マリオネットの靴


そんなわけで、翌朝片したばかりの部屋のベッドの上で目が覚めたわけだが、騒がしい。
というか、部屋の向こうの騒がしさに叩き起こされた。気だるい身体をごろごろとベッドの上で動かして、いつもの習慣で目覚めろと暗示をかける。そこで扉から三回ノック音。



「咲、起きてる?開けていい?」
「ベポさん…?どうぞ、」



返事をしたら扉が開いた。人と対面するのだから明瞭な視界でないといけないと、傍らの眼鏡を取りあげて掛けた。そこには昨日と同じ、喋って二足歩行する白い熊ことベポさんがベッドの上で胡座をかく私に歩み寄ってくる。



「おはよう、咲!」
「おはようございます…。」
「まだ眠そうだね…。」
「すみません、起床時刻が決まってましたか?」
「ううん。基本的にみんな仕事があったら起きなきゃって感じだから、仕事なかったらいつまで寝てても平気ー。キャプテンなんて徹夜ばっかりして、朝御飯が晩御飯だったりするんだよ!」
「医者の不養生とはよく言ったものですね。」



寝起きの笑顔は最も醜い顔だと私は思うが、頬の筋肉が勝手に仕事をするので仕方なく笑んでみる。
ベポさんも愛らしく笑って、そうだ、と手を叩いた。人間の皮膚の乾いた音でなく、肉球のある動物(失礼か?)ならではのばふっと可愛げのある音がした。



「島に着いたよ!」
「そうですか…。」
「え、嬉しくないの?」
「嬉しいものなんですか?」
「当然だよ!」
「そんなものですか…。それで、私はどうすれば?」
「キャプテンが呼んでるよ、お出で!」
「わざわざ呼びに来てくださったんですか、ありがとうございます。」



頭を下げて感謝を述べる。



「そんな、顔上げてよっ!おれ達もう他人じゃないんだから!」
「え…」



他人じゃないのか。ではなんだというのだ。生憎私は出会って半日経ったばかりの人間に対して友人と呼ぶことは出来ない。



「仲間だよ、おれ達は!」



まただ。仲間って、なんなんだろう。昨日シャチさんも言ってたけど、同じつなぎを着ているから仲間なのだろうか。仲間の概念が分からない。昨日の格好のまま寝ていた私は、気分転換に深呼吸して肺の中を一斉に掃除させた。すると呆れたと捉えられたのか、ベポさんが心配そうに眉間に皺を寄せる。



「では、行きましょうか。」



今度は、笑顔で応えた。ベポさんも不安そうだが、徐々に笑顔を作ってうん、と頷いた。



甲板に出たときには既に下船が始まっていて、申し訳ない気持ちが沸いてくる。



「ロー船長、おはようございます。遅くなりまして申し訳ありません。」



斜め四十五度に綺麗に礼をして(したつもり)、朝の挨拶。ロー船長は甲板の柵に長刀を携え、凭れていて、欠伸を噛み殺した。隈が昨日より酷くなったような気がする。



「…はよ。」
「キャプテン、寝付いた瞬間に起こされて機嫌が悪いんだ。」
「左様で…。」
「咲、来い。」
「はい。」



まるで犬のように呼ばれて、ロー船長の正面へ出た。ここでは皆、初対面で名前を呼び捨てにするようだ。なんというか、やはり新鮮に感じる。



「そのつなぎの下がそういうことになってんのを知ってんのはおれだけだ。」
「は、はあ…。」
「買い物はおれが付いていく。」
「はい。よろしくお願いします。」



二つの発言がどうイコールで結び付いてロー船長が私の衣類の買い出しに同行するのか分からないが、とにかく付いてくると言うし、断る理由もない。何を見られても構わないし、月のものもまだだからトランクスのままでも正直問題ない。元の世界でもブラジャー付けてない時の方が長かった。私としては特に私の衣類に構ってもらわなくていいのだが。
靴がないということで、ベポさんに俵担ぎにされて下船。快適だが、一つ文句を言うとしたら眼鏡がずれる。



