最後の設問とその答え/榛名
第一印象は、"キツそうな子"だった。
まあ、私は三年だから、長くても四カ月くらい一緒に部活やるだけで彼との関わりは無くなるわけだし、ベツに関係ないと思っていた。
努力家で、真面目で、同じく入った一年の子とだけ仲良くて、二年の大河くんとは、多分性格が合わないことは無いと思うけど、犬猿の仲といった感じで。
新しくそんな彼を迎えた部活で、高校三年になった私の最後の春が始まった。
「ええと、榛名くん、だっけ?」
部活が終わり、宮下さんと片付けをしている途中。トレーニングルームに向かう絡みにくい後輩を見かけ、私は先輩としての務めもあるので、一応声を掛けてみた。
「えーと?」
「まだ名前覚えてないの?もう一週間は経つよ?ちょっと感心できないなー。どうせ宮下さんは覚えてるんでしょ?」
図星をつかれたという顔。この後輩は思っていたよりわかりやすい人なのかもしれない。
宮下さん、一年の頃から胸部の主張が激しかったもんね。本人は意図してないだろうけど。男の子には覚えられやすい子である。
「……スンマセン」
「ベツに良いんだけどね。私どうせ七月でいなくなるし」
「え。部活辞めるンすか?」
「榛名くーん?私三年生だからね?」
学年すら覚えられていなかったとは。試しに私の部活を訊ねてみたい。ああ、でもたった今部活を知っているという事は判明したところか。
ていうか七月って言い切っちゃったけど、我が武蔵野第一高校野球部が甲子園に行けるわけがないし、間違ってはいないよね。
「あ、スンマセン」
「私三年生に見えないかー」
よく言われるから良いけどね。榛名くんが本当に申し訳なさそうな顔をするものだから、こちらまで申し訳ない気持ちになってくる。気持ちの連鎖である。
部活での目立った絡みはたったそれだけ。ただ、私には、何故か自主トレに向かう彼の背中がとても印象に残った。
多分。うちの学校で自主トレなんてする人が今までいなかったからだと思う。いや、一人いたかな。私が一年の時に一人だけ。
そして私が引退してから、榛名くんの活躍でうちの野球部は急成長を遂げる。
榛名くんが後二カ月早く産まれてくれていたら、私のマネージャー人生は何か変わったかも知れない。
私の幼なじみも。また野球で頑張れたかもしれない。
須永雄一。私の幼なじみであり、武蔵野第一高校野球部の元一塁手である。
中学ではそれなりに有名な"投手"で、有名校からのスカウトなんかも来ていた。しかし中三の冬に肩を壊し、治っても今までのようには投げられないだろうと言われて、彼は野球にあまり一生懸命にならなくなった。
それでも。こんな弱小校に来ても野球部に入っているんだから、彼の精神は強い方だ。
そんな経験したら、普通は野球部のない学校を選んで、部活は入っても文化部。自分の傷は間違っても抉らない。
傷口に自分で塩を塗り込みながらも野球を続けた、そんな雄一のことだ。もし、榛名くんが後一年早く入部してくれていたら、きっと榛名くんに引っ張り上げられて、もっと充実した学園生活を過ごせていただろう。
隣の席で、雄一が野球部の秋大での活躍が掲載された校内新聞を見ながら、四カ月じゃ足りねーよな。と、呟いた。私は無言で頷く。
私の中での榛名くんは、秋はこんな感じだった。
冬。卒業のシーズンである。短大への入学も決まったので、私は久々に野球部に顔を出した。練習内容が半年前と比較して格段に濃くなっていた。マネージャーである宮下さんも大変そうだ。
「あ、平尾先輩!」
加具山くんがこちらに駆け寄って来た。身長は変わっていないが、体つきが少々がっしりし、半年前よりずっと男性らしくなっていて、私は少し驚いてしまった。
「やあ、加具山くん、なんか最近野球部凄いじゃないの」
口ではそう話を振りながら、私の眼は例の一年生の姿を探す。
それに気付いたのか、加具山くんは、榛名呼んできましょうか?と気を利かせてくれた。良い子なことには変わりないようだ。
加具山くんに話掛けられて、榛名くんが嬉しそうに受け答えしている。半年前はもっとギクシャクしていたっけ。予想はしていたが、野球部自体の雰囲気もかなり良くなったようだ。
