Love makes a terror.


おれは機嫌が悪かった。
行き付けのクラブには暴れた形跡が色濃く残されている。珍しく肩で息をしたおれは店のオーナーに詫びを入れている。

「悪かったな、ドレーク屋。勿論修繕費はこっちが持つ。こいつらが懇願してるから出禁は遠慮したい。」
「確かに暴れたのはお前らだが悪いのは相手だろう。修繕費は有り難く貰っておくが必要以上に咎めはしない。」
「…お前ら、行くぞ。」

部下には幹部が身を呈して挑んだからか、負傷者はごく少数なもので済んだ。一方で五十人弱の相手側は全員が伸されている。先日伸したリーダー格の男は顔の造りが完全に崩壊した状態でフロアに伏している。目はただの窪みと化し、潰れた鼻、無くなった上唇から歯がもろに露出している。砕けた頭蓋骨から桜色の中身が見え隠れする。ただの骨と肉塊と化している。

「おい、あとの奴らはなんとかするがこれだけは処理してくれ。」
「うちの奴を呼んである。すぐに片す。」
「そうか。ならいい。」

潰れた顔の上をさらに踏み潰しながら通過する。地下から出ると、夕暮れの空が広がっている。視線を背後へ移し、引き連れた部下を見回す。酷い負傷者はいない、いないのだ。

「ローさん、」
「あ?」
「あの…すみません、何か取り込み中だったんですよね。」
「気にするな。」

電話をしてきたペンギンが綺麗に礼をしながら謝罪した。ローはペンギンの肩に手をのせ、顔を上げろとジェスチャーする。
ポケットから煙草を取り出すと、横から百円ライターの火が翳される。顔に湿布やら絆創膏やらを貼った幹部だった。先端に点火し、吸い上げる。

「ローさん、すいませんした。」
「いいや。シャチ、お前はよくやった。」
「でもローさんがいなけりゃヤバかった。」
「済んだ話だ。おれは帰る。適当に解散しろ。」
「お疲れ様でした。」

散り散りにそれぞれの道を歩いていく部下たちを見送りながら、脇に停車させていた単車に腰掛け、エンジンを吹かしながら肺へと目一杯煙を送り込む。長く吐き出した紫煙は、空に溶けていく。

確かにを怒りを感じていた。過ぎてしまったことは仕方がないのは分かっているが、どうにも割り切れない。悔しいのだ。奇襲された事実もさることながら、折角名前と時間を共有できると、話ができると思ったのに、と。その後ひどく落胆した自分がいる。
灰を道端へ落としておれはじっくり考え込む。幹部の二人はじっと動かない。気が付くと口が勝手に動いていた。

「なあペンギン。」
「はい。」
「おれに女っているか。」
「…一回限りの女ならごまんといますけど。」
「だなァ。」
「あの、ローさん。」
「あ?」
「それって恋なんじゃないっすか?ローさん、恋してんじゃないすかね?」

シャチが呟くように吐き出した言葉に目が丸くなる。灰がぽとりと落ちる。おれは思考を巡らせた。もしかして、もしかするかもしれない。ほぼ初対面にも関わらず名前を求める自分がいた。食事に誘われて浮かれる自分がいた。喧嘩よりも名前を優先したいと思った自分がいた。机に向かう彼女を慈しむ自分がいた。

さすがは側近、と自分でも驚きを隠せなかった。様子と発言だけで何かを見抜かれてしまい、挙げ句症状の原因をも解明されてしまったとは。

「…ローさんの春か…。」

今度はペンギンがぼそり。

「どんな子なんすか!」
「どこの女ですか。」
「セクシーですか、キュートですか!」
「幾つぐらいなんですか。」
「落ち着け。」

自分自身の脳内整理も踏まえて名前という一般人女子高生の情報を思い返してみる。

「地味な女。聖女子の高三で受験生。図書館におそらくほぼ毎日通い詰めてる。」
「「え。」」
「なんだ。」
「いやあ、ローさんの女遍歴を考えれば驚きを隠せなかったんですよ。」
「そうだな。三つ編みに眼鏡だからな。しかもスカート丈膝下。」
「信じらんねェ…。」
「何が良かったんすか?処女臭立ち込めてきた。」
「シャチ、次あいつの話で下品な話振ったら幹部落ちさせるぞ。」
「す、いません。」
「ローさんの機嫌損ねるなバカシャチ。」

ごちんと頭を殴打されたシャチは前のめりになって痛みに耐えながら謝罪する。おれはそれを一瞥し、顎に手を当てる。

「そうだな…何が良かったって…。あいつと話してたら電気が走ったんだよ。あいつしか目に入らなくなった。」
「運命の出会いっすね!」
「いまさら機嫌取りは止めろ。」
「ペンギンうっせ!」

仲のいい幹部の二人は小さく口論し、おれは上の空で吸い終えて短くなった煙草を地面に放る。反射的にペンギンが足で揉み消す。

「帰る。」
「おつかれっした!」
「お疲れ様です。」

適当に相槌を打って発進させる。
いつもの帰り道、そう言えば昨日この時間帯に名前に会ったのだったと気付く。そして昼の出来事を思い返しては悔いずにはいられない。治安の悪い地域を抜けて、住宅街、商店街そしてまた住宅街。あの図書館が見えてくる。

「っ、」

それを視界に入れた瞬間、おれの脳は少しのパニックに見舞われた。まさに、目の前では昨日と同じシーンが繰り広げられているのだ。

「おいっ、」

単車を停め、すかさず落とし物を拾う。今日は鞄につけていたマスコット。振り返った名前の顔には疲労と驚嘆が滲み出ている。

「あ…ローくん。今帰り?」
「あァ…またなんか落としたぞ。」
「えっ。あっちゃー…、気を付けてたつもりなんだけど…」
「ちゃんとしろ。」
「以後気を付けます!」

右手で敬礼する名前に、おれは額を小突いた。マスコットを手渡しながら世間話と洒落込む。

「昼間は悪かったな。」
「大事な用事だったんでしょ?仕方ないよ!でも残念だったな…。」
「何が。」
「今日のランチセット、カルボナーラパスタだったの!美味しいから食べてもらいたかったよ…。」
「そ、んなしょげんな。」
「だって…。」

おれは内心どぎまぎしていた。こんなクリーンな人間と話をしたのはいつ振りだろうか、可笑しな受け答えをしていないだろうか。不安が込み上げる一方で、もっと名前を知りたいと切望している自分もいる。乾燥した空気で乾いた唇を湿らせながら、名前に提案する。

「昼の詫びだ。晩飯、一緒にどうだ。」

天明を待つ思いで名前の返答を待つ。

「ごめん、明日学校行かなくちゃならなくて…だから今日は無理かな…。」

その答えに今まで経験したことのない落胆を感じる。相当気分が沈んでいると自覚しながら、平静を保とうとする。

「でもお昼までだから、明日こそ一緒にお昼どうかな?」
「よし、明日の昼だな。」

おれの心は一瞬にして浮き立った。
こんなことで一喜一憂するなんて、な。



11/11/9