非日常を愛でる/臨也
池袋の西口公園の噴水は、夜になれば当然止まる。風でゆらゆら揺れる水面に映るのは、月ではなくて街灯で、ああ、なんて都会的な光景なんだろう。と私は溜め息をついた。
池袋に来たことがないわけではもちろんない。そもそも、出身地の埼玉からは、電車一本で30分も掛からずにこれる距離だったため、私にとって、都会というのは新宿や渋谷で、池袋は単なる遊び場だった。
一緒に遊んでいた友達にとってどうだったかは知らないが、私は池袋を東京としてなんて意識していなかったし、だからこそ、都会である池袋には今日初めて遊びに来たことになる。
まあ、単に、こんな夜中にくるのは初めてってだけで。つまり、今までは夜中には新宿や渋谷で遊んでたということなんだけれど。
「こんばんは、奈倉です。」
そう言って現れたのは、予想に反して男だった。奈倉さんは、最近ネットで知り合った人で、私はその丁寧な口調から女の人だとばかり思っていたのだが、どうやら私の予想は外れていたようだ。
しかしまさか、こんな怪しげな男の人だとは思わなかった。
黒で統一されたコーディネートは、池袋という街の明るさのお陰で、夜の闇に溶け込むことは無いが、それでもその黒は、彼の立っているところだけ、深い闇が渦巻いているかのような錯覚をさせた。
私はとりあえず、自分のハンドルネームを彼に告げる。
今更になって、当然のように初めて会う私に話し掛けてきた彼に違和感を覚えつつ、私は彼と池袋の街を歩き出した。
ちなみに、私が奈倉さんとオフ会することになったのは、自殺サイトでの交流がきっかけで、つまり、私達は、今日死ぬために集まったのだ。
「奈倉さんは、」
「なに?」
「死ぬ気、無いんですね。つまらない。」
しかし、見た瞬間。出逢った瞬間に気付いてしまった。今まで会った、十何人の自殺志願者と、奈倉さんの雰囲気が全く違うことに。
「あー、やっぱり君だったんだ?自殺サイト荒らしさんってのは」
何故か嬉しそうに笑う奈倉さん。反対に私は、そこまで知っている彼を不快に思った。
「知っていて、わざわざどうして」
「俺さあ、一度君と間違えられたんだよね。あなたが噂の自殺サイト荒らし?酷い!とかってさ。」
「間違えられ……?なんでですか?」
「この通り、死ぬ気無しで集団自殺のオフ会に参加したんだよ。それでまあ、いろいろあってね。」
間違えられるも何も、それは十分自殺サイトを荒らしてるだろ。と思ったが、口に出す程の事でもないと思い、私は口を閉ざした。
今の問題は、だ。自殺志願者を死なないよう言いくるめて、私の言葉なんかでいとも簡単に心変わりなんてしてしまう彼らを馬鹿だなあ、なんて心の中で嘲笑って毎回ストレスを発散していたのに、今回のターゲットはそんな事もさせてくれなさそうだということだ。
「なんで、逆上した自殺志願者に殺されるかもしれないリスクまで負って、こんなことを趣味にしてるの?」
「暇潰し、それとストレス解消ですかね」
「楽しい?」
「それなりには。ていうか、逆に聞きますけど、あなたはなんでわざわざ、自殺する気がないと最初からわかっている私に声を掛けたんですか?」
「俺は別に君と違って、自殺志願者を観察したいわけではないからね。」
観察。と彼は言った。私は彼らを観察しているつもりはなかったのだが、なるほど。観察。そういう言い方も有りなのか。
そんなことに妙に納得しつつ、私は彼に、じゃあ奈倉さんは何をするのが目的で自殺サイトなんてものを見ているんですか?と訊ねる。
自殺志願者を引き止めるため、なんて善人には見えないし、それならば、私とわざわざ会うのは時間の無駄だ。
「俺は人間を愛しているんだよ。だから」
「だから、どんな人間でも観察したいとでも言うんですか?なら私に会うなんて時間の無駄ですよ。私ほどわかりやすいやつもいませんからね。観察する前から結果がわかっているなんて、小学生の自由研究じゃあるまいし。」
「アハハハ!そう言うと思ったよ!」
「ほうら、時間の無駄でしたね。」
「時間の無駄ではないよ。俺はね、観察するのが楽しいんだ。観察の結果が思い通りだろうと、予想外だろうと、俺には関係ないんだよ。何がどうなっても、楽しいことには変わらない。例え予定通り過ぎて退屈だったとしてもね。」
ああ、なんて虫唾が走る人なんだろう。イライラする。溜まったストレスが爆発しそうだ。
奈倉さんはそんな私を無視してさっさと足を進める。そして、60階通りにもある、西口の大手ファミリーレストランへと入って行った。
中に入ると店員に窓際の席へ案内され、私は無言で席につく。
奈倉さんはというとファーのついた黒いコートを脱ぎ、椅子の肩に掛け、楽しそうな視線を私に投げかけてくる。
不快だ。私のその不快な気持ちまで楽しんでいるというような、彼の表情がとても不快だ。
「ストレスの発散は別の形ですべきだと俺は思うよ。」
「そこまで知ってるなんて、ストーカーでは無さそうですけど、正直気持ちも気味も悪いです。」
「例えば週に一回、好きな人と食事をするんでも違うんじゃないかな。」
「あなた、私の好きな人まで知ってるんですか?」
私の好きな人。それは、会ったことも見たこともない男の人だった。折原臨也。噂にきく情報屋だ。
彼とはメールだけはしたことがあった。彼もまた、奈倉のように虫唾が走る人間で、度々私をイラつかせたが、それでも私はいつの間にか彼に惹かれてしまっていた。
「あ」
そして、私は勘付いてしまった。彼が、彼なのだと。
「君は本当に鋭いよね」
奈倉が嬉しそうに目を細める。
「人並みですよ。私の鋭さなんて。」
私も釣られて、笑った。
可笑しかったわけではなかったが、笑った。気持ちを落ち着けるように、静かに笑った。
「で、週に一回一緒に食事してくれるんですか?」
「さあ、どうしようかな。」
ということはこの人、金持ちの筈だよね。ファミレス似合わないなあ。ここにしたのは、出来るだけ警戒させないためか。なんて思いながら、私は漸くメニューを開く。折原さんは、楽しそうにそんな私を眺めていた。
「折原さん、週一とは言いませんから、月一で一緒食事しませんか?」
「妥協するの?らしくないねえ。」
「週一の頻度であなたと会ってたら、気持ちが休まる暇がありませんからね。」
その後、結局、彼は約束はしてくれなかったが、それから1ヶ月に一、二度、彼から食事のお誘いが来るようになった。
なんのつもりかは知らないが、自殺オフ会を荒らすよりはずっと有意義に休日を過ごせていると思うため、私は、これで良いんだと思うことにしている。
「あ、もしもし?今日ですか?大丈夫ですけど。」
電話の向こうで何かを企む彼を愛おしく思っているわけではない。多分、私は彼の意図が好きなのだろう。
携帯を閉じ、私は呟く。
「今度は池袋で何を起こすつもりなんだか。」
2011/05/03
あ、もちろんファミレスはサイゼですが、イザヤさんは食べないと思います。