ずるいし勝てない
その夜。榛名元希は居酒屋のチェーン店に酔いつぶれた彼女を迎えに行った。
彼女というのは、あくまでも女性に対して使う代名詞であり、彼女が榛名の彼女であるということではない。
まあ、榛名が彼女に好意的であるかどうかというのはまた別の話であり、そもそも酔いつぶれた高校時代の部活の先輩をわざわざ迎えにくるというのは、即ちそういうことであるとも思えるのだが、その話も今は置いておこう。
兎にも角にも、榛名はその夜。彼女をその場所に迎えにきた。そして、彼女が酔いつぶれたことを榛名に知らせたのは、やはり高校時代の先輩である加具山直人だった。
「何があったンすか、これ」
「なんか、まあ」
「平尾先輩が酔いつぶれるなんて珍しいじゃないすか」
机にうつ伏せになって寝息を立てる、彼女、もとい、平尾千紗子。
こんな姿、滅多に見られるものではない。そう榛名は思った。
特に彼女は、男に対してはとても警戒心が強く、相手が女性である宮下涼音であるならともかく、普通の状態で加具山と飲んでいてこんなことになるとは思えなかったのだ。
「なんつーか、フられたんだって」
「フられたくらいでこんなんになる人じゃなかったでしょ」
「なんかわからねーけど、今回は珍しく堪えたみたいなんだよな」
加具山はそんなことん説明しながら、平尾の頭を乱暴に撫でる。
しかし、そんなことをされても彼女が起きる様子はない。
加具山は、榛名に席に座るよう促すと、話を続けた。
「今日は、一週間前から、久々に飲もうって話しててさ、んで、最初は涼音と大河もいて、その状態で話してたんだよ」
「町田先輩とかは?」
「誘ったんだけどみんなやっぱ用事があって来れねーって断られて」
そんな前置きをし、加具山が詳しく話そうとしたところで、急に平尾が頭を上げた。乗せたままにしていた加具山の手が、彼女の背中の方に滑り落ちかけて、彼はついでとでも言うように、彼女の背中をさすった。
「ったく、大丈夫か?」
「うぅ、かぐやん……大丈夫……んん?てかアレ?榛名ぁ?」
彼女は、色気なんて寧ろ感じないくらいに酔っ払っていたが、久々に見たかつての想い人の顔に、榛名はドキリとしてしまう。
彼女に彼氏が出来たということで、榛名は彼女を諦めたわけなのだが、その障害はもうないのだ。
「かぐやん、なんで榛名がいんのー?」
「オマエが榛名呼べって騒いだンだからな」
「え?そうなんすか?」
「ほら、こいつ彼氏にフられたっつったろ?んで自棄酒してこうなったんだけど、大河と涼音は相変わらずアレだし、だからこいつ二人をこっから追い出してー……んで、まあ、オレも彼女が出来た話をこの間電話したときにしちゃったから、あんたみたいな裏切り者とは絶対一緒帰らない!榛名ならきっと独り身だ!榛名を呼べ!って騒ぎ出して」
聞いてみれば失礼な話だが、自分を名指しで呼んでくれたということが、実際未だに独り身である彼としては、嬉しくもあった。
そして、もちろん、ひょっとしたら、なんて都合のいいことを考えてしまったりもするわけなのだが、「あれ?そうだっけ?」などと惚けたことをいう彼女に、その期待をぶち壊されて、榛名は苦笑する。
「で、そういやきくの忘れてたけど、榛名は実際まだ独り身なわけ?考えてみたらこいつ相当失礼な理由で呼び出してるよな」
「あー、まあ、イマは付き合ってる人はいませんけど」
「ケドって!つまりなんかそれっぽい人はいるんだ!榛名も裏切り者!かーえーっむぐ」
「オマエはちょっと黙ろうな」
加具山は、慣れた様子で彼女の相手をする。
榛名はそれを羨ましく思いながら、彼女の指摘に丁寧に答えた。
「いや、オレもフられたっつーか」
「へ?」
「やったあ!仲間!」
酷いことを言いながら、椅子の上で無邪気に体を揺らす彼女は、榛名の見てきた高校時代の彼女とは全然違った。
加具山が呆れたような顔でそれを見ているところをみると、酒のせいだけではなく、やはり同学年の友達にはそういう表情を見せていたということなのかもしれないが、榛名の気持ちはその特別な初めて見せられた彼女の一面に、揺れ動かされる。
暫くして、平尾がはしゃぎすぎてぐったりとしてきたので、会計を済ませ、三人は外に出た。
「なんか悪いな榛名。こいつ酒飲むとより一層タチが悪くなんだよ」
「いや、別に構わないっす。とりあえずじゃあ、オレがうちまで送ればいいんですよね?」
「おう、悪いな。あ、ねえとは思うけど手出すなよー」
榛名は、保証は出来ないとは思いつつも、自分に体重を掛けきって、今にも倒れそうな彼女の顔にちらりと目をやり、一応形だけ「はい」と答えて加具山と別れた。
