甘美な君の肉を食す

「名前さん、走ったらこけますよ。」
「大丈ーっのん!?」
「ほら、言わんこっちゃないです。」
「この靴、下ろしたばっかりだから慣れなくて…」
「ならなおさらです。」
「ちぇー」



一張羅のワンピースと下ろし立てのパンプス、髪はくくらず巻いて、普段校則に縛られて出来ないメイクも少し。なんともオンナノコらしいことをしてみた。柄にもなく。

テツヤさんの週末オフの知らせが届いたのはちょうど二日前のことだったから、準備時間はまるでなし。行く場所も、なにをするかもあやふやだったが、唯一テツヤさんから頼まれたのがお弁当だった。

結局、大して見ごろなものもないが植物園に来た私たちは人気のない園内を闊歩している。

休日にも関わらずこの人の少なさ、大丈夫なのか。色々と不安になる。



「名前さん、睡蓮…。」
「綺麗…。」



密林地帯のような一体を抜けると、温室園にも関わらず東屋があり、小さな池があった。まるで屋外のようだ。

こけそうになってから、ずっと握られていた手を引かれて東屋の中に腰を下ろす。



「ちょっと早いですけどお昼にしましょうか。」
「うん。」



テツヤさんが例のごとく紳士的にハンカチを敷いてくれた場所に腰を下ろして、用意してきた弁当を広げる。



「凄いですね。全部名前さんが作ったんですか?」
「うん、レシピはお母さんから聞いたりしたけど、全部自分で作ってみましたー。」
「食べていいですか?」
「あ、その前に。はい、お手拭。」
「ありがとうございます。」
「で、はい、お箸。」
「用意が周到ですね。」
「まあね。さて、いただきます。」
「いただきます。」



二段構えの重箱の上段にはおかず、下段にはおにぎりを詰めている。テツヤさんは食が細い方だから、それにも気を使って、飽きない様に甘いものも少し詰めておいた。

少しだけ弁当に手を付けてから、水筒の中の温かいお茶を淹れてテツヤさんへ。



「はあ…落ち着きますね…。」
「うん、そうだね。」
「お茶、とても美味しいです。玉露ですか?」
「うん、よく分かったね。」
「いつも家では番茶なので…久々に飲むと、やっぱり美味しく感じますね。」
「そうかな?気に入ってくれたのなら、よかった。」



それから池の睡蓮を眺めながらもくもくと口にご飯を詰めていく。

いつもより箸の進むスピードが速いテツヤさんを見ると、視線に気づかれて微笑まれた。



「どうかしたんですか?」
「ううん、沢山食べてくれてるから…無理とかしないでね?お腹痛くなるよ?」
「大丈夫です。この時のために昨日の晩から何も食べてこなかったんです。」
「ええっ。そんな不健康なことしたらダメだよ!スポーツマンなんだから、ね?規則的な生活とバランスの取れた食事、それと十分な休息、睡眠!…心配になるから、無茶だけはしないでね、」
「…そんなに、ボクのこと、気にしてくれていたんですか。」
「あ、当たり前だよ、だって…」



ここまで来て、突然次の言葉をテツヤさんに言うのかと思えば顔が熱くなった。

ストップした私の顔をテツヤさんは覗き込んで、ふふ、と笑う。



「も、な、なんで笑うの!」
「だって、可愛いんですもん。」
「か、かわ…いい、って、」



狼狽しながら恥ずかしさやら、ときめきやらで、顔を覗きこんできたテツヤさんの上目使いにさらに胸が締め付けられるように苦しくなる。



「名前さん、一つ、お願いしても…いいですか。」
「、なに。」
「あーん、して食べさせてくれませんか?」
「え、」
「ほら、唐揚げを。…ダメですか?」



首をかしげて最大級の要求オーラを漂わされる。これは…やってあげたくなる…!

何に臆しているのか、わずかに震える右手を叱咤して指定された唐揚げを箸先で摘みあげると、テツヤさんの口元にゆるりと運ぶ。

少し反動をつけて、それを口に含むとテツヤさんはそれを咀嚼してごくりと飲み込んだ。



「ありがとうございます。」
「う、うん…。」



顔を伏せて、スカートの裾を軽く握ると、すぐ顔の前に卵焼き。



「え…、」
「ボクにもさせてください、あーん。」
「え、あ…うう、うんむっ」



食べようか迷っていたら、問答無用で口に突っ込まれた。もちろん、想定外の事態に身体は付いて行けず咽る。



「ごほっげほげほっかはっ、」
「あ、すみません。なんだか突然加虐心が顔を出してきちゃいました。」
「も、なんで、」
「名前さんがボクを嫌いになるのは嫌なんですけど、なんというか、名前さんの嫌がる顔見たいって言いますか。」
「酷い…。」
「ボク、Sっ気があるみたいです。」
「冷静に分析しないでよ!」



握り箸で抗議の声を上げる。Sっ気があるのは分かっていたが、この突発的に出てくるのはいただけない。



「はい、お茶です。」
「…うん、」



未だに咽る私に、テツヤさんはお茶を差し出してくれた。それを一気に飲み干すと、一息。



「…というか、私が、」
「はい。」



走る感情に任せて口にした、その言葉を言うまいか迷ったけれど、きっとこれを言うとテツヤさんは喜ぶだろう。

なら、私の羞恥なんて、少しくらい我慢したって。



「…私が、テツヤさんを嫌うなんてこと、万に一つもないよ、」
「、名前さん。」



一呼吸置いてから、テツヤさんの手が私の肩をぐいと掴んだ。細い細いと思っていても、やっぱり男性の力。ふと加減されずに出されたであろう力は私の身には少しきつい。



「ボクも名前さんを、永久に…愛します。」



いつも何を考えているか分からない目には爛々とした光が灯り、愛を紡いだくちびるは、まだ何か言いたげに開閉する。しかしそれを言いよどみ、結局は閉口した。

苦しそうに、切なそうに、眉間に寄る皺が感情を表に出さない平常とのギャップを際立たせて私はただただ驚いた。



「…あり、がとう…」



こんなに愛されてるんだなぁ、としみじみ感じた植物園の昼食。





12/05/26


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