マグロの遠洋漁業


皆そうだと思うが、私もその類に洩れず自分本位に生きている。
そして、これは昔から。私は何事も受け入れて、受け身に生きている。

それから多分、人よりも人に触れるのが嫌いだ。精神的に近づくのは構わないが、物理的に身体的に触れられるのを嫌う。そんなに自分が頼りないと思ってはいないし、日常的に自分に不安を感じていたりもしていないから、多少付き合い悪く生きていても問題はなかった。

この世界は普通の若者に優しい。
大抵のことが許されるし、若者だから、と半分軽蔑を込めて見られる。ただ歳を重ねただけなのに人から軽視されなくなるのも不思議なものだが、私は壁を作りつつも上手く社会に溶け込んで生きている。むしろ私は優等生の部類に属するだろう。

物事を冷静に見て分析し、自分が置かれている状況を客観的に見て判断を下すのは、もはや履歴書の特技や長所を埋めるのになんら違和感がなくなっていた。先も言ったが、それによって付き合いが悪くなったりノリが悪いと自分で感じたことは日常茶飯事であったが、それも許容範囲内であった。

しかし、それが通用するのは平和国家や慣れた環境で暮らしてきたことが根底になければ出来上がらない状況であって、要するに、簡潔に言ってしまえば私は今それらから逸脱した状況に身を置いているという事である。



「能力者だろう、海に投げてみろ。」



経緯はよく分からないが、気が付けば私は船の上にいた。一番初めに遭遇した場面では、そこには同じつなぎを着た男の人ばかりがいて、口々に私に発言をしてくる。
そうした状況下で次に気が付いたことは、自分はパジャマ姿で、両手首を背面に縛り上げられていて、足は両足首を束ねるようにして縄が巻き付けてあったことだ。そこでようやく先から耳に入っていた喧噪の意味を理解する。どうやら私は不審者扱いをされていて、なにやら理由は分からないが海に私を放り込むことによって私がA級の不審者かB級の不審者か確認しようとしているようだ。しかし、この手足の自由が利かない状態で海に投げ込まれたら誰だって沈まざるを得ないと思う。そうしていたら、PENGUINの文字が目立つ帽子を目深にかぶった

一人が進み出てきて、私の縄を解いた。ハイセンス過ぎてナンセンスに思う。その帽子を見つめていたら、手足の自由が利くようになっていた。が、お礼でも述べようかと声を出す前に背中を勢いよく蹴っ飛ばされた。蛙の鳴き声のような奇声を上げて、私の身体は海へとダイブした。私の意図とせずに。しかし私は決してカナヅチではない。ザブンと音を立てて私の身が硬い水面にぶつかって、そして中へと飲み込まれた。船体が目に入る。どうやら船でなく潜水艇のようである。大きなスクリューが目に入る。顔面を強打したが無事である。水上へと浮き上がるために少しばかり足に力を入れて、水面に顔を出した。もしかしたら、これは眼鏡が塩で汚れて視界が不明瞭になるパターンか。



「能力者ではなさそうだな。」



上から声がした。太陽の逆光の中に佇んでいるためにシルエットしか視認できないが、私はなんとなくこの人物がこの船の責任者であると感づいた。浮き輪を投げ込まれてそれにしがみ付くと引き上げられた。

どうやら何かの疑いは晴れたようだ。フラフラするが、グッと耐えて足に力を入れて立ち上がり、聞こえない様に息を深く吐いて、あの声の主を見上げる。周囲の統一されたつなぎではない、一人明らかに特別な存在であるオーラが放たれている。特徴的な帽子、黄色のパーカーに淡い色のジーンズ、ヒールのある靴。そして何日寝てないのか物凄い隈に腕から指に掛けてのタトゥー。



「お前、何者だ。」
「学生をしております。月島咲と申します。」
「…ここは海のど真ん中で船の上だが、どうやってここへ来た。」
「分かりかねます。」
「お前はこの船に粒子レベルから成り立つっつーおっかなびっくりな登場をしたわけだが、それについて記憶は?」
「申し訳ありませんが最後の記憶は寝室の部屋の木目を数えていたことです。そしてお言葉の意味がよく理解できません。粒子とはどういう意味でしょうか。」
「まんまだ、まず骨の粒子が何処からか集合してきて、骨格、そうして筋肉、神経、内臓、皮膚、それから服やら眼鏡も。」
「…さぞかし気色の悪い光景でしたでしょうね、申し訳ないです。」
「ああ、しかし興味深いものだった。」
「珍しいでしょうしね、人体の不思議展でも見に行ったみたいに。ところで、貴方方は私を救ってくださった恩人のようですのでお礼を言いたいと思います。ありがとうございます。」