そして、加具山の背中が見えなくなったところで、動き出そうとしてみたのだが、店を出るのがやっとだったのか、彼女が一歩も動かない。
おぶってしまおうかとも思ったのだが、体勢を変える気力も無さそうなので、少し休ませることにし、居酒屋の入っていたビルの階段のところで腰を降ろさせた。
そして十数分後。ビルの壁に頭を預け、暫くの間ぐったりとしていた彼女も、時間が経つにつれ、意識がはっきりしてきたのか、ゆっくりと目をあける。
そして榛名の顔を見て、ため息を吐く。今更申し訳なくなったのだ。そして、くだらないことで後輩呼び出した、自分に呆れたということらしかった。
「なんかごめんね。榛名」
「大丈夫っすか先輩」
「大丈夫。あー私なにやってんだろ」
壁に右手をついてゆっくりと立ち上がろうとする平尾の身体を咄嗟に榛名が支えようとすれば、彼女の左手はそれを制した。
それにより、榛名の熱も一気に冷める。
この人は、変わっていない。そう思った。
彼女にとって、榛名はあくまでもただの後輩でしかないのだ。
「だぁ!もう!気持ち悪い!」
「本当に大丈夫っすか?」
「んー、ちょっと吐けばきっと大丈夫だからあそこのコンビニでトイレ借りてくる」
その場で吐かないくらいの余裕があるということは、事実大丈夫なのだろう。
続く言葉は、榛名にも予想がついた。
「呼び出しちゃってごめんね、私一人で帰れるよ」
そう言って一人でコンビニ入って行った彼女を榛名は外で待つことにした。
帰れとは言われなかったし理不尽に呼び出したのは彼女自身であるわけなので、多分文句は言われないだろう。そう見越してのことだ。
そして、出てきた彼女は、案の定待っていた榛名に驚きはしたものの、文句は一言も言わず、お詫びに何か奢ると言って、彼ともう一度コンビニに足を踏み入れたのだった。
「そういえばあれは嘘なの?」
「はい?」
「だから、フられたって話。あれ?私の夢だったのかな、あの会話」
お菓子の並べてある商品棚の前で、彼女は榛名にそう話を振った。
榛名は一瞬何を訊かれたのかわからず、首を傾げたが、彼女が続けた言葉を聴いて、すぐにその意味を理解した。
「あれは本当ですけど。でも随分前の話なんで気にしないで下さい」
「へー彼女いたなんて知らなかったよ」
「いや、彼女とかじゃなくて、なんつーか……気になってた先輩に彼氏ができました」
彼女が何か言おうとして口を開き、結局何も言わずに口を閉じた。そしてワンテンポ遅れて気まずい空気が流れる。榛名は、言ったことを後悔したし、平尾は訊いたことを後悔した。
「まー、オレの方はそんな感じといいますか」
「それは、まあ、残念だったね」
「でもなんか、その人その彼氏と別れたみたいで」
「あ、そうだ榛名、ところで、大学は」
「セーンパイ?今そんな話してませんよね?」
そして、やはり彼は榛名という男なのだ。このままで話を終わらせたりはしなかった。彼は言ってしまったからには後には引けないとばかりに開き直り、傷心の女性を口説きにかかる。
それに気付いた彼女は慌てて話題を逸らそうとしたが、もう遅い。
「してませんが、でも、あのね榛名」
「そういえば失恋には新しい恋がいいって昔からよく言いますよね」
「ちょっと榛名くん落ち着きましょうか」
「先輩こそ落ち着いて下さいよ。落ち着いてオレンこと見てください」
言葉に釣られて榛名を見てみれば、自信満々の彼がかっこよく見えたりして、彼女はそれを身体にまだアルコールが残っているせいだということにし、なんとか気持ちを落ち着ける。
「まあ、オレはまだ、それが平尾先輩のことだとは言ってませんけどね」
「なっ、私だって、私のことだとは思ってませんが」
「先輩、オレが"まだ"って言ったのちゃんときいてました?」
その言葉を無視して商品棚に伸ばした彼女の右手を榛名の左手が捉えた。
彼女は冷や汗を流して、先ほどとは違う種類のため息を吐く。それは相手に聞かせる為のため息だったのだが、榛名はそんなこと気にもとめず、自分の話を続ける。
「残念ながら、オレが好きなのは先輩です」
「おっしゃる通り、とっても残念だわ」
「今日はお酒で頭ぼんやりとしてるでしょうから、返事はまた今度訊きますね」
そう言って、榛名は掴んでいた彼女の手を引き、彼女を自分の胸に抱き寄せた。そして耳元で、今日のお詫びはこれでいいんで、と囁くと彼女に見えないところで、勝利を確信して笑みを浮かべた。
彼女が男性を警戒するのは、彼女自身、自分がとても惚れっぽい人間であるということを理解しているからなのだ。榛名はそれを知っていた。
彼女が彼告白に予想通りの答えを出すのはそう遠くない未来の事だろう。
2011/07/20
三人称小説が書きたくなって試しに書いてみました
難しいですね