生きている事が命


あっという間に五日目の朝が来た。クルーたちは停泊の間夜な夜な酒場へと繰り出しては深夜に帰ってくる者もいれば、朝きつい香水の香りを纏って帰ってくる者もいた。しかしその間もあまりロー船長を見かけることはなかった。隣の部屋にいるのは確かなのだが、食事時にも部屋から出てこない。
流石に心配になった私は食堂でクルーたちと談笑するベポさんたちに聞いてみた。



「そう言えばキャプテン、珍しいなー。」
「いつもは飲みに出るのにな。」
「ま、何かに没頭するのと停泊の時期がかぶったんだろ。」
「そうだな、いつものことか。」
「咲、気にしなくても大丈夫だよ。」
「そうですか。…あの、今日靴を取りに行くんですが、どうすればいいですか?」
「ならおれと行こう!」
「すみません、よろしくお願いします。」



この五日間でたいぶクルーたちと随分打ち解けたと思う。人見知りの私が、よくこれだけの短時間で他人と話せるようになったものだ。関心しながら、もう見納めになるであろう街の風景を目に焼き付けておく。



「ごめんください。」
「ああ、やっと来たか。」
「頼んでおいたもの、出来ていますでしょうか。」
「ああ、もちろんだ。兄さんは?」
「なにか夢中になることが出来たようで、自室から出てこないんです…。」
「そうか、それは残念。じゃ、お代はもう頂いてるからどうぞお納めください。」
「ありがとうございます。」
「履いて行くかい?」
「あ…はい。」



いつもなら持って帰りますと拒否するところだが、何故かその時だけ嫌に頭が働いて、靴職人のおじさんにとって靴は私が履いてこそ完成する物なのではないかと思えた。すると履かなければならないという感情に駆られ、二つ返事で履くことを了承した。
つなぎと合わせると不釣り合いな、黒の艶々した靴だったが、しっくりくる。前に履いたどんな靴よりも、私の足の一部になったかのような感覚に驚きを隠せない。ヒールを履いているという事実さえも隠してしまうような履き心地の良さに感嘆を漏らすとおじさんは今までになく嬉しそうに笑った。



「そうか、馴染むか。」
「はい。とても。」
「残りのも試してくれ。」
「はい。」



もう一つの高い靴とブーツも履いて、どれもこれも足にぴったりであるのを確認して改めてお礼を言う。出航の時間もあるので長居もよくないと、ベポさんと共に店を出る。店先までおじさんは見送ってくれて、深々と礼をして背を向けた。黒のパンプスを履いて。



「怖いくらいに。私の足みたいです。」
「よかったね、咲!」
「はい、」



歩くたびにかつんこつんと音をたてる。ロー船長もそう言えばヒールの革靴を履いてらしたから、この音とは違うけれど音が聞こえたっけ。もう五日もまともに会っていないと忘れてしまう。
同じ道を歩いているはずなのに、視線が高いせいでまた新鮮味が増した。



「うわっ、足だけ魔性!」
「なんですか、それ。」
「咲って脚だけは綺麗だよな。」
「ありがとうございます。」
「シャチ、あんまりそういう発言はするな。仮にも女だ。」
「仮にもって、仮も何も正真正銘女ですけれど、私。」
「ペンギンっておれ以上に失礼な奴だと思う。」



これを談笑、というのだろう。この腹の底から沸き立つ高揚感は楽しいという感情か。



「咲、キャプテンに見せて来なよ!」
「そうですね、支払ったご本人が商品を見ないでいてはいけませんね。」



すでに慣れた自室への道を進んでいく。自室よりも奥が、ロー船長の本まみれの部屋だ。
扉の前に立ってノックする。一、二、三。



「咲です、ロー船長いまよろしいですか。」



自分の苗字でなく名前を名乗るようになったのも、私の中では大きな変化だ。一呼吸置いたら、中から静かに入室許可が出た。扉を開くと、以前より雑然とした部屋が広がる。ぬらりと奥の扉から影が出てくる。