そろそろ眼鏡に乾いた塩が付着して視界を妨げる。それを鬱陶しく感じながら、責任者の方へ頭を下げた。
そういえば、責任者がこんなラフな格好をして潜水艦持ってて、その潜水艦も黄色で派手で、美しい海。日本らしからぬ、常識を逸脱した出来事が何故か心配事になり、胸のしこりになっている。ゆっくりと顔を上げる。そうして、この際私がどんな気色の悪い現れ方をしたかの真偽を問うことについてはさて置いて、一番聞きたいことを聞く。



「ところでお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか。」
「構わねェ。」
「ここは何処なのでしょうか。海のど真ん中とお伺いしましたが。」
「ここはグランドライン、前半も三分の二入口ってところか。」
「は、はあ…」
「何故眉間に皺を寄せる。」
「いえ、あの、グランドラインとはどこの海域でしょうか。太平洋、大西洋、七つの海のどこに属するのでしょうか。とにかく私に突如として瞬間移動の超能力が付いてしまったのだとすれば、大使館に駆け込んで理由を話して日本へ帰国させていただかないといけません。貴方方は日本語が通じるようで…日本人の方ですか?マグロの遠洋漁業でもなさっているんでしょうか?」



常識を逸脱しながらも私の思考容量キャパシティギリギリまで考え付く例を挙げてみた。しかし、聞こえてきたのは同意の声でなく、吹き出す音。



「ぶっ…くっ、くくく…」
「キャプ、テンっ…おれたち笑い死にしちまっ、げほっ」
「お、れだって…」



船上の十人強の人間が一斉に笑い出した。腹を抱えて笑っている。私はなにか可笑しな発言をしただろうか。まあ、笑ってくれるのならいいけれど。



「お前っ…マグロって…!」



どうやらマグロがツボに入ったらしい。しばらく待って呼吸を整え終えたら長い息を吐きながら責任者の方が口を開いた。



「残念だが、マグロの遠洋漁業をしてるわけじゃねェ。」
「そうですよね、潜水艇でマグロの遠洋漁業というのは聞いたことがありませんし…。」
「遠洋漁業から離れろ。おれたちは海賊だ。」
「…海賊?」



思い浮かんだのは、某海賊映画や最近インド洋付近で問題になっている海賊、昔瀬戸内海付近で暴れていた海賊。しかしながら、どう見てもそうは見えない。



「海賊とは、具体的に何をなさるんでしょうか。」
「海賊を知らねェか。」
「イメージとして、略奪行為をしたり、敵船と戦闘をしたり、宝物を探したりする無法者の集まり…なんですが。」
「間違っちゃいないが、付け加える要素がもう一つあるな。」
「なんでしょうか?」
「ワンピースを見つけて海賊王になる。」
「…ワンピ…?海賊王?」
「お前、知らないのか?…ああ、さっきも意味の分からない事言ってたしな…マグロの前に。いいか、教えてやる。グランドラインってのはそれ自体が海域だ。あと気になるワードは大使館、日本だな。それはなんだ。」
「…日本をご存じないんですか?ジャパン、ジャッポネーゼ、ヤポンなどとも言われます。」
「国なのか?」
「…はい。」
「なら大使館ってのは?」
「大雑把に言わせていただくと、国内にあって国外…そんな地域です。」
「なるほど、他国にあってそこは日本という国ってわけか。」
「その通りです。」



だんだん雲行きが怪しくなってきた。日本や大使館を知らないこと、グランドラインなる海があって…なんだか違う世界みたいだと思った。



「まァ、グランドラインをここまで航海してきたわけだが、確かに目を疑うことが多々あった。今更驚くか?今聞いてみたことをパズルにして当て嵌めていってみろ、答えは出てる。お前はどうやら、おれたちから見て異世界の住人らしい。ま、頭沸いてるならどうしようもねェが、あんな現れ方されたらこっちがそれを疑う。」



確かに、それしか考えはない。私は異世界説に賛成だ。寝ている間にどういったわけか、ここまで。なるほどと頷いていると、先よりも距離を縮めた船長が私を見下ろしてきて言った。

「ところで、人体の不思議展ってのはなんだ。」




11/10/31


  
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