A good girl and a bad boy


気が付けば、自宅のリビングで熟睡していた。壁掛け時計は十時半を指している。昨晩の記憶を必死に呼び覚まそうとする。

「あー…」

浴びるほど飲んだことを思い出した。よくよく周囲を見渡せば、缶チューハイやらビールやらの空き缶が転がっている。
立ち上がると、真っ直ぐ風呂場へ向かう。頭から熱い湯を被ると、目が冴えてくる。やけに女子高生の後ろ姿が脳裏でちらりちらりと現れたり隠れたりを繰り返している。誰かと思い出せば、そうだ昨日の、と靄が晴れる。

と、突然思考にとんでもない考えが浮かんだ。今図書館へ行けば会えるのではないか、と。昨日の会話で彼女がほぼ毎日あそこへ通いつめていることは分かっている。会って何をするか、まったく検討もつかないが、とにかく会いたい。会いたい衝動が爆発寸前までおれの心拍数を上げる。会って、何でもいい、話をしてみたい。学ランに腕を通して、お気に入りの帽子を忘れずに彼は家を出た。
マンションを後にして、ガソリンを満タンに補給した単車に跨がる。ポケットから煙草を取り出して白熊が彫ってあるジッポーで点火。一服しながらおれの思考はいつの間にか彼女で埋め尽くされていた。図書館まで、家から五分と掛からない。肺一杯まで吸い上げて、ゆっくり紫煙を吐き出した。


館内は暖房が利いていて閉め切られているせいか、空気が悪い。時計は十一時を指している。
おれは机の置いてありそうな場所に目星をつけると、手当たり次第に探していく。

ところが見当たらない。午前中であるせいか、人も疎らであるにも関わらずだ。窓際の席を一通り回り、思い当たる場所は全て通過した。探す。
階段を上がる。西洋文学書がずらりと並んだ棚がひしめき合った、奥まった場所に人影が見えた。到底、人が見つけられないような。真剣に机に向かっている、制服姿の女子高生。
声を掛けそうになったが、慌てて言葉を喉の奥に引っ込めた。あの集中力を途切らせてしまっていいのだろうかと躊躇われた。らしくない、と自嘲気味に笑う。彼女が集中力を切らすその時まで、待つことにしよう。


静寂の中に、紙の擦れる音と筆を走らせる音だけが響く。そう言えば、とおれは女子高生の見える位置に構えてある椅子に腰掛けながら考えた。おれは何時からまともに勉強というものをしなくなったんだろう、と。何をやらせても人並み以上、興味があれば達人の域まで徹底的に物事を追求する性格は非行の道を選んでしまったわけだが、かつては神童と呼ばれていたのだ。

記憶を掘り起こす。

もう中学生になる頃には喧嘩で負けたことがなかった。病院送りにした人間は数知れず、死んだ人間もいる。その度に実家の死体処理班が動く。そんなおれの明らかな欠点、頭に血が上ると自分の制御が利かなくなることだ。それの後始末は部下か、あるいは実家の人間がやってくれる。その後はしばらく記憶が飛ぶ。大体気が付けばこの一人暮らしにしては立派すぎるマンションのリビングで目が覚める。高校に上がってから一度だけあったが、部下に聞くと口を閉ざした。記憶が飛ぶのは厄介この上ないと自嘲する。

近くにあった本棚に視線を這わせた。適当な本を一冊手に取り座り読み始める。パラパラと捲る。同じ女性の名前が何度も何度も出てくる。愛しくて仕方がないと言わんばかりに。

「こんにちは。」
「あ…おう。」
「読書中にすみません。昨日はありがとうございました。あの、いつもここに?」
「いや…家が近いからな。時々。」
「そうなんですか、今まで無視してたんじゃないかと思ったら申し訳なくて。」
「たまたま見掛けたんだが、おれが集中力切らすのも忍びなくてな。」
「お気遣い、ありがとうございます。……じゃあ、私はこれで…。」
「、おいっ」
「はい?」

大きな荷物は置いたままになっていることから、少しだけ席をはずすのだということが分かったおれは、時間を考慮して声をかける。

「昼飯か?」
「はい。」
「おれも…まだなんだが、」
「近所のイタリアンレストランに行くんです。母がホールのパートをしているもので…。そこで宜しいならご一緒しますか?」
「構わねェ。お前、荷物いいのか?」
「はい、教科書やら参考書が詰まった汚い鞄を盗もうとする人がいないと祈りながら放置して行きます。」

快活に笑いながら女子高生は制服を翻しながら階段を降りる。おれもそれに続いた。

「あ、私名前です。苗字名前。よろしくお願いします。」
「ローだ。」
「ローさん…。」
「お前、」
「はい?」
「おれはお前より一つ下だ。」
「そうなんですか!?大人びてるから分からなかったです!」
「だから敬語やめろ。あとさんとか付けるな。」
「嫌ですか?」
「嫌だ。」
「…分かった。ところで、ロー…くんは、学校は?」
「あー…」

おれの目が泳いだ。名前がその瞳を覗き込む。階段をあと四段残しておれの足は止まった。
言ってしまえば軽蔑されるのは明白。今までの経験が物を言う。だから、躊躇った。無垢な女子高生を錆色に染めるようで。
この一般人の女子高生に、自分のしてきたこと、やっていることを言えば確実に怖がるのは目に見えている。おれは考えた。

「言いたくないなら、言わなくていいや。変な質問してごめんね。」

解答を導き出す前におれの思考は寸断された。名前は、複雑に笑いながら鞄を担ぎ直す。

「変な空気にしちゃった。ごめんね、本当に。悪気は無かったのだけは分かって!」

女はよく喋る生き物だが、ここまで素直に喋る女は見たことがなかった。快活、まさに光。さらには場の小さな空気の異変にも気付く。結局のところ、誇張されたようにも聞こえるがおれは名前に救われたのだ。
次に見たのは笑顔だった。おれの中の時が止まり、全身にびりびりと甘い痺れが走る。脳髄に浸透する感覚に言葉を無くす。
しかし時間は残酷にも進み出す。ポケットの携帯電話が腹心の部下の着信音を奏でる。

「悪いな。」
「どうぞどうぞ。」

許可を得ておれは通話ボタンを押した。

「ペンギンか?」
【すいませんローさん、やられました…!】
「なにがあった。」
【昨日の奴が仲間引き連れて…!】
「今何処だ、被害状況は?」
【いつものクラブです、シャチが仕切ってますけど何時まで持つか…。】
「すぐ行く。待っとけ。」

ブチりと切って、視線を名前へ。疑問符を浮かべるように首をかしげ、ぽかりとした顔に謝罪を述べる。

「…悪い、急用だ。またの機会に頼む。」
「うん、なんだか大変そうだね。頑張れ!」
「…あァ。」

おれは名前を一瞥し、急ぎ足で図書館を後にした。



11/11/9