「まず靴だな…。」
「そうですね。」
「靴屋さん、あそこじゃない?」



ベポさんが指を指した方へ目を向けると、ハイヒールの形をした看板が掲げられている店。ショーウィンドウ越しに見ると、レディースの靴が所狭しと並んでいる。ベポさんがどう?と私に尋ねてくる。どう、と言われても困る。返答に迷っていると、ロー船長は迷いなく中へ。ベポさんも追いかけるようにして入店した。中には綺麗なお姉さんが沢山いた。店内がざわつく。そりゃ、白い熊が人間を担いでいるなんて光景を見たら驚きもするだろう。私を近くの椅子に下ろすと、ロー船長は半分寝た様な状態で尋ねてきた。



「お前、サイズは。」
「二十六センチです。」
「…男だろ。」
「足だけ立派なんです。」
「仕方ねェ…二十六の、あるか。」
「二十六センチは流石に…。」
「すみません。」
「お力になれなくて…。」



うなじに手を当てながらロー船長は店員のお姉さんに話を振るが、返答は残念なものだった。…しかし店員さんたち多すぎないか。他のお客さんもいるのにこちらに付きっきりで他には目もくれない。無性に恐怖心を煽られる。どの人も目がビー玉みたいに輝いている。

そうしていると、ロー船長は店の出入り口へ向かっていく。ベポさんが慌てて私を担ぎあげて、彼の背中を追いかける。背後の店内から溜息とマイナスなオーラを感じた。

まだ港から見ると街の入口になる。街の中心街へ向かって歩いている彼に追いついて、ベポさんが斜め後ろに付くのを見ると忠犬を連想する。ここぞとばかりに私はロー船長へ訴えかけた。



「ロー船長、私スニーカーで十分です。いつもメンズのスニーカー履いてましたから。下駄とか。」
「お前はもう少し女だっていう自覚を持った方がいい。」
「お、んな」



理解しかねる。女だから、なんなのだろう。素朴な疑問に思案に暮れていると、ロー船長が不機嫌に言い放つ。



「ヒールの、履け。」
「生憎、ヒールの付いた靴を人生で一度も履いたことがありません。痛そうですし、なにより入るサイズのがないので。外反母趾なんですよ。」
「おれの視界に入る女が萎える恰好してんじゃねェ。」



非常に困った。難題だ。一応彼に身柄を拘束(?)され、先の言葉には矛盾しているが養われている以上、逆らうことはできない。それにこれは私の買い物であって彼の買い物でもある。私は一銭も出さない、いや出せないのだから。だから私は彼に従う必要があると思う。つまり、私は口を出さず、彼に全て委ねてしまえばいいんだ。口出しは厳禁、これはスマートな答えだ。



「私は何でもいいんです…ロー船長がお決めになってください。」
「お前の買い物だろうが。面倒くさがってんじゃねェよ。」
「面倒といいますか、そんなに服とか衣類を気にしないので、何でもいいんです。むしろ衣類に関して言うなら、機能性重視型なので…。その点このつなぎは動きやすいので好きです。」
「…。」



突然ロー船長は立ち止まって、顎に手を当てて私を凝視した。居心地が大層悪い。なにかしただろうか。と、ある瞬間を境に無表情から突如としてニヒルな笑みを浮かべて私を指差した。



「お前を改造する。」
「…はい?」
「お前の全部、ひっくり返してやる。」
「え?」
「いいか、お前の精神構造がどうなっているかは知らねェが、欲が無さすぎる。人間として備わってる三大欲すらあるのか疑わしい。お前は女だろ?それなら女としての喜びをもっと噛み締めるべきだ。男になりてェってんなら別の話だが。」



この人は、つい半日前に出合った怪しげな異世界から来た女になにを言っているんだろう。しかし彼が彼の力を持って私を拘束し、尚且つ命令するというのなら、受け入れるしかあるまい。私は強大な力には賢く立ち回る質なのだ。



「ロー船長のお気に召すままになさってください。」



私の言葉に、一瞬目を見開いて、そうして苦虫を噛み潰したような顔。なにか、気に障ることをしただろうか。




11/11/1


  
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