呼吸の仕方と想い方
『好き』も『愛してる』も『可愛い』も『綺麗』も『一番』も、オレにとっては彼女の為に覚えた言葉だった。
オレの知らない男にそう言われて彼女が照れくさそうに笑う。幼い頃のオレはただその表情が見たかっただけなのだ。
だが、オレが真似して、拙い言葉で愛を表現する度、彼女は、それとは違う笑みを浮かべた。
彼女はオレを好きではなかった。いや、好きではなかったんじゃなく、オレは寧ろ、彼女に嫌われていたのかもしれない。
中学に上がった頃には、オレは、高校二年生になった彼女とはほとんど話さなくなっていた。
彼女がオレを避け始めたのか、オレが彼女を避け始めたのか、どっちだったかは覚えていない。だが、多分後者だったと思う。
しかし、それより、彼女がマンションから越して行ったのが大きいだろう。引っ越した先は、歩いてすぐの近所だったが、それでも、行動範囲の違いから顔を合わせなくなり、しばらくすると、顔を合わせても、お互い挨拶すらしなくなった。
それが久々に会話する事になったのは、オレが中学三年のときの事。道でたまたま出くわしたときのことだ。
その頃にはもうオレはシニアに入っていて、一番悪かった時期と比べれば、まだまともに人の話を聞くようになっていた。はず、だった。
「オレはもう、アンタのことなんて全然好きじゃありませんから」
何故だか、思わず、オレは唐突にそう言ってしまった。
彼女はただ、久しぶりだねと挨拶してくれただけだったのに。
泣きそうだった。オレが言ったにも関わらず、オレが。
「そっか」
急になに?と訊ねることもなく、オレをバカだと笑い飛ばすこともなく、彼女は納得するようなセリフを溜め息のように吐いた。
「それは、とても残念だ」
オレの言葉に続きを求めることなく、そうやって会話に終止符をうつと、彼女は一人、オレの隣をすり抜けて、目的の場所へと歩を進める。
振り返っても、もう背中しか見えない。
すれ違い様に聞こえた呼吸の音が耳に残り、頭に反響して。
ただ、半狂した。
「私は好きだよ」
その約二年後。久しぶりに顔を合わせた彼女は、唐突にそう言った。
オレに何も言わせまいとでも言うように、会ってすぐに、間髪入れずに。
今度はたまたま会ったわけではなかった。彼女はオレに会いに来ていた。
ここに。県営大宮公園球場に。
「慰めですか」
「違うよ」
今は帰りのバスに乗る直前で、バスの中からオレを呼ぶ声が聞こえる。
「あー、呼ばれてるんで」
「うん。そうみたいだね。じゃあね」
あっさりとオレを解放した彼女。本気なのかはさっぱりわからない。ぐるぐると回る思考回路。思い出すのは彼女の息遣い。
何度も同じ空気を吸って吐いているみたいに気持ちが悪い。酸素が足りない。
バスに乗り込み、倒れこむように座席に着くと、後ろに座っていた先輩に大丈夫かと声を掛けられた。緊張の糸が今更切れたのだと言い訳をして、左手でオレは真っ赤になっているであろう顔を隠す。
彼女は、こんな、同じ気持ちで愛の言葉を吐き出したのだろうか、あんなに淡々と。
オレが、ただ想うだけのことにこんなに酸素を使っているのを彼女はきっと知らない。
2011/03/03
二息歩行のイメージで書きました。あくまでもイメージです。
てかアフタが消えたせいで榛名の座席とかの確認がね、単行本読んでからきっと直します。