「なんだ。」
「お久しぶりです。靴を取りに行ってきましたからロー船長にも見て頂こうと思ってお伺いしました。」
「あァ…よく出来てるじゃねェか。」
「はい、まるで自分の足みたいで。ヒールがあるだなんて感じさせてくれません。」
「そうか。後のやつも取って来たか。」
「はい。どれもこれもぴったりです。ありがとうございました。」
「ならつなぎは卒業だ。とっとと適当な服着て来い。あと、もう出航の時間だ。次の島まであとどれぐらいかかるかも知らなねェ。土にお別れしとけ。」
「はい。」



すぐに部屋から出ていくつもりだったが、何故か身体が縫い付けられたようにそこから動かない。動きたくないから動かないのか、何か見えない他の意思によって動作が遮られているのか分からないが、動けない。



「どうした。」
「…分かりません。身体が動かないんです。」
「そうだろうな。」
「どうしてですか。」
「お前に殺気を当てているからだ。」
「どうしてですか。」
「殺したいわけじゃねェ。」
「なら、何故。」
「ずっと考えていた。」
「なにをですか。」
「お前の考えていることを。」
「私の…。」
「何故か、分かるか。」
「いいえ、見当もつきません。」
「何故、お前は受け入れる?」
「なにを」
「おれの言葉を、だ。」
「…それは、」



私は息をのんだ。この人は少しの時間側にいただけで私がどういう人間なのかを薄々だが理解している。そしてその上で私に対して興味を抱き、私を知りたいと思っている。

このあからさまな壁に疑問を抱き、空気を読まずにあえて聞いてくる。この人は利口な人だ。探究心と、知識欲を満たすことに悦を覚える化け物だ。

するとゆらりと私へと歩み寄ってくる。扉へではなく、確実に私へと。



「お前、死線を知らなければ、死を目の当たりにしたこともないだろう。温室育ちで少々捻くれて育った人間は決まって生命を軽視する。お前が何を経験してきたか知らんが、虫唾が走る。抗え、そして受け入れろ。何を諦めている?何故初めから受け入れる?例え抗う相手がおれだとしても、それがあるべき姿だとおれは納得する。なのにお前の目には灯火を感じねェ…おれはそれが腹立たしくてならねェ。」
「ただ、受け身なだけですよ。それであらゆることを享受できたんです。人よりも多少要領もよかったから、こうして生きてこれた。この生き方しか知らないんです。でも、上手でしょう?世間の渡り方からすれば、本当に。私は受け身と諦めで生きてきたんです。だから、」
「いつからだ?」
「さあ…いつからでしょう。」
「いつから、そんなくだらねェ生き方してきた?確かに他人のおれがお前の人生に口出すのはお門違いだが、言わせてもらう。」
「待ってください。私としては、私の身柄は貴方に委ねられていると認識しているので遠慮なく言ってくださればいいです。」



今度こそ息がかかるほどまで詰め寄ってきたロー船長は舌を打ち鳴らすと私の首に手を掛けた。壁に押しやられて喉を圧迫されるとたちまちに身体中から力が抜けて酸素を求め始める。



「抵抗してみろ。」



私は強大な力を目の当たりにすると諦めて受け入れて耐える、その三原則を徹底して守ることにしてきた。身体を持って覚えてしまったことを、今更変えることなんてできるわけがない。しかし身体は酸素を欲する。



「抗え、おれの手に、手を添えるだけでいい。」



そんなこと言われても、もう意識が薄れてきて目が霞んでろくに景色も見れない。でも、もしここで死ぬとしても、これが私の運命というやつなのだろう。甘んじて受け入れようではないか。よく、ここまで生きてきたものだ。私は身体中の変に力んでいた力を抜いた。瞬間、喉の圧迫感から解放される。



「…馬鹿野郎。」
「ごほっ、はっ…う…」
「何故死ぬ覚悟をした。何故、生にしがみ付かない?」
「…生きたい理由も、死にたい理由も、ないからです。」
「なら生きろ。おれを理由にしろ。」
「立場を忘れて言いますが、そんな義理はないです。」
「生きてほしい。」
「どうしてですか?」
「知りたい。」
「私を?それはまた、なぜ。」
「本能が、お前を逃がすな、とさ。」



その言い草に、今度は私が笑った。




12/03/21



  
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