泣けよ。許してあげるから
穢いモノをひた隠しにして来た代償は、いつだって唐突に支払う事になる。毅然とした偽善を身に纏い、私は彼の為にと、快楽を求めた。
バレるわけないなんて、夢を見て、現実逃避も甚だしい。その事実に傷付くのはまだ幼い、彼なのに。
偽りの正義と、まやかしの愛情に身をやつし、私はひたすら、彼を傷付けた。
彼を壊したのは、確かに私だ。謝っても許されない。それどころか、軽蔑されかねない。否、私に謝る気なんてない。
だって私は、悪いことなんて、していないのだから。
「あの時傷付いたのは、誰だと思う?」
日除けの番傘を肩にかけ、右掌で支えながら、彼は私に訊ねた。1oも違わず、何もかも狂っている彼の笑顔は、清々しい程、美しく不気味だ。
あの綺麗な爪が首を掻っ切り、あの細い指が肌を貫き、心臓を抉る。それはグロいと言うより、エグい光景。
そんな風に彼は、私に傷付けられた分、どれだけの人を傷付けて来たのだろう。
「あなた」
「違うよ。傷付いたのは、俺じゃない。」
「嘘だ。」
「傷付いた奴はもう居ないよ。それは俺じゃない。アイツはあんたが殺したんだよ。」
彼の言いたい事を漸く理解した。あの頃から数年。時効は多分、まだ。殺人犯は死刑になるべきもので、私もそれに異論はない。
彼から言わせてみれば、私のあれは事故じゃなかった。私のそれは、計画的犯行だったのだろう。だから死刑で当たり前なのだ。でもそれは、私の解釈じゃない。私は罰を受ける必要なんてない。
「アイツに未練は無いよ。でもあんたを許せた事はただの一瞬もない。殺したいくらい憎んでる。」
「私は、悪くない。純粋だったあなたが死んだのは、私が殺したからじゃない。自殺だよ。あなたがそれを放棄しただけ。」
「言うね。夜兎相手に、弱小種族が。」
「たかが兎に臆するわけがないでしょう。そもそも、私は身体を売るのが悪いことだなんて、」
思っていない。と言おうとした。言い切れなかったのは、彼の表情に驚いたから。
彼は泣いていた。涙は出ていなかったが、こちらの胸が苦しくなるような顔で、目一杯の感情を私に押し付けた。
私にはわからない。彼がそんな顔をする意味も、理由も、必要性も。
「何か勘違いしてるね。俺が言いたいのはそんな事じゃないよ。まだわからないのかい?」
「わからない。つまりあなたは何が言いたいの?」
「アイツはあんただ。傷付いたのは俺じゃない。」
「馬鹿ね。あの時も言ったでしょう?私は、あなたを理由にして、自分の欲求と欲望に身を委ねただけ。私は苦しんでなんかいない。痛くない。私は望んで、」
「望んでた人間が。わざと俺にそれを気付かせて、自らに罰を与える訳がない。あんたは、傷付いてる。充分過ぎるほど罰は受けた筈だ。」
バレている。私ですら思い込みに思い込みを重ね、心の根底にそれを封じ込め、忘れきって、気付かず生きてきたというのに。
「俺が許してないのは、強がっているだけの弱いあんただ。」
「馬鹿じゃないの?私は、」
「誤魔化すなよ。俺があんたの考えてる事、間違えるわけ無いだろ?言い訳をせずに本当の如く酷い事を言うのは、自分自身に言い訳をしている時だけだ。」
情けないくらいに見透かされた私の心は、もう砕ける一歩手前。泣きそうだ。彼のあれは、鏡に映った、私の気持ち。気付きたくない。気付けば、私が死んでしまう。
「違う。私は。」
「素直に言えば、今なら許してあげるよ。」
だから私は、ずっと素直に言ってるじゃないか。頼むから、もうそれには触れないで。放っておいて。お願いだから、気付かせないで。私に傷なんてない。
「あんたがそれ以上、苦しむ必要は無いんだよ。」
私が自分に嘘をつき始めたのは、いつからだろう?金に困り果て、初めて身体を売ったとき?それとも、家で、穢れた私を迎えてくれた、純真無垢な彼の笑顔を見たときだろうか。
とにかく、私はいつからか、自分の傷を否定し始めた。だってそうしないと、壊れてしまう。だって、私が壊れたら、神威も崩れてしまうじゃないか。
でも、私はとっくのとうに死んでいて、彼はとっくに崩れていた。そう見えなかったのは、絶妙なバランスで折れた柱がそれを支えていたから。だから、簡単なきっかけで彼は倒壊し、取り返しがつかないくらいに狂ってしまった。彼の為にとしたことで、彼を傷付けたのだと認めるのが恐かったんだ。
「苦しんで無いよ。」
「嘘だね。」
「あなたの為に何かをするのに、苦しんだりしない。あなたが大切だから。」
「他人行儀はもう良いから。昔みたいに神威でいいよ。」
ずっと怖くって呼べなかった。嫌われてると思っていたから。昔を思い出すのが嫌だったから。壊れる前の彼にも、死んだ私にも。会わす顔が無かったから。
「ごめんね。神威。」
「別に怒ってないよ。」
「嘘ついて、ごめん。」
純真で純心な私は、いつか戻って来てくれる?心の傷もいつかは癒えるかもしれない。長い歳月をかけて深くなったその傷は、同じ年月を重ねれば、きっと元に戻るだろう。
なんだ、私は救われても良いのか。
2010/08/13