月末なのでお支払い
榛名は、誰もが認める"スゴイ投手"だ。
春も、あの桐青高校がわざわざ榛名を見に来ていたくらいだし、夏だってあのARC相手にあそこまで喰らいつけたのは、間違いなく榛名のお陰で。それでも、それだからこそ、私は彼が許せなかった。
泣いた榛名が許せなかった。
8月の終わり。部活が終わった後。夕日が差し込む部室で、久々に榛名から私に話し掛けてきた。
「負けたから怒ってるっつーならわかりやすくていいんスけど、そういうわけじゃないんスよね?先輩なんで怒ってんですか」
「君が馬鹿だからです」
「意味わかんねー」
「君が馬鹿だからです。気にしなくていいよ。私もう明日から部活こないし。」
私は、パン!と、誰かが使ったまま部室に放置したのであろうタオルを振って、ついていた土や砂埃を払って折りたたむ。そして、床に転がったままのボール拾った。
明日は二学期の始業式。みんな課題だのの追い込みの為に、急いで帰ったからこんな感じなのだろう。なにせほとんどが一年生で、その彼らは去年を知らないのだから。彼らは多分今夜は徹夜することになるのだろう。
「ていうか、榛名くん課題は終わったの?」
「先輩こそ。引退した部活に顔出す暇あったんスか?」
「私課題なんか面倒で提出したことないもの。テストで点とれるから。あ、榛名くんもテスト点は良さそうだよね。」
なんのイヤミっすか。と榛名は答えたが、なんのイヤミでもない。本心である。
榛名は私の存在を気にする事なく、アンダーを脱ぎ、その鍛えられた逞しい上半身をそこに晒すと、すぐに制服のYシャツを手に取り。左腕を袖に通した。
「つーか、さっきバカ呼ばわりした癖にいきなりなんなんすか」
「榛名くんはわかってないなあ。勉強が出来る馬鹿だっているんだよ?」
「先輩、誤魔化さないで答えて下さいよ。アンタはオレに怒ってるから未だに毎日部活にくるんでしょ?」
「そうだよ。でも明日からは来ない」
私はそう答え、ズボンを履き替え始めた榛名を眺める。
「そうだよじゃないっすよ。オレは、なに怒ってんですかってきいてるんですからちゃんと」
「私が勝手に怒ってるだけだから、気にしないで」
「そんなんで納得───」
そう言いかけた榛名の口を、私は強引に右の手のひらで塞いだ。榛名は思い切り不服そうな顔をしたが、私の手を掴んで口から剥がしたあとも、続きは言わなかった。
「お願い納得して。本当に勝手な理由なの。嫌われるから言いたくないの」
「センパイ」
「怒ってるからじゃないんだよ。怒ってる理由があるから、私はまだここにいるの。」
明日から、私はもう部活に来ない。だから本当は今言ってあげなきゃいけない。しかし言葉は一向に出てこなかった。
口を塞いだせいで近い距離にいた榛名が動き、私と彼の距離が一層近づき、零になった。
「榛名くん、はなして」
「どんな理由でも、センパイが来てくれんのが嬉しかったんです。オレ。」
「私は」
どんな理由つけてでも、もっと一緒に部活したかった。そう言えたらどんなに楽だろう。そう思いながら、私は榛名の背中に腕を回し、彼の胸に顔をうずめる。
「私達は、榛名くんを泣かすために一緒に部活してきたわけじゃないんだよ」
「わかってます」
「私ね、泣いた榛名くんが許せなかった。だって榛名くんが泣くって周りを責めてるようにもとれるじゃない。そんな受け取り方誰もしないけど、私はなんか嫌だった」
無言で私の話を聴いている榛名が、何を思っているのかも、どんな顔をしているのかも私にはわからない。
「勝手でごめんね。榛名くんが泣いた理由だって、本当はちゃんと正しく理解出来てるのに」
「先輩はバカです」
榛名がポツリと呟いた。反論するつもりはなかったが、私は何か言おうと口を開く。だが、私が何を言うか決めるよりも先に、榛名は言葉を続ける。
「よくわかんないっすけど、先輩オレに泣いて欲しくなかっただけでしょ?」
「そんな簡単なことじゃ」
「そんな簡単なことなんすよ。多分、先輩がオレに泣いてほしくないのは、オレが先輩を泣かせたくないのと一緒なんだと思います。」
私はつまり、図星をつかれたのだ、だから榛名の話に直ぐに返事を返せなかった。
榛名はまだ私を離してくれない。それどころか、背中に回された腕の力は、段々強くなっている気がする。
「先輩、オレんこと好きでしょ」
「まさか」
「耳赤いっすよ」
「気のせい気のせい」
「そういや体離して欲しがってましたよね。離して顔見ていいですか」
「駄目」
「今の自分がすげー可愛いってわかってます?」
榛名のその言葉に、自分の顔が尚更紅潮するのがはっきりとわかった。
「離れたくないならいいですよ。オレも離したくないんで」
「やっぱり離し、」
「駄目です」
榛名はやっぱり、頭が良いと思う。それを彼は好きなことにしか使わないのだろう。
厄介な後輩を好きになったものだと私は瞳を閉じた。
2010/08/31