お代は何にしようか/臨也
酎ハイの缶を傾け、彼女は自分のグラスの半分くらいにそれを注いだ。
俺の方に視線をくれることもなく、缶を置き、代わりにグラスを手に取ると、それに口をつける。
大切な話があると人のうちに押し掛けてきた癖に、一向になにも言わず、一体何がしたいのだろう。
「何の用?」
「まあまあ」
彼女はそう言ってまた一口酎ハイを飲んだ。そういえば、彼女が酒を飲んでいるのは初めて見る。
高校を卒業し、大学生になり、普通にOLになった彼女は、やはり俺の知らないところで俺の知らない彼女になっていったのだろう。高校卒業前は、あんなにも彼女を知り尽くしていたのに。
いや、それは、違うのかもしれない。
と、俺は自分で自分の考えを否定した。
卒業後も、彼女を知り尽くすとまでは行かないが、彼女のことを知る手立てはいくらでもあった。
俺はただ単純に怖かっただけなのだろう。俺のいないところで変わっていく彼女を知ってしまうのが。
「臨也と話すの、半年くらい振りだよね。」
考え事をしていると、テーブルを挟んだ向こう側にいる彼女が不意にそんな事を言った。
「ああ、そういえば。」
そういえば、そうだった。彼女と以前あったのは、半年前に彼女が失踪した彼の情報を俺に聞きにきた時で。以来、メールや電話のやりとりすらしていない。その唯一の接触を俺は忘れていたわけだが。
「例の彼の行方はわかった?」
「さあ。知らない。もう興味ないから。」
「せっかく、大サービスして、かなりの低価格で教えてあげたのに。相変わらず勿体無いことするねえ。」
「臨也なら彼がどうなったかも知ってるんだろうけどさ。でももういいんだ。今日はそれを聞きにきたわけじゃないから。」
風の噂で仕方なく耳にした彼女の情報から考えれば、彼女の用件など考えずともわかる。しかし、誰より幸せを夢見ていた彼女が、わざわざそんなことで俺のとこへ来るだろうか。
「私ね。母のすすめでお見合いしたのね。相手の人、それなりにイケメンだし、それなりに優しいし、それなりの会社に勤めてるし、それなりに素敵だから」
とても幸せになれると思うのね。
そう言った彼女は、幸福過ぎる不幸を知っている人間だった。幸福過ぎるという鎖を知っている人間。だからこそ、それなりを求め、それなりの幸せこそが最大の幸福だと盲信している。
俺はそれを正しいとは言わないが、間違いとも言わない。何故なら、彼女がそれを幸せだと思うのなら、周りが何を言おうと、彼女が幸せを感じているという事実が変わるわけではないからだ。
「平凡な幸福は君の夢だっんだから、受ければいいんじゃない?それとも、その相手の情報を知りたいの?」
「臨也が」
「うん?」
「それについてどう思うのかが、臨也の単純な感想が知りたい」
ようやく俺と目を合わせた彼女は、少し酔いがまわってきたようで、ほんのり頬が赤い。
もしかすると、素面では、素直にそれが言えない為に、わざわざアルコールを摂取したのかもしれない。
「単純な感想ね、なるほど」
「どう思った?」
「何だろう、何て言うんだろうなあ、こういうのは」
「本当、臨也は遠回しだよね」
「本当に単純でいいのかい?彼はこれこれこうだからやめた方がいい。だとか、そういう意見じゃなくて、俺自身の俺の感情を優先させた感想が欲しい。それであってる?」
「それでいいの。」
彼女はそう言って、中身の無くなったグラスにアルコールの入った飲料を先程と同じくらいの量注ぎ入れた。
そして俺の様子を窺うように、こちらを見ながらそれを喉に流し込むと、ゆっくりとした動作でグラスをテーブルに置き、俺の返事を待つ。先程と打って変わって、一度も俺から目を逸らさなかった。
「単純に言うと、嫌だね。」
そんな彼女に、俺は本当に単純な答えを述べた。
「理由までききたい?」
続けてそう訊くと、彼女は無言で首を振る。嬉しそうに、悲しげな表情を浮かべていた。
「そうか。で、断るの?」
「うん断るよー。他ならぬ臨也の頼みだもの。大サービスのお礼だって。臨也が望むなら私は幸せにならなくていいしね。じゃあ、また来るね。」
彼女はそう言って、にっこり笑うと、鞄を持って玄関へと向かった。
全く、勝手な女である。こちらの言いたいことを何一つ聞かずに帰ろうと言うのだから。
俺は見送るついでに玄関で立ったままヒールのついた靴をはこうとしている彼女を後ろから抱き締めた。
片足をあげたままだった為に、彼女はバランスを崩し体重をこちらに任せる体勢になる。
「もう一つ。今日も大サービスしてあげようか」
「い、いらな」
「折原臨也は君を愛しているから、他の男にとられるのが嫌なんだよ」
酒のせいだけでなく、顔を真っ赤に染めた彼女は、俺を強引に引き剥がし、慌てて靴を履いて、逃げるようにうちを後にした。
「何が大サービスよ」
「覗きなんて趣味が悪いな、波江」
「彼女からしてみれば大損害でしょうね、聞きたくないって言ってたもの。可哀想に、まだサービスでさえなければ逃げ出すほど戸惑うこともなかったのにね。」
「厳密に言えば、聞きたくないと言ってはいなかったからね。遠慮しているようだから教えてあげたんだよ。」
彼女はきっと理解しているだろう。大サービスというのは、つまり、仕事で与えた情報なわけだ。俺は仕事では彼女に嘘をついたことはない。
つまりアレが、真実でしかないということを
「最初から素直に聞かなかった彼女が悪いんだよ。」
2010/08/17