それが全部榛名くん一人のお陰だとするならば、私の三年間というのは一体なんだったのだろう。
雄一の三年間は。壊れた人間がただ一人頑張っても意味がないと諦めた雄一の三年間は、無駄だったのだろうか。
「お久しぶりです先輩!」
元気よく榛名くんが挨拶してくれた。
榛名くん自身も随分明るくなって、以前より会話しやすくなった気がする。
「久しぶり榛名くん。もう私の名前言えるかな?」
「言えますよ!いつの話引きずってンスか!」
「じゃあなんでしょう」
「千紗子でしょ。ちゃんと覚えてます」
得意気に言った彼だが。それは名前だ。うん。間違ってはいないけど。先輩を名前で呼び捨てって、そこは普通名字とかフルネームとか、他にも選択肢があるだろう。
「間違ってはいないけど」
「そういや千紗子先輩、須永先輩と喧嘩したってマジっすか?」
しかも雄一は名字かよ。
「いや、マジじゃないッス。雄一には彼女が出来たから、彼女さんの意向により私は雄一に話し掛けることを禁じられただけっす」
「え、じゃあ須永先輩と別れたンスか。いつの間に」
「そもそも付き合ってねえっす」
ていうか突っ込めよ。私の口調に。というのは明らかに無茶振りだけど。
「あ、先輩は大河先輩と宮下先輩が」
「付き合ってるのは当然知ってますが。榛名くんどうした。OLが久々に会った女友達とお茶するときみたいな勢いがあるぞー」
「マジっすか」
どこにマジっすかなんだよ。榛名くん面白キャラだな。仲良くしておくべきだった。
「実はオレ宮下先輩のこと……いややっぱ無しで、なんでもな」
「宮下さんのこと好きだったのか、初耳だわ」
初耳なだけで気付いてはいたけど。
ていうか本気で大丈夫か榛名くん。私の積み上げたシリアスな感じ全部ぶち壊して何してくれてんのホント。
「バッカ、先輩!聞かれてたらどうすんですか!」
いや、みんな知ってたよ。というか何気に今人をバカ呼ばわりしましたよね。榛名くん。
「榛名くん。先輩にバカはないだろバカは」
「あ、スンマセン」
「まあいいや、私、榛名くんに訊きたいこと有ったんだよね」
「なんすか?」
「私ら三年がいた頃の部活。やっぱ楽しくなかった?」
私達が存在していたすら、今の野球部には関係ないのか。秋からずっとそれが気になっていた。
雄一は、私は、榛名くんにとってなんだったんだろう。
「いや、楽しかったッスけど。」
「へえ、でもあんまり仲良くしてなかったじゃないの」
「あー、れは。先輩とどう接したら良いかわからなかっただけで」
「うん。でも楽しくはなかったんじゃない?ほら、練習試合もあんま出させてあげらんなかったし」
「入部して、オレの球が速いって話して、褒めてくれて、そんで須永先輩とか、勝ちたいハズなのに試合にオレ使わなかったりとか、あれってベツにオレが嫌いだからじゃないですよね」
まあ、榛名くん嫌ってた三年生がいなかったわけではないけれど。雄一はまあ、気に入ってたかな。
榛名くんの球数の制限とかについて、理由はわからなかったけれど、三年生でも色々考えてた子達は居たし、それに引っかからない程度に投げさせていた。
でも、そうか。
ちゃんと、榛名くんにも、伝わってたのか。
「なんつーか、すっげー嫌われてるわけじゃないってわかったから、オレは部に居れたンだと思います」
いや、榛名くんすっげー嫌われてても居座りそうだけど。まあ、言わせとこう。
「オレ、三年の先輩達も好きでしたよ」
だって嬉しいから。
そんな明るい、嘘のない笑顔で、言われたら、嬉しいから。
釣られて、私も笑う。安心した。私達の三年間は、きっと榛名くんのお陰で報われた。
「私も雄一も、ううん、三年の皆も、なんだかんだで榛名くん、好きだったよ」
そんなセリフに、一瞬キョトンとしながらも嬉しそうに笑ってくれる榛名くんに、私は随分救われた気がした。
そうか、私の三年間も充実してたんだ。ちゃんとそれに意味はあった。
練習に戻る彼の背中を私はいつだったかより前向きに見送ることが出来た。私はきっとこの背中も忘れない。
2011/05/12
『表情』さまへ提出