ?」
そう言って元希はそこに座り直した。途端に安心する自分がいた。多分熱があるから寂しいんだろう。そんな理由をつけて、私は頷いた。
「オレこれから部活」
「じゃあ行ってもいいや、バイバイ」
「あー……、帰りにまた寄ってやるから、鍵借りたまんまでいいよな。オレが居ない間に死ぬなよ」
もう一度立ち上がり、私の頭をぽんっ、と撫でながら、榛名は鞄を肩にかける。
「いってらっしゃい」
「おー」
玄関に向かう背中を見送り、コンビニの袋から食料を取り出そうと中を見た。
中にはおにぎりが数種類入っていた。元希にしては考えたな。などと思いながら、適当なおにぎりを一つだけ食べて、一緒に入っていたミネラルウォーターで薬を飲み。私はまた横になった。
いつのまにか眠ってしまっていたらしい。榛名が入ってきた音で目を覚まし、体を起こした。
榛名は私が起きたことに気付くと、ワリ、起こしちまったな。と言いながら、うちを出る前に座っていたのと同じ場所に腰をおろす。
「ちゃんと薬飲んだか?」
「飲んだよ。ちゃんと飲みました。」
「しっかし、まだ熱下がんねーみてえだな。顔赤いし、また寝間着ビショビショじゃねーか。」
「え?ああ、うん」
その言い方に、少々違和感を覚える。また。と元希は言ったが、先ほど私が起きた時には、ビショビショというほどパジャマが濡れていたとは思えない。
「また着替えた方がいいんじゃねーの?」
「また?」
「……また、つった?オレ」
「うん。二回も。えっと、何?元希私のこと着替えさせたの?」
確かに、パジャマが最初に着ていたものと変わってる気がする。
しかしまさか元希がそんなに献身的にお世話をしてくれていたとは。私としては感謝の気持ちでいっぱいなのだが、元希はなぜか気まずそうにして、私の顔を見ようとしない。
何も言わずに黙って下を向いて、自分の膝の辺りを見詰めている。
「あ、あのさ」
「オレは、アレだ、ベツに」
「じゃなくて、あの、着替えまでありがと。本当に何から何までしてくれちゃって、しかも本当にまた来てくれるし。」
元希が驚いたように顔をあげた。いきなり目があったことになんとなく私まで驚いてしまい、思わず目を逸らしてしまう。
「悪い」
「怒ってないよ。私」
ちらりと元希に目をやるが、既に元希は視線を膝に戻していた。
その様子に何故だか私も元希を直視出来なくなって、掛け布団をぼんやりと眺める。
そのままどちらも何も話すことなく、しばらく沈黙が続いた。
「元希、大きくなったよね」
「ンだよ、いきなり」
「元希がこんなまともに看病出来るようになるなんて思ってなかった。」
「失礼じゃねーの、ソレ」
不服そうに言いながら元希は、漸くまた視線を私に向けた。私もしっかりと元希に焦点を合わせる。
「ずっと、子供のままだと思ってたのに」
「オマエが成長した分オレもデカくなるに決まってンだろ。」
「うん、当たり前なんだけど、なんか実感わかなくてね」
こんなに近くにいるのに、立ち上がってもいないのに、何故だか寂しくなった。多分風邪をひいて、熱があるからだと、私はまた自分に言い聞かせる。
「じゃあ、なに、今日ようやくオレが大人になったってわかったっつーわけ?」
「んー、正直、まだちょっと実感わかないという」
か。と言い終わるか言い終わらないかのところで、私の言葉は榛名の行動によって遮られた。
視線の先には元希の顔と天井がある。どうやら私は押し倒されたらしいのだが、何故だかわからない。欲情するようなタイミングだっただろうか。
「どうすりゃ実感すんだよ」
「……少なくとも、これじゃダメだよ。風邪ひいてる女の子は押し倒しちゃダメ」
そう言ってやれば、元希はバツの悪そうな顔をして、私の上からどいた。
上手くかわせたと思った。少なくとも、私じゃなきゃ上手くかわせてただろう。
「ったく、相変わらず免疫ねーのなオマエ。罪悪感かんじんだろ」
「は?なんで?」
「これだからオマエにだけはガキ扱いされたくねーんだっつの。顔赤過ぎ。熱だからっつって誤魔化すなよ。」
「免疫くらい私にだって……!」
次の瞬間、強引に布団から身体を起こされて、私は元希に抱き締められていた。熱上がり過ぎて死ぬかもしれない。そう思ってしまうくらい顔が熱くなって、心臓が煩くなる。
「やっぱ免疫ねーじゃん」
「これは、違くて」
「オレだから。とかだったらムチャクチャ嬉しいンだけどな。で、違くてなんだよ?」
リードされているのが悔しくて、自分から元希の背中に手を回した。風邪が移ってしまえばいいのに。なんて酷いことを考えつつ、私は思い切り元希を抱き締める。
「もうそれでいーよ、クソガキ」
「ガキはどっちだっつの」
オマエにだけはガキ扱いされたくねーんだ。って。ねえ元希。その言葉の意味って一つだけなの?
2010/08/11