Far from it!


十二時くらいに終わるから、十二時半に図書館で待ち合わせね!

おれはつい先ほど別れた名前の言葉を何度も繰り返し繰り返し思い返した。しかしそれと同時に残念な気も立ち込める。名前を家まで送り届ければよかったと、いまさらになって悔やまれる。

おれの女関係は愛情が希薄だ。

女は性欲処理の人形と見てきたことから関係はプライベートな場所では一切持たなかった。適当なホテルか、あるいは相手の部屋か。場所は様々だったが最終的には自分から立ち去るのが主だった。女を目的地まで送り届けるという流れを経験したことがない。
名前を知りたいと思いながら、そのチャンスをみすみす逃した自分に腹が立っていた。

だが、それ以上に明日は名前と昼食を共にするのだ。その事実が嬉しくて堪らないおれはシュミレーションに徹する。場所はどこがいいだろうか、何を話せば、そうだ携帯電話の番号やメールアドレスも聞かなければ。いやその前に自分のことも知ってもらわなければ。しかし、それはあまりにも…怖い。名前は一般人で、虫も殺せないような弱々しい存在で、それに比べて毎日喧嘩三昧で稀に人を殺すおれを、どう知ってもらえばいい。不安に満たされながら考える。

考えて考えて、悩み抜いて、気が付けば朝だった。愕然とリビングの窓から外を眺める。

「ははっ…恋って怖ェな…。」

力よりも、ずっと。そう口の中で一人ごちて、重い腰を上げて風呂場へ向かう。熱い湯を浴びて頭を起こすと、いつもの黄色いパーカーの上に学ランを着込む。
おもむろに携帯電話を取り出すとアドレス帳を引き出し通話ボタンを押した。

【はいローさん。どうかしましたか。】
「ペンギン、聖女子ってのは何処だ。」
【…迎えにでも行くんですか?】
「まァな。」
【すげェお嬢様学校だから警備とか厳しいと思うんで、くれぐれも通報されないでくださいね。】
「予備知識ありがとよ。」
【じゃァ地図を送るので、それを確認してください。】
「頼む。」

通話を終えて数分も経たないうちに携帯電話がメールの受信を告げる。場所の確認を終えると、目を閉じて最後のイメージトレーニングを測る。次に目を開けると、時計は十一時半を指していた。
立ち上がり帽子、ポケットの携帯電話と財布、煙草、ジッポー、家の鍵を確認する。ただいつもと違うのは、今日携えた鍵は単車ではなく大型バイクであること。

「どっか特攻するわけでもねェが…戦いに行く気がするのはなんでか…。」

大事にしか出さないバイクに股がる。そう、これから名前と昼食を共にするのはおれにとってはまさに大事なのだ。耳に馴れた唸るエンジンと、滑らかに走り出すタイヤに身を委ねた。

名前の通う高校は高級住宅街の立ち並ぶ山の中間にあった。名前自身は山の麓に住んでいたために毎日ちょっとした登山気分を味わうことになる。雨の日も風の日も通い詰めたその道を、おれも速度こそ速いものの肌で感じている。時計を確認すると、十一時五十分。おそらく、もうあと五分あれば到着と言ったところで、家々の隙間から建物が見えてくる。自分の通う荒れ放題の男子校とは違う、隅々まで掃除が行き届いている。おれは珍しく場違いであるのではないかと、らしくない不安感に駆られる。正門に着くと、まだ授業中なのか吹き曝しのグラウンドにランニングをする生徒たちの声が響いている。

「受験生はもう授業にゃ関係ねェってことか…。」

と、中から一人二人と生徒が出てくる。どの生徒も本を片手に、一人、あるいは友人と話ながら歩いてくる。おれには比較的良い視力が備わっているため、名前を一瞬で判別する。三人組の向かって右端で身ぶり手振りを大袈裟に何かを訴えている。と、本を開いて隣の二人に何かを話している。次にはガッツポーズ。何がしたいのやら、と不思議に思いながら自分の所まで名前が辿り着くのを待つ。会話が聞こえる。

「catch up withの意味は!」
「追い付く!」
「ではkeep up withは?」
「待って、思い出す!」
「そこまで出かかってんの!」
「これ絶対に出るよ!ほにゃららup with熟語はちゃんとおさらいしとかなきゃ!」
「なんだっけ…。」
「catchのやつと意味近いんだよ、確か…。」
「「えーっと…」」
「ブーッ!時間切れ!答えは、ついて行く、でした!じゃあcome up withはどうだ!」
「「考え付くっ!」」
「正解!じゃあ次は…えええっ!」

名前の視界に正門前でバイクに凭れるおれの姿が映ったようだ。

「ちょっ、ええーっ!ごめん、人と話してくる。」
「人と話さなかったら何と話すのさ。」
「なになに、名前、こんな時期に彼氏!?」
「違うよ、ドジの恩人!」
「またなんかやったんか、あんた!」
「これ以上人様に迷惑かけるなよっ!」

十数メートルの距離を小走りに走る。

「どうしたの、ローくん!」
「なに、迎えにきただけだ。」
「悪いよ、もう来ちゃったものは仕方がないけど…。」
「おれが好きでやってんだ、お前が気に病むことじゃねェ。用事は終わったのか?」
「うん、講習があったの。それにしてもローくんに似合うバイクだね…。ソークール!」
「嬉しいこと言ってくれるお前に、今日は昼飯奢ってやる。乗れ。」
「ええっ、いいの?そんくらいで?なら私もっと誉めるよ?」

名前は厚意を無下にする奥ゆかしさは無かったので、無邪気に笑いながらヘルメットを受けとる。悪く言えば無遠慮なのだが。

「名前、またねーっ!」
「バイバーイ!」
「おーう!また講習でー!」

正門を出た友人たちがいやらしい目付きをしながら名前に別れを告げる。軽く跳ねて、三つ編みを揺らしながら手を振る。

「連れか?」
「うん、いい子たちなの!あ、鞄どうすればいいかな。」
「抱えとけ。」
「おけーい。さてっと、どうやって乗ろうかな…横にしたら鞄が怖いし、普通に乗ったらスカートしわしわになるし…。」
「普通に乗れ。」
「だよね、安全性も保証されるし…。」

本来は名前に腰に手を回させて抱き付く形に持っていきたかっただけなのだが、名前は別の解釈をする。大人しくスカートを気にしながら後ろを陣取りおれの肩に手をのせる。

「あー、名前?」
「ん?」
「手、腰の方に回せ。」
「あ、肩凝る?ごめんごめん。」

またしても別の解釈をする名前に内心焦燥感を抱きつつ、バイクを発進させる。
想像以上の力で抱き付かれたのに苦しみを覚える一方で、おれは背中に当たる感触に笑みを湛えた。



11/11/10