瓢箪から駒/臨也
「最近、狂った愛情向けてる人が多すぎて、普通な私がおかしいみたいですよね、折原さん」
「普通ねえ。本当に普通な女の子は、学校帰りに人のうちに押し掛けてきてこんなことしないよ。」
「なんてこと言うんですか。女子高生が学校帰りに好きな人のうちに押し掛けるなんて普通じゃないですか。住所だって法に引っ掛かるような手段で入手したわけじゃないんですよ?あなた本人からききましたし、ストーカーまがいなことをやった覚えはありません。私は普通以外の何者でもありませんよ。」
「俺の首さえ絞めてなきゃね。」
多分、全力では無いだろう。苦しくはない。とにかく、その程度力のこもった両手で、彼女は俺の首を絞めていた。何かおかしいですか?といった表情に、笑いが込み上げてくる。彼女は自分のおかしさを、本当は理解していて、その上で、この行為に及んでいるんだろう。それはそのまま、好意と置き換えてもいいくらいだ。少々文脈がおかしくなるが。
「折原さんってば、ギリギリな顔も素敵です。結婚して下さい。じゃなきゃ殺しちゃいますよ。」
「相変わらず無茶苦茶だよね。っていうかそもそも君の学校はこの辺じゃなかったはずだけど、」
「学校といえば私、そろそろ卒業なんですよね。折原さんのとこに永久就職させて下さいな。そしたら折原さんなんて呼べなくなっちゃいますね、臨也さんって呼んじゃったり?やだ照れちゃいます。あーもう恥ずかしい!ってことで、死んでくれませんか?折原さん。」
「嫌だよ。俺が死にたく無いのは、君が一番理解してるよね?」
「好きな人に嫌がらせしちゃうのは、普通の事でしょう?」
人間の人間らしいエゴ等を詰め込んだら、きっと彼女のようになるのだと思う。彼女は自分と好きな人だけがただ好きで、他はどうでも良いのだろう。それは誰でも持っている感情だ。
そんな彼女は好きだ。彼女が本当に俺を殺そうとしているわけではないことくらい俺にはわかるし、人を殺せる人間でない事も理解している。つまり、彼女はどこまでも好きな人に悪戯をしたいだけ。
彼女に異常は見当たらない。彼女は彼女の言うように普通の人間で、普通を極めた人間だった。まあ、普通を極めるような人間は普通ではないのだが。
「婚姻届、持ってきたんです。一緒に名前書いてくれますよね、折原さん。」
右手で首を絞めたまま、彼女は左手で器用に自分のポケットから紙を取り出すと、それをまた器用に片手で広げ、ずい。と俺の顔を押し付ける。白紙の、本当に白いだけのただの紙だった。婚姻届等という文字は見当たらない。代わりに、進路希望という文字が見える。
まあ、そういうことだろうと思っていたのだが。
「本当に進路、まだ決まらないんですよね。どうしよう。」
彼女はそう言いながら、首から手を離した。先ほどの狂ったような表情とはうって変わって、今は泣きそうな顔をしている。体勢は馬乗りのままな為に、影にこそなっているが表情ははっきりと見えた。
「なにかしら相談に来る度に、首絞めながら結婚を迫るのはそろそろやめようよ。俺の身が持たないからさ。」
「池袋の喧嘩人形に嫌われてるのに生きてる折原さんが私如きに殺されるわけないです。というか、いっそのこと本当に折原さんを殺して刑務所とかで暮らそうかな。そうすれば就職なんて考えなくて済みますし。」
「ハハハ、そんなに俺に力になって欲しいっていうなら、なってあげてもいいよ。」
「え?殺させてくれるんですか?でも私殺すなんてホントは怖くて出来ないんですけど。」
「とりあえず、この紙に名前書いてよ。印鑑は後でいいからさ。」
先ほど彼女がしたように、片手でポケットから紙を取り出し、そのままその手で紙を広げた。紙を見た瞬間の彼女の困惑した表情に、思わず笑みがこぼれる。コロコロ表情が変わって、本当に飽きない女の子だ。
「え?あれ?これ、ホン───」
彼女が言い切るその前に、強引に上半身を起こし、唇を重ねる。後ろに倒れかけた彼女の身体を片手で支え、もう片方の手は、彼女の後頭部に回した。本物の婚姻届はぐしゃりと丸めてそこらへんに放る。彼女には、まだ早い。これが必要になるのは、多分ずっと未来の事だろう。
2011/04/24